血杭の凶弾
「大丈夫です。………信じてください」
「………うん」
そんな、悲壮な表情で。懇願されるような表情で言われては、止められないよ。
ここで無理矢理にでも腕を引き留めるという選択肢は、俺には取れない。人の決意や、やりたいという感情を否定することだけは、俺にはできないから。
だから、行こうとする君をそのまま見送るしか、出来ない。
………代わりに、決意を決めよう。傷だらけの君が、これ以上傷つかないように。
「いいのか」
「いいんだよ。絶対に、死なせなんてしないから」
深く呼吸をする。そして、この崖の周囲、大気に満ちる魔力を感じた。
本当にここは魔力が濃い。濃密なそれは深い森の気配にも似て、肺の中を満たした。
視線は、橋を渡っていくミーアちゃんを。そして、その先の結末を、少しだけ予見した。
「まあ、黒く塗りつぶされてるところもあるんだけど、ね」
それはあの黒霧の男の呪い、最後っ屁みたいな鬱陶しい置き土産。
お互いにとって未来視は厄介だからね。封じておこうという手も分かるけれど。どうしようもなければ人間は割と、どんな手段でも使う。間違って俺が未来を見ちゃったのも、あの時の最善を突き詰めた結果だ。
それを加味したからこそ、あいつは未来視を封じた。割と、魔法にもあるんだよね、相手の魔法、呪いを封じるっていう効果を持つ物が。
勿論それは普通なら、おまじないくらいにしか使わないものだ。小さな呪いを蝋燭の灯を消すみたいに吹き飛ばしたり、不運という小さなそれを掻き消したり。
未来視なんて言うとんでもないものを使うもの自体が少ないうえ、それを封じる方もなかなかの化け物だ。ま、それはさておき。
………盗賊たちは頭目を合わせ、残り六人。
盗賊団なんて銘打ってあるだけあって、総勢人数は中々に多かった。ここに転移出来た幹部たちもそれのせいでかなりの人数だ。組織だっての行動を支えていたのがこれらの魔道具類なんだろうけどね。
「ッチ………来やがったか!撃て、どんどん撃て!!………だが、あれはまだだ」
「了解!!!聞こえたな、出し惜しみするな!!」
「―――邪魔。全部、マツリさんの害になるなら………消えてしまえ」
再度、血の霧が舞う。今度の盗賊たちは先ほどの光景を見ていたためかきちんと距離を取っており、一人だけが血を吹いて倒れただけに終わった。
とはいえ、ミーアちゃんも自分の能力が対策されている可能性は考えているらしい、血の量を調整しながら戦っていた。
「やはり、血を使うのか。あいつの戦いは」
思い出したように飛んでくる魔弾を防ぎながら、水蓮がぼやいた。
そうだね。ミーアちゃんは確かに訓練を受けているから、並の人よりは動けるけれど、戦い方自体は普通の人だ。
でも、猛毒の呪いを帯びたという言う無二の力があるから、強力な騎士としてこの場に存在している。
実際に対人、それも一対一から複数まで万能にこなせるから、貴重な戦力なのは間違いなんだけれど、実をいえば多分、この子は長期戦が得意じゃない。
当たり前だ、血を使うということはそれだけ命に危険が迫る。血は命の象徴であり、魔力の籠る生物にとって特殊な液体だ。それを攻撃に使用し、垂れ流せば生命力という根幹に傷がつく。
「距離を取れ、近づかせるなァァァ!!!」
「が、ご………ッ………」
「頭目、一人やられた!」
「―――まだだ、まだ血を使わせろ」
あ、やっぱり彼ら、何かろくでもないこと考えてるね。
ミーアちゃんの戦闘の結果、さらに一人倒れた。けど、相手は徹底して逃げている。崖の向こうの戦場も段々と距離が離れていっているため、単純な視力だけでは目視も大変だ。
皆、縦横無尽に動き回るし………そのくせ、相手の武器は距離を無視して相手に当たるんだからちょっとチート臭いですよねぇ。
さて。じゃあ、その目論見を多少妨害しちゃいますか。
杖で地面を軽く叩いた。そして、タイムの形を象った煙霧を出現させる。
「いけ!」
伸ばす。単純明快に、それだけだ。
崖の向こうまで伸びていったその蔓草は、魔銃の幾つかを絡めとり、腐らせる。呪いには呪いをだよ。そのタイムの煙霧には俺の血が混ざっている。
………その銃に仕掛けられている呪いには良く効くだろう。
でも、残念なことに布に隠された”あれ”には近づくことすらできない。盗賊たちの守りが硬いのもあるんだけど、ははぁ………さては、あの布も守護の力が籠められた魔道具だね?
聖骸布というものがある。聖人の血が染みついた、特殊な力を持つといわれている聖遺物な訳だけれど、それと同じ気配がする。
うん。聖堂並みの防御能力のあるあれには、殆どの呪いは効かない。物理現象すら多少は防いで見せるから、火を投げ込んでも燃えないだろうね。
俺ですら作るのが面倒な布を覆い膜にしているとは………ちょっと、本気で厄介そうだ。それだけ死ぬ気で守りたいってことなんだから。
「………ありがとうございます、マツリさん」
「きにしないで~」
いや、多分聞こえてないけどね、俺の声。遠いもん。
俺の方は聞こえます。なんでって、そりゃあ遠視ならぬ遠聴の魔法使っているからね。補助魔法なら何とか、負担も少ないし、使うに限るのです。
防御は水蓮にお任せできているし。
「マツリ、待て。とびきり嫌な臭いがする」
「………ほんとだ。これは、何?黴たパンみたいな………いや、腐った死体みたいな、酷い臭いは………」
水蓮の声で、俺もその臭気に気が付いた。
ああ、これは―――水蓮の中に潜むコールタールの呪いのような、とんでもなく強烈な悪臭。その発生源は………盗賊団の頭目か!
コールタールにも似た臭いということは、あれの呪いは水蓮のものと同じ位に協力なものという証だ、ミーアちゃんにそれを向けられるわけにはいかない。
「三人目………四人目!あと、二人………!」
「頭目………!?!お、俺らだけだぞ、もう!」
「―――もう少しだ、もう少し経ったら、全部ぶちまけるぞ………テメエは向こうの魔法使いたちを牽制してやがれ!いざとなったら―――を使え!」
「りょ、りょうかい!!」
崖の向こうで残り二人の盗賊が慌ただしくなる。でも、絶望したような感情の香りはただ寄ってこない。
一発逆転の手があると、確信している。………させないよ。
さあ、深呼吸だ。体内に魔力を満たせ。そして、力ある言葉を発しろ。
「”翠の種、緑の根 冥界の香り立つは可愛く小さいお前の姿”!!」
瞳を翠に輝かせ、魔法を放つ。
使用するはハイジョンザコンカラー、ヤラッパとも言われるメキシコ原産の植物の魔法だ。
魔法に使われるのは根っこの部分。これを使うと、魔法や呪術を跳ね除けるという―――。
「………まだだ、まだ―――」
覚悟の匂いがする。意思を決めた時に発せられる汗と少しの血の匂い。
………間に合え、俺の魔法!
「”さあ行け さあ食え お前の腕はどこへも伸びる”!!」
「撃て!!!」
「………ッ!!!」
盗賊の頭目が叫んだのが分かった。
そして声の次に放たれたのは―――黒い、杭のような、なにかだった。
「なんだ、あれは………臭い………ッ、鼻が捻じ曲がる………!」
「血―――呪われた血………それも、あれは。あれは、千の夜に纏わる血だ………!!」
あれが奥の手ってこと?
ああ、まずい。俺の身体は千夜の魔女のもので、千夜の魔女っていうのはこの世界で最上位の呪いだ。
つまり、ミーアちゃんがその血液で殺せない数少ない存在の一つというわけである。俺が彼女に触れても問題ないのは、身体が千夜の魔女の呪いに塗れているためだ。
………それと同じ原理で、あの杭は。高速で魔弾と同じように射出されたあの血液の塊は、ミーアちゃんでは壊せない。
「………ぁっ?」
―――ぐちゃり。
そんな音と同時に、ミーアちゃんが倒れ込む。