一件落着と目覚め
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「なんか、この天井も見慣れてきた気がするなぁ」
最近はそこまで使用していなかったけどね。それでもこの世界に来て最初の頃は大体目が覚めればこの景色だった。
つまり、アストラル学院の保健室、もとい病室だ。
鼻を動かせば久しぶりの人の香りがそこにあった。
「シルラーズさん、お久しぶりです」
「ああ。また無茶をしたと聞いているぞ。まあ見ればわかるが」
「紋様とかは大分広がっちゃってますし、そうですよねぇ」
「―――心臓は再生しつつあるが、暫くは絶対安静だ。破れば死ぬ」
「お、大げさでは………」
いや、でもそもそもが弱り果てていたため、確かに死ぬかも。永遠の存在なんてものはあり得ない、永劫を感じさせた千の夜ですらやがて終焉を迎えた。
つまりは千夜の魔女だろうがいつかは死ぬ。その肉体を持つ俺も、当然不死身の存在ではないのだ。
老いない程度ならこの世界ならありふれているかもだけど。なにせ科学が発展してた俺の世界でも寿命がない生物はいたからね。
星々の黎明期、龍が生まれる前の命の概念すらあやふやな時代なら話は別だけど。生まれないなら死なない、生きていないなら滅びないなんていう理論が通じる時代だからね。
「まあ俺のことなんでどうでもいいんですよ。みんなは大丈夫ですか?」
「君が一番の重傷患者だ。水蓮君に関していえば呪いの返りによる多少の魂への傷はあるが、すぐに癒えるだろう」
「そっか、良かったです」
「………やれやれ、本気でそう思っているから質が悪い」
「はい?」
「なんでもないさ。無茶をするなら私の前でやってくれ、折角なら見学したい」
「ミーアちゃんに殴られますよ」
「もう殴られた後だ。ついでにミールにもな」
あらまぁ。シルラーズさんなりの冗談なんだろうけどね、真面目な双子からすれば殴る理由になってしまったらしい。
いや殴られることまで想定して言ってるよね。うーん、ある意味スキンシップなのかな。
「不用意に心臓を差し出すものじゃない。魔女の心臓は値千金以上の価値ある呪物だ」
「いえ、不用意じゃないですよ。信頼できる人に託したんです。それに俺の場合なら………まあ死にはしないだろうなって確信もありましたし」
心臓を差し出す前に、俺は深き精神回廊へと迷い込んだ。より正確に表せば呼びこまれた。
あの人近づくということはただでさえ危険なことだけど、俺の場合はちょっとだけ特別な意味がある。
………今回の件で寄ったよなぁ、間違いなく。人から更に離れてしまった感じがするのだ。
かといってあちらさん達とも違う存在だ。つまりは、魔女の血が濃くなった。
「ていうか、心臓を加工したものってミーアちゃん知っているんですか?」
「いや。一緒に居た魔術師の方は感づいているようだが、教えてはいないだろう。もしもミーアのやつが知れば、怒りながらお前の胸元に抱き着いて、説教しながら泣き喚くぞ。どうして無茶したんだ、とな」
「………それは、はい。黙っててくれると嬉しいです」
「君の選択だ、尊重はする。傷そのものは治るわけだからね。ただ―――」
シルラーズさんが口元に煙草を咥え、立ち上がる。
なぜかいつも病室に存在するコーヒーミルから挽き終わった豆を取り出すと、珈琲をドリップし始めた。
「ただ、治るだけだ。戻りはしない。無茶をするのは君の選択だが、無茶を重ねた結果に道を外れても、それもまた自己責任だということを忘れてはいけないよ」
「そう、ですね」
「君に取ってここは異世界でも、少なくとも帰る場所や守りたい人々はいるのだろう?」
冷静に俺の心を分析するシルラーズさんの言葉に俯いた。やっぱりこの人は頭が良いんだよね。
俺の考えていることなんてお見通しらしい。
「あの子達のためにも、この世界の歩み方を考えてみた方が良い」
良い香りのする珈琲を俺に差し出すシルラーズさん。
マグカップに注がれたそれを受け取って一口含むと、それを見ていたシルラーズさんが俺の頭を軽く撫でてから白衣を翻して立ち上がった。
「まあ、強制する気はないがね。勿論、説教でもない。これ以上は私では無く、双子やら君に近しい妖精やらがやってくれるだろう。私は後始末と―――原因究明をしてこよう」
「あ、それは俺も手伝います」
「絶対安静だ」
「………後で調査報告だけください」
「ははは、それでいい」
大人の女性だよなぁ、こういう所は絶対に敵いそうにない。
簡単に丸め込まれてしまった。俺の方も丸め込まれやすい気質あるんだろうけどね。
火の付いていない煙草を咥えたまま、シルラーズさんは病室の扉の向こう側へと消える。ふと隣を見れば、俺の身体についてのカルテが置かれていた。
よく見ればこのあたりの言語じゃないようだけれど、千夜の魔女の呪いによって言語理解に特殊な加護を持っている俺からすればどこの国の言語だろうと同じように理解できるので問題はない。
シルラーズさんが気を使って、俺の身体の情報が近しい人に伝わらないようにしてくれたんだろう。
「大きな変化点はなし。また怪我による後遺症も一切なし。ただしより肉体が変質しているため、肉体の奴隷たる精神が更なる人外化する可能性あり。要注意………んー」
胸元に手を置く。まだ、鼓動は存在していない。
こうして無茶をしていれば、いつか俺は本当の怪物に変わるのだろうか。可能性がないとは言えない、だけど今更、俺の生き方を変えることも出来はしないだろう。
ああ、まだそのことについては考えたくないな。ちょっとだけ、思考を止めようか。
外建物と内建物という二層構造を持つアストラル学院の風景を右窓越しに見ながら、珈琲を口に含む。喉を通る熱量と舌で感じる心地いい苦みに息を漏らすと、病室の外から何人かの足音が聞こえてきた。
「………怒られるなぁ、これ」
怒っている時の香りって独特なんだよね。と、感情覗き過ぎるのも良くないから一旦、嗅覚から意識は離しておく。
「マツリさん」
「起きたな、マツリ」
「あ、二人ともおはよー。ミールちゃんは久しぶりだねっていたいいたいいたい?!」
「お前は!また!無茶を!して!!反省しろ!!」
「頬が伸びるぅ………」
扉を開け放って速攻で俺の頬を摘まんだミールちゃんが容赦なくその指を引っ張り始める。
………その隙に、カルテを布団の下に隠しておいた。くしゃりという感触がして、すぐにそれが消える。
ところで、なのですけどね。頬を引っ張られると普通に痛いのですよ?身体中の紋様は全然残ってますからね?
「反省したか!!」
「………今回は反省しました………」
「これは次もまたやりますね」
「次、無茶しそうになったら私たちの寮に監禁するか」
「いい案ですね、姉さん。学院長にも打診しましょう」
「え、怖い」
一切俺の意思がないままに決められてるのが。
シルラーズさんは多分ノリノリで良いっていうだろうしなぁ。悪ふざけ好きだもん。
「………ちゃんと反省してるよ。心配かけてごめんなさい。それと、ミーアちゃん。シンスちゃんは大丈夫?」
「はい。シンスは頑丈なので」
「そっか。良かった」
ちゃんとした友人と触れ合えるようになって。
俺の心臓から作り上げたブレスレットが巻かれた右腕を優しく抑えているミーアちゃん。その腕からは、仄かにシンスちゃんの匂いがする。
ちゃんと、肌に触れているらしい。本当に良かった、俺みたいな異邦人じゃなくて、この世界に生きる本当の友と手を繋ぐことが出来て。
「遠い目をするな、マツリ」
「そんな目、してた?」
「ああ。………安心しろ、お前がどんなに無茶をしても、世界から浮いていっても私たちがお前を捕まえて戻してやるぞ。まあ今回は何も出来なかったが」
「そんなことないよ。色々と調べてくれてたんでしょ?あの弾丸のこととか」
「私は護衛だ。ミーアと違って頭も悪い、居るだけでしかなかった」
「そんなことないと思うよ。それに、頭のでき良くないのは俺も一緒だよー」
頭が良ければもっと賢い手段で解決に導ける。
凡夫と才あるものの違いは知識の使い方だからね、一般人の俺には冴えた方法っていうのは分からない。
「でも、みんなが不幸にはならなくて良かったなぁ」
「………マツリさんのおかげです。無茶は駄目ですけど、それでも―――私たちを助けてくれてありがとうございます」
「うん。俺の仕事だし、やりたいことだから。気にしないで」
恩を少しでも返したいから。半分は人でいられる今のうちに。
「それよりシンスちゃんのお見舞いは良いの?怪我人なのは変わらないでしょ。入院とか」
「あいつはもう退院してるぞ」
「早くない?」
「………お前、何日寝てたのか知らないのか?」
「う?」
呆れた表情を浮かべたミールちゃんがため息交じりに呟いた。
「約一週間だ。今日はもう四月三十日だぞ」
「………あ、へー、そうなんだ………」
え、寝てたらいつの間にかそんな日付に?もう四月も終わり?
しかも、今日が四月三十日って………俺の誕生日なんだけど。いや誕生日はどうでもいいにしても、そんなに寝てたのか。
「四月中に目覚められただけでも幸運ってことかなぁ」
「何か言いましたか、マツリさん?」
「ん、なんでもないよ。そっか、じゃあ本当に心配かけたんだね―――ごめんなさい、二人とも」
「………私も迷惑をかけたので」
一つ、深い意志を宿した瞳のまま、優しく、痛みを伴わないようにミーアちゃんが俺の左腕を取った。