黒霧の男
「………水蓮、立てる?」
「お前の方が重症だろう。―――単に魔術師がいるから口を開かなかっただけだ」
「あー、あはは………まあ喧嘩しないだけ仲良くなった方かな」
「殺すぞ?」
「殺すわよ」
「えー………」
息ぴったりだし、普通に仲いいと思うんだけどなぁ。
さて―――まあ冗談、というわけでは無いけれど、二人を怒らせてしまう思考は置いといて。
生贄すら生み出して逃げていった盗賊たちを追いかけるとしましょうか。はてさて、違えさせた道の先がどう転ぶのか………もうだれにも分からないけれど、それでも。
どうか、大切な人達に危害が及びませんように。
***
「ヒ………ヒィ!!!??」
「なんだ煩い、騒ぐな!」
「でも、でもよ………グラショの奴が………!!」
「ああ?一緒に転移しただろ―――ッ?!」
息をのんだのは、グラショと呼ばれた男の下半身が、下半身だけが転がっていたためだろう。
鼻を背けたくなるような異臭、血の匂いが漂ってくるくせにその下半身からは血は一滴も滴り落ちない。
当然だ。血の匂いはその生物だった残骸からではなく、転移した盗賊たちから漂っているのだから。
「やあ。どうかな、私のプレゼントは。いい道具だろう、自信作なんだ」
「………グラショの奴が死んだぞ………テメェ、知ったうえでこれを渡しやがったな?」
「当然だとも。それを作ったのは私だからね。機能の説明をし忘れたのは私のミスだが、まあ些細な問題だ。そうだろう、君なら分かる筈だ―――何の価値もない盗賊という稼業にしがみつく、それをこなすことだけしかできない君ならば」
薄暗い洞窟の中。そこが転移場所………盗賊団の頭目の前に姿を現したのは、まるで空間そのものに染みついた影のような男だった。
軽薄でいて、しかし思慮深いともとれる口調。姿はまるで黒い霧が集まったかのように不鮮明であるが、印象としては男性としての歳を着実に重ねた長身の男というものだった。
実際に姿は見えないはずなのに、そういう風に認識するのだから異常ともいえるが。
「それで、何か用かな?呼ばれてきたは良いが、説明も何もなしにとは流石に困る」
「………よく言うぜ、テメエの目なら何が起こったかお見通しだろうに」
「いやいや、私の目は万能ではない。想定外の事柄が起きれば目覚めたての眼のようにぼやけることもあるし、そのように私の目を己の意思でぼやけさせるだけの力を持つ者もいる。そして今回は後者のようだね、本当に私は君たちに何が起こったのか、知らないのさ」
「ッチ、まあいい。お前の事なんてなんだっていいからな―――用件は簡単だ、武器を寄越せ。魔女の街、カーヴィラの騎士と魔法使いが迫ってきてる」
「―――魔法使い?」
「ああ。魔術師もセットだ。どうせ分かってたんだろ、この展開もよ。グラショが死ぬことまで何もかも、掌の上だったんだろ?ならあるはずだ、お前が俺たちに渡す武器が………いや?使ってほしい武器がな!」
影の男は思案しているように見える。そして、先程口にした言葉を再度、口にした。
それは、男が初めて見せた人間らしい仕草だったが、それには、その男と最も長く接していた頭目ですら気が付くことは無かった。
幻影のようにその仕草も消え失せ、再び軽薄と思慮深さが同居した仮面のような口調と仕草へと変わると、影に覆われた掌が頭目の肩を叩いた。
「ふふ、あはは。もちろんだとも、君たちが使うべき、この状況を打開する武器を私は用意している。ビジネスパートナーだからね、君たちには是非とも生き延びてほしいのさ。ああ、軽薄に聞こえるかもしれないが、紛れもない本心だよ」
「今更そんな言葉、信用できるかよ。だが、お前の道具は信用に値する………さっさと寄越せよ、糞ったれな魔法使い」
「酷いことを言うね、いくら私と言えど傷ついてしまうじゃないか」
などと、欠片も感情のこもっていない口調で頭目に答えを返す男は、静かに地面を蹴る。
すると、地面の底に澱んだ闇が集まり、視界に捉えられない歪な”何か”が現れたのが分かった。
「さあ、存分に使うといい。私は君たちの味方ではないが、私の作ったこの道具は君たちの助けになる」
「………なんだ、これは」
「使えばわかるさ。だがこれは、純然たる君たちの力、君たちの足掻きの結晶。君たちにしか使えず、君たちだからこそ扱える。自由に使ってみるがいい」
「相変わらず説明の下手な野郎だ………ッチ」
頭目が吐いた唾が影の男の足元へと落ち、一瞬だけその姿が揺らいだ。
………ああ、成程。こいつ、魔法で姿だけを飛ばしているのか。いくらこの場所であったとしても、俺の千里眼ですら本来の姿を認識できないという時点でそもそもおかしい。
頭目には影ではなく人の姿が映っているだろうけれど、多分頭目の記憶を探ってもこの男の本当の姿は絶対に分からない。
見ている姿は常に別ものなのに、一切違和感を持たず幾つもの他人が一人の人間であると認識してしまっているためだ。魔法による洗脳、認識の攪乱だろう。もともと古くから生活に根ずく魔法は元来はそういう思考回路を始めとした認識野への影響の方が大きい。
だとしても、異常な力量だけどね。姿が欠片も似ていない、戸籍の証明ですら別人と現している他人を同一人物だと思わせているようなものだから、その異常性も理解できるだろう。
「誰かは知らないが、視ているな」
「あ?」
「………うん。まーね」
このやり取りは水蓮の夢の中で出会ったあの死神、過去の亡霊と酷く似ていた。
まあ、十中八九で本人だろうけど。あれはあくまでの夢に染みついた亡霊で本体と思考を共有しているわけじゃないから、今現在、俺の千里眼で認識している影の男は俺が一度亡霊と出会っている事実を知らない。
というか気づかれるのか、結構注意していたんだけどね。
「やれやれ、厄介な魔法使いがいたものだ。あの街で脅威に値するのはアストラル学院の長か、血塗られた伯爵夫人だけだと思っていたのだが」
「確かにあの凄腕の魔術師なら、お前にとっても脅威になるだろうね。伯爵夫人………カーミラ様については俺はよく知らないけど」
でもまあ、あの立地の街を管理しているのだから、カーミラ様も相当な実力を持っているんだろうけど。
「成程、退き時か。結末を直接この目で見れないのは残念だが」
「そっか。残念、一度お前とは会ってみたかったけど」
「止めておくのを進めるよ。どちらにとっても害にしかならない。さて、雑談もこの程度でいいだろう―――では失礼させて頂こう、二度と出会わないことを祈るよ」
影の男の姿が霧散する。
それと同時に、俺の視界に痛みが奔った………妨害されたようだ。
「ちょっと魔法使い、大丈夫なの?」
隣からミーシェちゃんの声がした。
ちょっとだけ目元を抑えてから首を振ると、隣のミーシェちゃんに告げる。
「うん。弾かれたけど、場所は分かってる」
というか匂いで分かっている。
妨害魔法によって千里眼での追跡は弾かれたけど、嗅覚の方で凡その場所は割り出しているのだ。だからといって油断はできないけど。
「黒幕、なのかな。多分一番厄介なことしている人。そいつはいなくなったけど、迷惑極まりない置き土産はあるみたい」
「今まで、つまり魔弾以上の道具ってことですか?」
「うーん、多分ね」
とんでもない対抗魔法が掛けられていたせいでその道具自体が何なのかは俺には見えなかったけど、とっても良くない匂いがしたので………ま、ロクでもないだろうなぁ。
水蓮の夢に登場した亡霊と同一という時点で、水蓮の事件に関係しているのは間違いがない。この仔自身は知らないだろうけれど、何かしらの干渉は与えている筈。
干渉、つまりは仕掛け、罠だ。
どこでそれを起爆してくるか、そしてそれを今の俺がどれだけ防げるか―――それが、置き土産の対策になるだろう。
あ。ちなみに俺は今、シンスちゃんにおんぶされています。正直歩く体力なかったし、杖に乗るにしても集中しての千里眼を使いながらだと危ないからね。
なにせ、この場所は………街からも見ることが出来る偽山、正式名称として”果ての絶佳”という名が与えられた巨大な崖の縁なのだから。