先を視た結末
呪いを呪う、なんてまあ面倒極まりない。
………まあ、本質を述べるならば解呪のためという概念は変わらないんだけどね。
まったく。もっと力押しで行かないとダメそうかな、これは!
「返スぞ?」
「結構です、そのまま受け取っといて」
背中が泡立つ感じがした。その理由は、水蓮を象る呪いの影の周囲に生まれた、黒点だ。
宙に浮かぶそれは渦巻きながら大きさを増し、こちらに狙いを定める。
―――魔法の弾丸は音はなく、しかし魔弾と同じように絶対的な致死性を持って俺を穿とうと迫り来た。
素直に攻撃を受けてあげる気はないけどね。ほら、煙霧を生み出し、息を吐いて天幕を彩れば、その魔弾も掻き消える。
色無く、熱なく、笑って見せる。呪いの影に対してにっこりとね。
「………ッチ」
「あらま。舌打ちとは酷いなぁ―――っと。こらこら」
さらに数発、黒点が穿たれ、俺がそれに対応した隙を狙って呪いの影が移動を開始する。
速度はさらに増しているようだ。水蓮という存在を食い散らかし、その身体を自由にしつつあるからだと思われる。
意思持つ呪い、目的のために人格を与えられた怪物というからには、必ずその行動には理由がある。
最終目的はこの世を再び千の夜で覆うことだけれど、呪いの影はそのための道具であり、意思持つ道具は身に纏う蠱毒をさらに世に振りまくことが使命なのだろう。
より早く、より強固な呪いとなって、影は人の領域を食い荒らす―――この移動はそのためのものだ。
高速で移動を始めた匂いを追いかけるために、杖に跨る。
「逃がさない」
暴風が吹き荒れ、癖っ毛が揺れる。
それと同時に、跨った杖が膨大な魔力を帯びた。エアリアルたちの補助のおかげだ、ありがたいなぁ。
………景色が、歪んだ。あまりにも高速な移動によって、認識能力が少々機能していないためである。まあ、慣れれば見えるようになってくるけどね。
その証拠にほら。もう果ての絶佳を翠に彩る深緑の葉の形も視界に収まっている。
「………」
少し先には黒い尾を引く影の背だ。ぐるり、と黒点はこちらに渦を向け、容赦なく弾丸を放ってきた。
ああ、邪魔だな。生み出した煙霧の蔦によってその全てを払い落し、そのまま蔦を勢いよく伸ばした。
腕を伸ばして、同じように蔦も動かし、影を絡めとる。
「誰も、お前との追いかけっこに付き合って上げるなんて言ってないよ。悪いけれど、今の俺は結構本気なんだ………あんまり容赦できないから、そのつもりで」
「ダマレ、紛い物が」
嘲ると、煙霧の蔦を切り落とした影は、徐々に高度を上げていった。
「ふふ、よく言うじゃないか」
その言葉そっくりそのままお返ししたいけど、その前に。一つ、現実を見せてあげることにしようかな?
………上昇を終えた影が地上を見て、歯の隙間から息を漏らすような笑い声をあげる。何故か、それは眼下に巨大な都市が広がっているからだ。
カーヴィラとは違う匂いと気配を漂わせるここは多分、シキュラーの街。水蓮を模し、水蓮に影響を受けている呪いの影ならば、必ずここに向かうだろうとは思っていた。
―――影が空気に溶けようとする。輪郭を薄めかせ、何かの予兆のように振動する。
纏う幾多の蠱毒達もそれと同じように振動し、明滅する。影が、更なる哄笑を上げる。決定的な何事かを為そうと、影は震えている。
でも、それは否。それは不可。そんなことは出来はしない。この俺が―――許さない。
さあ謳え。高らかに風の詩を、鳥の声を響かせろ。力は皆が貸してくれる。
「まずハ、コノ街ダ。溶け落ち、燃え墜とす。『我が身体、我が憎悪はこの時のために、骸の薔薇の花を』………ッ!?」
「『風は止まらず、風は捕らわれず、風はどこまでも自由なり』」
影の詠唱を強制的に止めさせたのは、俺の身から生じている膨大な魔力だ。俺一人のものじゃないけどね。
心臓もなく、実は体のあちこちにガタが出てきている今の俺では、これ程の力は出せない。あくまでも、これは皆の力の集合体だ。
「妖精ノ加護か………!!」
「加護?違うよ、ただちょっとだけお願いしただけだから」
うん、後でお礼をしないとね。
「ダガ………それデ何ガ出来る?」
「おや。あはは」
まあまあ、魔法使いが皆に協力を頼んだ時に、何が出来るか聞くなんて。
無粋も無粋、そしてなんとも現実逃避が過ぎるかな。
「―――なんでも、だよ」
魔力を帯びた霧が、俺と呪いの影を包み込んだ。
再度、宣言させてもらおうかな。俺は、お前との追いかけっこに付き合うつもりはない。これは言い換えれば、お前の土俵で戦って上げるつもりはないってことだ。
簡潔に、最短で。俺は俺の目的を達成する。
つまり、水蓮を助け、呪いから解放するっていう目的をね。
「霧………?ハ、コンナもの、吹き飛バシテ」
「無理だよ?お前程度じゃ、これは消せない。もしもこの霧を消し飛ばしたいなら、古の三英雄か………」
翡翠の眸が、強く輝く。
「千夜の魔女でも連れてきなよ」
………シキュラーの街の頭上、霧が俺たちを覆い、世界から遠ざけた。
***
「………戻サレタ?”果ての絶佳”に?」
「位相は違うけどね。具体的にいえば、俺たちは物質界じゃなくて、精神界にいる」
四つの世界を持つという、古きカバラ魔術の世界観を引用すれば、の話なんだけどね。
現実はもっと複雑だ。魔法の世界の次元っていうのは色々な意味と種類を持つから。
天使の存在するエデンの園も、死者の向かう冥府の底も、あるいはあちらさんたちの王が暮らす妖精の国も、この世界とは違うまさに異界といえるものであり、俺が作り上げたこの空間のように位相が違う。
簡単にいえばこれは階層の違いのようなものだ。まあ俺が作ったこの空間は、階層でいえば一階と二階の間の壁程度の物で、エデンの園や妖精の国、常若の国とは比べ物にならない程、低位のものなんだけどね。
とはいえ、ここで現実に戻れば見えている空間上に放り出される。上手くやれば瞬間移動にも使えるけど、俺以外の人間がこの空間を通れば、多分肉体に支障をきたすかな。
まだ”妖精の通り道”のほうがましだろう、うん。
「ソレデ、コンナ場所に連れテキテ、一体何をスル?」
「あら。分からない?わざわざ精神界に連れてきたって言って上げたのに?」
挑発するように、自分の薄桃の唇をちょっとだけ歪ませて、影をみやる。
「カバラ風にいえば、ここは形成界―――肉体はなく、魂が形と個性を持つ世界だよ」
「ナ、ニ?」
やや灰がかった色彩に彩られた形成界の景色の中、唯一色を持つ俺たちが向かい合う。
呪いを纏う、泥のような姿の影の内側でひっそりと、泉の底のような深い蒼色が覗きだしていた。
この空間に肉体という概念はない。あるのは魂という定義だけ。故に、この場において呪いの影は水蓮という存在を隠れ蓑に存在し続けることは出来ないのだ。
………ぐちゃ、ぐちゅ。少しだけ嫌な音。
そんな音を上げながら、影の中からふつっと―――白く細長い、大人の女性の左手が現れる。
「コノ、貴様………逃がサヌ、這い出ルことナド、ユルサン!!」
「水蓮。こっちだよ、こっち」
「黙れ、聴ケ!!お前ノ内にアル、その憎悪カラ眼ヲ逸らスナ!!」
「目を背けてもいい。それは逃げていることじゃない。それに、憎しみの使い方なんて、誰に指図されるものでもないんだよ」
俺は憎悪を否定するわけじゃない。水蓮には似合わないとは思うけど、それはそれ。
本当に怒りを持ったなら、その発散先程度にはなるさ。でも、俺が代わりに怒りを受け止めて終わるのであれば、そもそもこんな状況には陥っていない。
身に秘めた、先触れを得ている小さな怒りがあって。それを利用する呪いがあった。
愛すべき子供がいて、それを奪おうとする者がいた。
―――人に触れて、人を愛し、呪いによって歪まされ、人を呪おうとして………でも、結局。
優しい君は、それをやめた。賢い君は呪うことに意味を見出さなかった。
それが本質。想いの底の底。
だから、俺はそれを守るのだ。その思い、心を歪ませることなどさせはしない。
「さあ。手を取って、こっちに戻っておいで。清らかなる心持つ君に、その泥のドレスは似合わない」
「………マ、ツリ………?」
「うん。マツリだよ、君の友達だ」
腕が触れる。
それと同時に、うっすらと香りを振りまきながら、君の名を持つ花が生み出された。
穢れなき花は影を祓い、より強く彼女の腕を知覚させるのだ。
「お帰り、白く美しきアハ・イシカ!」
指が絡まる。さあ、手は繋がった―――もう力の出ない身体から気力を振り絞って、手を引いた。
「サセルものカ!!ソレは帰ラヌ、憎悪振りまく死者の雨とナルマデ、地ニ戻ルことナド許されぬ!!??」
水蓮の身体が現れると同時、影が膨れる。
本来肉体も魂すら持たないこの呪いの影は、核である水蓮を喪えば即座に消滅する。これほど感情を荒立てて執拗に水蓮を確保しようとしているのはそのためだ。
質の悪い寄生虫みたいなものだね。
さて、暴発寸前の魔力を蓄えた影の行動は、俗にいう所の最後の悪あがきというものだが、これが俺にとってはかなり厳しい。
いやー、うん。余力っていうんですかね?まあそれ。本当ないんだよね、今。
「………っ!!」
「貴様ダ。貴様ガ死ねば、その道具ハより強ク、憎悪ヲ抱ク―――死ネ、魔女の残り香」
灰色の世界に鮮血が落ちる。
首に突き刺されたのは溶けかけた影の茨。悪足掻きは呪いの影の目論見通りに成功し、常人ならば致命傷たる一撃を俺に与えて見せた。
………でもね。視ていたから。
この風景を、この未来を。俺はうっかり視てしまっていたから。余力はないけど、その余力を使う必要もないんだよ。もう、手は打ってあるから。
息を吐けば、霧が広がる。広がる霧はローズマリーの香りを持って、更にはその樹木を象った。
「憶えて、いる………?解って、る?まだ、思い出せない………?ふふ―――大丈夫、俺が………助けて、あげるから………」
血のとんだ指先で、微睡む水蓮の頬に触れた。
「傍に、いるから………そこにいるから………ゆっくりと、思いを巡ろう。ねえ、水蓮………」
―――額に口づけを。
想いを、今、この場所へ。