魔弾を喰らう花弁
「『―――煙りくゆるタイムの小枝、霧に交わるセージの葉香』」
杖によって叩かれた地面にうっすらと翠の光が奔り、一際濃い煙霧を生み出した。
「『女神の果実、美しきクインス 古き灰に沈みし街の影』」
身体中にトリスケルの紋様が浮き出て痛みを発する。今まででも一番の痛みだけれど、唇を噛んでそれを耐えた。
「『我らを守りし慈愛の乙女 災い祓う神の意を!!!』」
唱えし魔法はマルメロと呼ばれる果実の秘儀。
マルメロとは古代ローマ、ヴェスヴィオ火山の噴火によって灰の中に沈み、歴史から消え失せた都市、今日では名の知れたポンペイの守護女神、ウェヌス―――ヴィーナスに捧げられし果実だ。
元来この果実は様々な神々と深い関係を持つ物なのだけど、やはりポンペイ遺跡にも描かれていたという点からマルメロはヴィーナスと特に強いつながりがある。………愛と慈愛の神と呼ばれる、彼女と。
マルメロの種子を持ち歩くと事故を回避できるという古くからの言い伝えにより、この魔法はありとあらゆる身体的な危害、事故から身を守る力を持つのだ。
うん。こういう能力だから本来ならばこれだけでいい。どんな重大な事故も、この神話の時代の魔法で防ぐことが出来るから。
しかし、相手にはまだ、もう一手危険な要素がある。そう、秘術を無効化する魔弾のことだ。
「この規模の魔法まで防げるのかは分からない、けど………でも」
水蓮に傷を与えた銃弾と同じ匂いを感じるということは、その危険性は大いにある。
盗賊団からしてみれば、中の宝物さえ手に入れば良いので同乗者の人間が死んでも問題ないと考えている筈。つまり、命を奪うことに容赦も躊躇もないので、列車がここで脱線するとみんな大変なことになりますね、はい。ということで念には念を入れなきゃいけないのです。
「ぁ、………っ!!」
「マツリさん?!血を、血を吐いて………」
「ん、大丈夫だよ………まだ、大丈夫」
ゆっくりと、駆け寄ってきたミーアちゃんの頭を撫でて遠ざける。危ないからね。
最初に唱えた魔法の力が籠められた煙霧が列車を覆う。その後、すぐに杖で地面を叩きなおし、新しい魔法を唱えた。
流石に血を吐いたけどね。いやあ、神様に連なる強力な魔法を扱うと身体にかかる負担が大きくて困っちゃう。
………あまり、余裕ではないんだけど。正直に言えばすぐにでも意識を手放したい。一人だけだったら間違いなく倒れているだろう。
助けたい人が、助けたい仔がいるから、なんか頑張っちゃうんだよね。人間なんて、そういうものだろうけど。
「『理守りし月の女神、祈りに輝く花の冠 我が命を貫くものはなく―――我が心は月ある限り守られる………!!!』」
次いで唱えるのはアマランサスの魔法。
どんな銃弾からも身を守れるとされる、月の女神アルテミスの加護を身に宿す魔法だ。
アステカ族も儀式でこの薬草を使っていたとされ、他の異教徒も葬式の際にはこれを用いていたといわれている。とにもかくにも月と関係性の深いアマランサスは、やがてギリシャの月女神と繋がりを見いだされ、防弾の盾としての役割を持つことになったのである。
因みに一時的にではあるけれど、死者を呼び起こす力もある。あまり、そっちの方は使わないけどね。死人を起こしても碌なことないし。
「………ふ、ぅ………」
ああ、やっぱりかなりつらい。
それでも魔法は発動した。煙霧はやがて花の形を象り、列車の周囲を漂う―――アマランサスの煙の花がきっと、魔弾をも止めてくれるだろう。
後は、そう。
俺が呪い返しの痛みにどれだけ耐えられるか、だね。
「―――ほら、来た」
「発砲音………盗賊団の方から………」
鼻につくのは火薬の匂い。身体に感じるのは、酷く思い重圧だ。
魔法の気配を察知して魔弾が放たれた。多分だけれど、魔弾自体に魔法を察知する能力があるんだと思う………盗賊団の中に、秘術を扱える類の人間はいないからね。
強い魔力を宿した人の匂いは特徴的だ。俺みたいに嗅覚が人並み外れて良いものならすぐに理解できる。
危険だなぁ、秘術の認識も出来ない人が、魔法や魔術に由来する道具を持つことほど厄介なことは無いというのに。
んー!ま、ぐちぐち言っても仕方ないよねぇ。とっ捕まえたら魔弾の出所について聞くとして、まずはここを耐えないと!
「っ、ぅ………!!」
放たれた銃弾は弧を描きながら列車へと向かう。より正確にいえば列車を覆うマルメロの魔法に向けて、だ。
しかしそうはさせない。銃弾の進行ルートを潰すようにしてアマランサスの花を象った煙霧が動き、魔弾を包み込んだ。
直後、俺の脳に強い衝撃が走る。さらには心臓まで、強く握りしめられるような痛みを感じた。
………呪い返しだ。
俺の魔法、銃弾から身を守るアマランサスの魔法を魔弾が喰っているのである。
「ああ、抜けられた」
花が散り、煙霧が解ける。アマランサスの魔法が一つ、砕けたようだ―――でも大丈夫。まだまだたくさんあるからね。
さらに幾つもの花弁が魔弾を包み、その威力と込められた魔法を消し去っていく。あはは、一応俺の身体は千夜さんの肉体なので、魔法の腕もそれに準拠しているからね!―――あんまり、舐めないでほしい。
己の瞳を強く、翠に輝かせながら。血反吐を吐き続けながら、俺はさらに杖で床を叩く。
「喰らいつけ!!」
俺の言葉に従い、さらに煙霧が生み出される。
形勢逆転だ、消し飛ばすような勢いで魔弾の呪いを滅していくアマランサスの魔法………しかし、その途中で俺の視界がぐらついた。
「―――マツリさん………!」
「あ、ごめん、ミーアちゃん………」
倒れたみたいだ。でも魔法はまだ使えているし………ちょっと手に力はいらないけど、杖はきちんと握っているし。
大丈夫、まだ動ける。
「………手を寄越せ。私が手伝ってやる」
「ありがと、水蓮………ふふ」
やっぱり君は優しいね。
思わず、こんな状況だというのに頬が緩んでしまった。
水蓮と手を繋ぎ、魔力の回路を繋ぐ。
「しっかり寄越せ。お前の方が負荷が多い」
「ありゃあ、ばれた?」
「当たり前だ」
怪我人にあんまり無理させたくないだけなんだけどね―――でも、ちょっと助かる。
これなら意識を失わずに済むかもしれない。
魔法と魔法のぶつかり合いは、物理現象とは大きく性質が異なる。魔法を破られれば、魔法を使っていた人間に対してフィードバックが訪れるのだ。人を呪わば穴二つってまあ、そういうことだね。
これは割と有名な話なんだけれど………ここでさらに情報を付け加えるとすれば、そもそも使用していた魔法や呪いに応じてどういうフィードバックが来るのかすら異なるので、完全な対応が難しいっていうのが魔法の大変ってことかな。
痛みとして感じるのはシンプルな呪い返しだけど、魔弾の呪いとぶつけ合うなんてそうそうないからね、痛みの度合いも過去最大です。過去って言う程、魔法使い歴長くないけどさ。
そんなわけで呪いと魔法を使ったことによる激痛で軋む身体だけど、水蓮と感覚を繋ぐことでその呪いの痛みを半分渡し、軽減する。それによって意識が保たれたため、魔弾の駆逐速度も上昇した。
「『勝手に通信切るな、魔法使い!………魔弾、放たれた奴は全部消えたわよ!』」
「ん、了解だよミーシェちゃん」