凶弾
直後身体に襲い来るのは熱量だ。焼き付く灼熱の痛み。
―――いや。これは錯覚だ。弾丸そのものは既に熱量を喪って久しく、物理的には何の痛みを発する理由もない。
あるとすれば、異物を呑み込んだ拒絶感程度だろう。
だから、この痛みは秘められた呪いのそれ。この呪いを水蓮に齎した何者か………黒霧の男の真意の欠片によって引き起こされたもの。
真意を探らなければいけない。しかし、その前に皆を守らないとね。
「………行けるかな?いや、やるしかないか………”舞い上がれ 我が血、我が手、我が具足 羽となるは麗しき月桂樹の枝の葉なり”」
ああ、紋様が。翠の光を発するトリスケルの紋様が左半身を超え、右側へと伸びていっているのを自覚する。首元も同じように今までの拡大範囲を超えて、目の近くまで登ってきている。
肉体というものは枷であり器だ。現世に触れあうには必要不可欠ながら、物質世界を超越するためにはどうしても邪魔なものとなる。
………俺にとって、この身体は。変質した、千の夜の力が籠められたこの肉体は果たして、どちらの役割が主なのだろう。
呪いに塗れたこの身体。魔法という奇跡を操ることのできるこの身体。千夜の魔女の写し鏡である、俺という存在。
いや。思考が散乱している。飲み込んだ弾丸のせいだろう。
だって、この弾丸には………千夜の魔女の力が入り込んでいるから。意識に雑音が混じるのも、仕方がないよね。
「マツリ………!!降りてこい、馬鹿!!!」
微笑みながら、水蓮の頭を撫でて飛び上がる。先ほど唱えた魔法は空を飛ぶための魔法。
この魔力が濃密に立ち込める”果ての絶佳”の中でも自在に動くための、ここから遠ざかるための魔法。
「さあ。こっちだ、悪臭だらけの魔弾よ」
「……… ― ― ―――」
途切れ途切れのモールス信号のようなそれはきっと、弾丸へと変換されてしまったあの盗賊団の頭目の残響。
ほら、だって。匂いを辿れば同じもの。君も、狂わされた側だろうけれど、でもごめんね。
降りかかる火の粉へと変じた存在を、俺は流石に救えない。今の俺では、救う力を持たないから。
………中世ヨーロッパにおいて、盗賊というのはありふれた存在だった。そうしなければ生きれない世界だった。
魔法、魔術。そして科学。その全てが乱立するこの世界においても、何かしらの理由で仕事を亡くし、或いは誰かを害することでしか生きられない人は一定数いて、それを責めることは、恵まれている俺にはできないのだ。
異邦人。この世の外から来たよそ者であり、千夜さんに呪われても尚、人に、あちらさんに迎えられた俺には。
「………安心して、しっかりと受け止めてあげるから」
空中を蹴り、中空へ。
踊るように身を翻して皆から十分に離れたことを確認すると、杖を崖の対岸へと放り投げる。大事なものだからね、無くしちゃいけない。
揺れるローブをはためかせて、手を広げる。弾丸は、俺の胎の中に。
漆黒を纏う純粋な、元始的な呪いの塊。悪意と殺意という分かりやすい感情によって形作られた弾丸は―――俺の身体を寸分の狂い無く、打ち抜いた。
「、ぁ」
これ………やばいかも?
血が垂れ落ちている感覚がある。口からも喀血しているし、こうして頑張って思考していないと、意識が持って行かれそうになる。
ある意味、身体が軽いのはお腹に大穴が空いているからかな。ああ、痛い。とっても、痛い。
痛みは度を超えると熱さに代わるけれど、更に先に進めばやがて冷たさへと変じていく。千夜の魔女に身体を乗っ取られそうになった時と同じように。
指先の感覚が恐ろしい速さで消えていく。猛毒に侵されたように、身体全体の動きが鈍くなる。死が、迫ってくる。苦しい………ああ、とっても苦しい。
死ぬかな、これ………いや。まだ、まだだ。
―――灯火は、まだ俺の中に。
「やっぱり、悪いだけじゃ………ないよ、貴女は………」
毒を以て毒を制す、なのかもだけれど。でも、うん。
一度、意識を手放そう。昏き夜、美しき黎明がそう望むのであれば。
霞む視界のなかで、天を見る。
そして、ゆっくり水蓮たちの方に視線を向けた。手を、感覚の無くなった手を向けて、そして。
………俺は、意識を失った。
***
「―――」
「い………ゃ………いや………」
「ミーア!水蓮さんも落ち着いて!!まだ、一人残ってるんだよ!?」
空へ舞い上がり、私たちから距離を取ったマツリさんが―――魔弾によって貫かれた。
事実が受け入れられない。声が、聞こえない。
………お腹に、穴が開いているのが見えた。致命傷だ、もしも味方がそのレベルの傷を負ったら、安楽死させるほどの重症。
マツリさんが死ぬ?
私に触れてくれた、私が触れても死なない、マツリさんが?
大事な、親友の少女が………?
「ミーア!!しっかりして!!まだ、助けられるでしょ?!その前に、最後の一人を倒してから!」
「………シン、ス………どうしたら………ああ………」
「いつもの冷静なミーアはどうしたの、速くしっかりして!それとも、頬を叩いた方が良い!?」
「………っ、待って」
手を伸ばしてくるシンスを止める。
私に触れてはいけない。血を大量に使用した私の身体は猛毒の塊だから。
………シンスは、それを知っている。戦闘を終えた直後の私の周囲には誰も近づけないことを。知っているからこそ、敢えて言ったのだ。
意識を正常に戻すために。
「大丈夫………大丈夫」
付き合いが長いだけあって、流石に私の動かし方が分かっているのは、この状況ではありがたいことだった。
しっかり、しないと。
………まだ、マツリさんは助けられる。魔弾に貫かれたマツリさんは、黒を帯びた霧の茨に絡めとられ、崖の中間地点に浮かんでいる。この”果ての絶佳”の奥底へと落ちてはいない。
「手が届くところにいるなら」
手を伸ばせる。
助けたいなら、目を閉じてはいけない。思考を辞めては、いけない。
「ミーア、傷だらけのところ悪いけど、残った一人を倒しに行くよ。………また、あれを撃たれたらどうしようもないし」
「うん、分かった」
「水蓮さんも、手伝って………水蓮さん?」
シンスの声が困惑に染まる。
なぜか。それは、白い馬の姿をしていた妖精、水蓮………彼女の輪郭が、どろどろに溶けていっていたためだ。
ぼとりと落ちる液体は真っ黒に染まり、落ちた傍から異臭を発しながら地面を削っている。
馬の姿はとうに消え去って、まるで蜘蛛の糸に絡めとられたかのように黒い水の鞭を纏わりつかせる様は―――背筋を酷く、凍らせた。
直感で分かる。これは、良くないものだ。
千夜の魔女の面影にも似た怪物の様相は、この世の理から外れかけているという事実を色濃く認識させた。
「水蓮さ―――」
「駄目、離れてシンス!」
もう一度、声をかけたシンスに対して、漆黒の水の塊となった水蓮………水蓮だったものが、牙を剥く。
纏っている水の鞭が形を変え、槍のように変じると、シンスの周囲を取り囲む。
そして無数の槍は一切迷うことなく、鋭利な先端を突き動かした。
「………ぐ、ぅっとと?!」
金属同士が擦れる音。そして、その直後に、鋼が砕け散る音。
さらに少し遅れて、血の匂い。
「シンス?!」
折られた剣の切っ先が、水蓮とシンスの間に転がる。
どろどろの黒い液体の上に落ちたその剣は小さく音を立てながら溶けていって、やがて液体と同化した。
黒い水の槍は、類まれなる反射神経の賜物か大多数は避けていたがそれでも一本はシンスの首元を掠め、もう一つは脇腹あたりを深く貫いていた。
………溶ける音は、その槍からも漂っていた。
このままじゃ、シンスの体まであの剣の切っ先と同じようになってしまう。
「………っ、離れろ!」
爪で右腕をひっかき、血を流す。そして、そのまま腕を槍へと力任せにぶつけた。
―――鋼を叩いたような感触。少しだけ歪んだ槍は、私の血を浴びても消えはしなかった。
「”アア………オマえたちはイツも”」
血が足りない。もっとたくさんの血液を浴びせれば、かなり弱めることが出来る筈。
そう判断して、更に傷口を抉る。ぐちゅぐちゅと音が鳴り始めるころには、腕から大量の血液が流れ出ていた。
痛みを我慢して、零れた血液が呻くシンスに当たらないように注意しながら、槍へと血を落とし続ける。響く、くぐもった水蓮の声を無視しながら。
「”ウバう。ウバウだけ。ナラ、ば―――ワレラはモはや隣人ニあらズ”」
血を、呪われた血を。人のために、流し続けた。
「”ノロイと呪詛ヲ以て。キサマらをコロしツクス、怪異トナロう。昏キヨルをヒキ起こソウ”」
「………うる、さい」
どんどん失われていく血液によって意識が遠ざかる。血を喪えば命に関わる。私は生まれつき、血液を生み出す力は優れているけれど、それでもこの量を短期間に流すことは想定されていない。
これ程の血液の喪失量は最早、傷害によるそれと同じだ。
でも、そうでもしないとシンスを助けられない。彼女は人としては確かに強いけど、それでも普通の人間なのだ。
呪いの槍に貫かれれば、無事では済まない。
―――だというのに。槍を消すどころか意識を散らす不快な声を発するこの妖精が、邪魔で邪魔で仕方がない。
「うるさい、黙れ………」
槍が更に歪む。あと少しで、脇腹に刺さっている槍を解くことが出来る。
「怒っているのは、あなただけじゃない………!」
私から、大事な人を奪わないで。
泣きそうな顔のまま、心の底で叫ぶ。その瞬間のことだった。
「糞、なんなんだよ………頭目は死んじまうし、お前らは消えねぇし………!!!寄るな、寄るなよこの化け物があああああ―――!!!」
意識の埒外に遠ざけられていた、盗賊団の最後の一人が、バリスタの引き金に手を掛けるのが、見えた。