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思い出の娘





「ギャ―――」


途端に聞こえたのは、男のそんな声。

………黒い水の槍が矛先を変え、盗賊団の最後の一人を貫いていた。

心臓を抉った一撃によって瞬時に男は絶命。聞こえた声は確かなる断末魔。

その筈だった。


「”そうだ、食い散らかせ”」

「っ………?なに、これは。不協和音………?」


声のように感じたその歪な音は、水蓮の方から発せられたようだった。しかし、深く考える前に思考が別のものへと向けられる。

ぐちゃり。ぼとり。

擬音とするならそんなもの。心臓を貫かれた男が―――溶けていく(・・・・・)

赤黒い液体へとその屍の肉体が変じていく。


「”………アア、悍ましイ。醜イ………否………醜いのは、ワタしカ………なア、マツリ………フェルアーレ………”」


泣く。鳴いて、啼いた。

影が浮き上がり、黒い骨を纏う馬の姿と化した水蓮が、飛び上がる。

溶け落ちた盗賊団の男だったものもまた、水蓮と同じように浮き上がった………その姿は、巨大な蝙蝠のような姿へと変じていた。ただし、身体は泥で構成されていたが。

いや、それよりも。


「シンス………?!」

「………あ、ハハハ………ミーア?そこに、いる………?」

「シンス、しっかりして。私は目の前、見えてるでしょ」

「………ん、そうなんだ。あ、確かに匂いするね………あはは、よく分かんない」


―――シンスの眼はきちんと開いている。だけど、涙の代わりに黒い泥が垂れ落ち、既に瞳は人の目としての機能を有していないようだった。

触れようとして、躊躇する。そうだ、触れることは出来ない。血塗れの私の腕では………だけど、速く手当てをしないと、この子は。

この子は、死んでしまう………かつて、私を助けてくれたあの子(・・・)のように。

シンスの腕が垂れる。血が染みて、腕に巻かれた包帯が赤くなっていた。

どうすればいい。私は、こんな私には、一体この状況で何が出来る………?


「初めて、呪われたかも………こんなに痛いんだね………ああ、でもちょっと懐かしいかも………」

「ねぇ、ちょっと」

「なんで、懐かしいのかは………分からないけど………ミーア、君は………」

「シンス。聞いて、戻ろう。後方で待ってるシキュラーの魔術師のもとに行けば、治療も」

「―――そっか………君だったんだ………そっかぁ。あはは、なんで………忘れてたんだろ、ね………」


私では触れられない彼女が、血を吐いた。

赤ではなく、黒い血を。専門では無くても、これは見ればわかる。シンスは、体内を呪いに侵されている………致命的な程に。


「やっと、会えた、ねぇ………死ぬ、寸前なのは………ちょっと、悔しいけど………」

「やめて、やめてよ。早く戻ろう、きっと助かるから」

「………触れて、ほしいな………ね、ミーアちゃん………最期に、お願い………」

「―――え?」


黒の血に塗れたシンスの表情が、古い記憶と共鳴する。

私の呪いを、血を浴びたあの子。幼き日に出会った、あの女の子と。

名前なんて思い出せない程に古びた、私の抱く恐怖の根元たる思い出。助けてくれた人を、友人になってくれた少女を決定的に傷つけた、その記憶。


「もう、いや………」


耳を塞ぎたくなる。目を閉じたくなる。

思考を全て投げ捨てたくなる。そうしてはいけないと分かっているけれど、でも。私には、これ以上何をどうしたらいいのか分からない。

触れないといけないのに、私は誰にも触れられない。

―――私を構成するこの血が、身体が大嫌いで仕方がない。

空を見上げる。私の血液によって気絶していた他の盗賊たちも、泥の黒雲の一団へと姿を変えていた。

悪意を向けた人間を自動的に迎撃し、呪いに浸したうえで体の一部として取り込んでいるらしい。水蓮は、いや………水蓮という姿を借りた何者かの悪意は、そうして拡大を広げていた。

シンスがあの中に取り込まれていないのは、攻撃する気がなかったから。悪意を欠片も持っていなかったから。

………いい子なのだ、相変わらずに。呪われた私に、簡単に手を差し伸べるほどに。


「どうか………」


故に、祈る。


「私は、どうなってもいいから………」


胸元に手を当てて、目を閉じた。


「シンスを、助けて………」


―――サルビアの葉が落ちる。羽のように、柔らかく。

私の胸元へと落ちたそれは一度、煙霧となって宙を舞う。だけど、サルビアの葉は宛ら雪のように、空を舞い踊り、降り注ぐ。

優しく包まれるような感触に天を仰ぐ。私は、目を閉じていたのに不思議のこの情景は瞳の奥に移りこんだ。


(すい)を纏う白銀の根。


広がった紋様は樹木を辿り、様々な葉を、花を。そして果実を咲かせる命の樹へと。


肌を叩くほどの魔力の奔流は、あれが単なる見かけだけの樹ではないという事実を明確にさせた。


「………本当は降りていって助けたいけど、ごめんね。ちょっと、あの仔を助けに行かないと。だから、いるよね、アルテミシア………ミーシェちゃん。二人をお願いね」

「あなた、なんで私の名前を………いや、もういいわ。確かに、千の夜の魔女となれば、その位は知っててもおかしくないもの」


響く声は二つ。

樹木の中心で微笑む、言葉を忘れる程に美しい少女と、私たちの近くにやってきた魔術師の女性のそれ。


「一応聞くけど、あなたには手当なんていらないでしょ」

「うん。もう大丈夫」

「あっそ」


マツリさんを包む樹木が枯れ落ちる。樹皮は剥げ、花は萎れていく。

けれど、癖のある白い髪を靡かせてマツリさんが息を吐くと、その樹木はすぐさま形を変え、数本の枝と蔓になった。


「んー。でも。あとで迎えに来てくれると嬉しいかも。多分、動けないから………もちろん、皆でね」

「マツリさん………」

「大丈夫、そんな顔しないでよ、ミーアちゃん。俺は大丈夫だし、水蓮も黒い妖精の好きにはさせないし―――シンスちゃんだって、助けられるから」


そこまで言って、崖の上を浮かぶマツリさんはちょっとだけ、悲しそうな顔をした。


「まあ、ちょっと。もどかしいのは事実なんだけど。やっぱり、年月には敵わないものだよねぇ………あはは」


視線の先はシンスの手に巻かれている、血に染まった包帯だった。

この人は、知っているのだろうか。私とシンスの過去を。私も、彼女も遠い思い出の果てとして忘れていた、あのことを。

―――知っていても、おかしくありませんね。だって、マツリさんですから。


「さっさと治療するわよ。あそこの怪物魔女は放っといていいけど、そこの普通の騎士は何もしないと死ぬわ」

「え………いや、怪物は酷いよ?」

「事実でしょ。―――あの規模の呪いで物理的にも外傷を負っていたのに、少し経ったら完治しているなんて、魔法すら超えた奇跡よ」

「あらら。ん、結構よく見てたね?」

「魔術による千里眼よ。場所が悪くて見えにくい動けない干渉も難しいの三重苦だったけれど!」

「そりゃあねぇ。ここ、妖精の国の入り口だし」


当たり前のようにそんなとんでもないことを発言したマツリさんは、一度瞬きをして、遠くを見つめた。

黒雲が消えていった、”果ての絶佳”の先を。


「………お願いね」

「何回目のお願いよ、それ。何回も言わなくてもわかってる。あなたの尻拭いはしてあげるわ、特別にね。その代り、報酬は弾みなさい」

「もちろんだよ―――ありがとね、アルテミシア」

「本名で呼ぶなこの馬鹿魔女!」


シキュラーの魔術師、ミーシェさん………本名はアルテミシアさんというらしい………の怒鳴り声を笑っていなすと、空を浮かぶマツリさんが一歩、踏み出した。

その足の先端からマツリさんの身体は無数の煙で象られた植物に包まれ、微笑みを残して姿を消す。

心の底の澱み、重い感触は………ああ、気が付けば消し去られていた。


「本当に、ムカつく女。………さっさと治療するわ、貴女も手伝いなさい」

「は、はい。ですが、私の血は………」

「そのためにあいつが、マツリがこれを置いていったんでしょ」


ミーシェさんの手に握られているのは、タイムと茉莉花の蔓によって編まれた草木のブレスレット。不思議な力を感じる、香り高い魔道具だった。


「正真正銘、身体を削って(・・・・・・)作った最高位の魔道具………本当は貰いたいくらいだけど、流石にそれは人としての道理に反するもの。さっさと着けなさい」

「………はい」

「さあ。助けるのよ、そしてあの馬鹿女を迎えに行くの。そうじゃないと報酬が貰えないもの」

「はい。ありがとうございます」

「お礼言うな、私は報酬のためなんだから」


そうは言いながらも、治癒の魔術の準備を始めるミーシェさんを、ブレスレットを付けた腕で手伝う。

………人に、触れることが出来るようになった、この腕で。

優しく、シンスの腕を握った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんな所に埋もれてたら駄目な作品。 いつも黒姫さんの知識量に驚いてます。 言葉の使い方が凄くて引き込まれる。 読んでいて、出てくる言葉一つ一つを凄く大切にされてる事、何気ない言葉にも意味が…
[一言] 千夜さんとマツリちゃんの関係知ってたのかミーシェちゃん
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