旧き夢の別離
「………」
「なにか、いってよ………話、しよー?」
「う、ん………」
空元気でさらに気を使って。
そんな少女を見てミーアちゃんも段々と口数を増やしていく。会話をすることで少女の痛みを紛らわせようとしているのだろう。
ミーアちゃん自身だって痛いだろうけどね。この子は普通の人間だ、腕にひびが入って、さらに身体中の血液が暴れ回ったせいで全身がぼろぼろで―――それでも、お互いにお互いを気遣っている。
二人の足元には血が垂れ落ち、そしてその血は地面に生える草花を枯らしていく。
痛い、痛い、苦しい、ごめんなさい。そんな気持ちが匂いとなって夢の中を浮遊する俺の鼻孔を刺激する。夢だけど、いいや夢だからこそ感情が実際に香りとなって漂うのだ。想いと記憶が集まったものだからね、当然だ。
「私、姉さんがいるの………がさつで、男っぽくて、でも綺麗でかっこいい、憧れの人………」
「褒めてるのか、貶しているのか、微妙なとこ………だね………?」
「一応、褒めてる………あと、私たちの面倒を見てくれてる先生がいるよ………」
「先、生………?」
「そう………シルラーズさん………二人は、二人だけは………私の血に触れても、呪われない………」
ぼそりと呟くミーアちゃんの言葉の中に見知った名前が出てきた。シルラーズさんは、そうか。
この夢が具体的に何年前なのかは分からないけど、このころはまだ学院長じゃなかったんだろう。だからこそ、先生と呼んでいた………でも、そっか。ミールちゃんとシルラーズさんだけはミーアちゃんと普通に接することが出来る。
完全に孤独というわけでは無い、というのは救いと言えるのかな。
―――あ、そっか。それとこの夢では遠い未来の話だけど、俺もまた呪われない人の一人なのか。まあ、半分人間じゃない………と、違うか。だからこそ呪われないんだけど、ね。
「………ふふ、私だって、別に、呪われて、ないよ………?」
「傷を、負ってるのに何を」
「呪いって、嫌な目にあったり、嫌な気持ちになるんでしょ………?私………今、痛いは痛いけど、別に………嫌じゃないよ………」
―――だって、友達と一緒にこうして並んで歩いているんだから。
本当に、ごくごく当たり前のように少女はミーアちゃんにそういった。微笑みすらその顔に交えて。
驚きを顔に滲ませるのは、ミーアちゃんだ。
何度も瞬きをした後に、小声で「友達………?」と呟くと嬉しそうに微笑んで、そして涙を零した。
「え、ちょ………ミーア!?」
「………なんでも、ないよ。私、頑張る………血を毒にしないように………あなたの友達に、なれるように………」
二人の歩く速度が少しだけ上がった。
うん。過去だって、夢だってわかってるけどね、ちょっとその様子に嫉妬してしまう俺がいる。やっぱり俺は外から来た人間だって見せられているようにも感じてしまうのだ。
まったく、我ながら狭量な人間だなぁ。治さないと。
立ち止まった足を動かし、二人の後を追う。意識が止まってしまったから身体も停止してしまうのだ、夢ならではだよね。
「段々と最初の風景に近づいてきたかな」
周りの景色を見て呟く。森の入り口、ミーアちゃんが逃げ出して少女が追いかけた入り口近くに二人がようやく戻ってきていた。
すぐ近くに人の匂いもするし、もう人間の領域だろう。
「ねえ、頑張って………あと少しだから、意識を………!」
「大丈夫、大丈夫だよ………っ、………」
しかし、そこに辿りついた時にはもう、少女は意識を失いかけていた。
腕には裂傷にも似た酷い傷跡が発生しており、腕を起点にして呪いのような血の力が這いまわっているのが見て分かる。
「―――ッ!!」
誰かが、誰かの………恐らくは少女の名前を呼んだ。
そしてそのまま、
「どいてよ、化け物!―――ちゃんから離れろ!!」
ミーアちゃんを手に持った太い木の棒で突き飛ばし、少女だけを助けていった。酷い言葉を吐き捨てつつ。
「あ………」
茫然と地面に尻もちをついたミーアちゃんは折れた腕を少女に向けて伸ばしたが、直後に投げ付けられた石が額に当たりその腕を戻してしまう。
―――幾つもミーアちゃんに向けて投げられる石、投げているのは何人もの子供たち。
怖いもの、知らないものを排斥しようとするその感情は分かる。多くの人間が異質と感じる存在に対して否定的になり、攻撃するのは生物の性だ。
それでも。傷だらけの女の子の傷口をさらに抉る様なその行為は、ちょっと賛同は出来ないよ。夢の中だけど、ちょっと俺は怒っています。
「待って、私まだ………名前を………」
「うるさい、しんじゃえ!!」
段々と礫の音が硬質になっていく。なんども「待って」というミーアちゃんの声は誰も聞かず、意識を失った少女をやってきた大人たちが担架に慎重に乗せて運んで行った―――大人たちは誰も、同じように傷だらけのミーアちゃんに見向きもしなかった。
ただただ、迷惑そうな目を向けただけだった。
最後に残ったのは、一人森の中で仰向けに倒れて空を虚ろな瞳で眺めているミーアちゃんだけ。
思わず傍に駆け寄って………無意味だと分かってはいるけれど、手を握った。
「友達………やっぱり、私は持っちゃいけない………そうだよ、ね………」
「―――そんなことない」
「呪われてるんだもんね………この、穢れた血のせいで………傍に誰も、いられない………」
「そんなの、呪いにもならないよ」
どうせ聞こえない言葉をそれでもかけて。
「嫌だなぁ………私は、私が大っ嫌い………」
そして、夢の場面が切り替わった。
***
「起きたか、ミーア。目覚めの気分はどうだ、身体の調子は万全だと思うが」
「………先生………」
「ああ、そうだ。お前たちの先生、シルラーズお姉さんだぞ」
暗転した後に俺の目がとらえたのは、相変わらずの深紅の髪、咥えただけの火の付いていない煙草と白衣の姿をしている、若かりし頃のシルラーズさんだった。
部屋は多分、シルラーズさんの家のどこかだと思う。間取りに見覚えがあるのだ。内装などはかなり変わっているみたいだけど。
それにしても、若かりし頃のシルラーズさん………いや、あれ?今とほとんど変わらないような。うん、まあいいか!多分年齢に関しては俺もいずれ同じような突っ込みをされそうだし、盛大なブーメランになりかねない。
「気分は、最悪です………」
「だろうな。ちなみに私も最悪だ。なんか知らん人間が急にやってきて女児が危篤状態になったのは私の管理不足だのなんだの煩く騒いでね―――あの少女を治してやったのは私なのだから、逆に感謝してほしいくらいだが」
「………あの子、は?」
「生きているよ。まあ、記憶に障害は残りそうだが。といっても些事だよ些事、お前とのやり取りの多くを忘れてしまうだけさ」
「そう、ですか………」
「残念か?なら会いに行ってやるといい。あの能天気さなら喜ぶだろう」
「いえ………きっと、会わない方が良いと思います………私の事なんて、忘れた方がいい………」
俯いたミーアちゃんを見てシルラーズさんは溜息を吐くと、そのまま朱色の髪を撫でた。
「ま、お前が言うならそうなんだろうね。どうでもいいがさっさと元気出してミールに姿を見せてやりな。多分殴りかかってくるが」
「………はい、大人しく殴られてきます………」
「はははは、精々お大事に~」
扉を開き、部屋を出ていくミーアちゃんに対して軽く手を振るシルラーズさんが、完全に扉が閉まる前にミーアちゃんに向かって「ああ、それと」と声をかける。
「―――記憶は脳だけに宿るものではないよ。強く焼き付いた感情はいつの日か、必ず行動へと変わるものだ。二度と消えぬさ、お前が彼女につけた傷と一緒だよ」
「傷を、私は………彼女につけてしまったのです、ね………」
「ああ。もっともそれも些事だろうがね、少なくとも能天気娘にしてみたら。………ミーア、今は忘れてしまうかもしれない、だが彼女の名前は聞いておけ。お前を助けようとしたあのお馬鹿な娘の名は―――」
シルラーズさんの唇が言葉を形作り、そしてそれが音と変じる前に………この夢は解け、現実へと俺の身体は浮上していった。