守りの魔法
「―――『煙りくゆるタイムの小枝、霧に交わるセージの葉香』」
唱える言葉はいつものそれだ。だって、俺の身に合っているのはこの言葉たちだから。
「『結べ、繋げ、深く落ち往く兎穴。手を繋いで踊りだせ、輪を描いて舞い上がれ』!!」
使うのは、少し前に水蓮を森の中に運ぶ際に利用した、妖精の通り道を作り出す魔法だ。うん、この場所は本来、使わない方が良いんだけどね、仕方ないよね。
まあ短距離なので………許してください、女王様。
足元にタイムの枝によって作られた円が浮かび上がり、俺の身体を少し先にある崖の上へと投射する。
この崖の周囲は先ほども言った通り、魔力が非常に濃い。千里眼すら通らない程に。
なので、普通に風の魔法などで崖を超えようとすると、普通よりも繊細で、尚且つ非常に膨大な魔力を使用してしまうことになる。なら、転移した方が速いし確実ですよね。
一瞬姿がブレて、崖の向こうに移動する。そして、息を吸いこんだ。
「呪いが共鳴してるなぁ」
………コールタールの匂いだ。
匂いの元は、バリスタとそして―――水蓮に埋まった、銃弾。
この二つは同じ呪いで、この呪いを水蓮にぶつけることが多分、あの黒霧の男の目的だった。
最初からカーヴィラの街に水蓮が来ることは予測していたのだろう。まあ、これだったら俺でもわかることだから、千里眼とか未来視は使っていないと思う。
だって、あちらさんを治療することが出来るのは、あちらさんと共生関係にあるこのカーヴィラしか存在しないから。
そうして街に引き入れた水蓮を、その傷が癒え始めたタイミングを狙って、用意したこの最後の呪いを撃ち込もうとした。盗賊たちという道具を使って。
何のためにかは分からないけれどね。
この呪いを水蓮に打ち込んだら、この仔がどうなるのか、どう変異するのか。そんな事には興味もないし、させるつもりもない。
心優しい、人食いを辞めた人食い馬である水蓮を、これ以上傷つけるのは―――いい加減、辞めてほしい。
「マツリちゃん!!」
シンスちゃんの声が背後で響く。
安心と、心配が入り交じった匂いだ。ちょっと振り返る余裕はないから、後ろ向きで話しかける。
「ミーアちゃんをお願いね」
そして、もう一度。
杖を回して、ゆっくりと地面を叩いた。
「『イラクサの棘、雷神の槌 悪しきは全て炎で焦がし その葉は我らの盾たらん』」
さらに、呪文を重ねる。
「『呪いを払い、呪いを返す 呪いを祓い、呪いを還す お前は獰猛なる者、呪いを喰らうネトルの葉』!!!」
ローブの下から取り出したのは、ネトルの葉っぱ。即ち、呪術的効果と薬効効果を併せ持つ、セイヨウイラクサと呼ばれる薬草。
………アストラル学院の庭園に住まうあちらさん、リーフちゃんから大分前に拝借したハーブだ。
樹々の精であるあの子が育てたものということで通常では考えられない程に長く持つこれは、お守りとして所持していたものなんだけれど―――ああ、あって助かった。
正直に言えば、今の俺ではいつもの魔法だともう、この砲弾を止められるだけの力が残っていない。ここに来るまでに、随分と無理を重ねて、飽和した魔力で身体が悲鳴を上げているのだ。
だから、こうして普通の魔法使いのように、触媒を使う。
もちろん、これを使ったとしても、完全に砲弾を止められる確証はないんだけれどね。悲しいことに―――ちょっとだけ、実力不足だ。
ネトルに息を吹きかけ、砲弾と俺の間に放り投げる。そのハーブは中空で煙と化し、渦巻いて楯のように、俺たちを包み込む。
「………っぅ!」
心臓が痛み、左腕が破裂する。
ネトルというハーブは呪い返しを行う際には非常に効果の高い薬草なのだけれど、足りない。
魔力ではなく、魔法使いとしての練度が圧倒的に足りていない。
悔しいけど、この魔法は鮮やかな手並みで調律されており、外からの介入が出来ない程に作りこまれた芸術のような作りをしている魔法だ。
芸術、といっても戦争芸術とか、政治犯のような手並みなので全く褒められるべきことではないのだが、巧緻に整えられているそれはある意味、感心すらできるだろう。
今の俺の力量では、これを掻き消すだけの魔法は唱えられない。単一の薬草を利用した単一魔法。それを魔力量でごり押しているだけの俺では。魔法に対する理解が足りない。魔法を扱う上での作法を知らない。
………使うべき道具、論法、理論。つまりは、純粋な知識。
この魔法を設計した黒霧の男は確かに、魔法使いとしては頂点に近い実力があるようだ。
「だからって、ねぇ………」
力量で負けていますからといって。
―――大切な人達に、こんなろくでもない呪いをぶつけさせるわけにはいかないじゃないか。
「うん。呪い自体に干渉は出来ない。だけど」
呪いの方向性にならば、俺でも操作は可能だ。
今はネトルの魔法で防いでいるこの砲弾―――特大の呪術弾丸は、水蓮の身体に埋め込まれた銃弾を狙っている。その銃弾への命中は必然のものであり、立ちふさがる障害物は全て破壊する。
その繋がりは断てない。切れるならば、こんな風にこの魔法相手に粘るような真似はしなくていい。
だから、俺が取れる手段は。
と、そこまで考えたところで、水蓮が口を開いた。
「………マツリ、私が外にでる。あの砲弾は私を狙っている、ならば」
「お馬鹿。それじゃあ相手の思う壺だよ?」
「………お馬鹿?」
あ、そこには反応しなくていいです。
「何のために君を狙っているのか。それが分からないからこそ、君に砲弾を直接当てることだけは防がないといけないんだよ」
因みに直感は、というか無意識下の”魔女の知識”は、直接当てさえしなければ、何とかなるって言っている。
何とかなるだけで、平穏無事には終わらないっていうの確定しているのがちょっと悲しいけれど。
「だが、一体何が出来る。あの魔法は特別だ、恐らくは誰にも防ぐことは出来ない。それこそ、聖堂か―――彼方の地にでも行かない限りは」
「あっちに行ったら戻るの何十年後になるのか、って次元じゃない?」
………軽口をたたきながら、水蓮に近づく。
「マ、ツリ、さん………?」
何かに気が付いた様子のミーアちゃんに対し、人差し指を立てて静かにするように言う。
それを見て、眼を見開いたミーアちゃんは俺に対して手を伸ばすけれど………ごめんね。
ちょっとだけ、俺の方が速かった。
「………ぐ、ッ………マツリ?!」
「水蓮もごめん。ちょっとだけ、我慢してね」
包帯の下の水蓮の傷口に、己の血塗れの手を伸ばす。
魔量の飽和した左腕を、彼女の傷口の中へと突き入れた。感触は、ない。
………左腕を幽体に変換したから。幽体っていうか、あちらさんと同じ肉体に、かな。これだけ魔力が増えすぎている今だからこそ、逆に取ることが出来た手段だ。
でも、同じあちらさんである水蓮からしたら、実際の傷にはならないけれど、痛い筈だ。だから、ごめんね。
代わりに君へと向かう呪いは、俺が引き受ける。
「待て、お前………やめろ、それは駄目だ………ッ」
「な、なに?どういうことなの?」
「マツリさん!!」
左腕を引き抜く。
握られているのは、水蓮に埋まっていた魔弾だった。そう、結局これを発信機にして砲弾が向かってきているっていうのなら。
これを、俺が取り込んでしまえばいい。そうすれば、砲弾は寸分違わずに、俺を射抜く。呪いの方向性への干渉っていうのはつまり、こういうことだ。
………そして。俺は。黒い弾丸を、迷わずに飲み込んだ。