踊る血煙
ぐつぐつ、ぼこぼこ。
音にすればそのような感じだろうか。気化した血液が意思を持ったかのようにドゥアガーたちを取り囲む。いや、それはもう呪いへと変じた、今の今まで血液だったモノだ。
ドゥアガーが叫び、慌て、そして首を掻きむしる………ガリ、ガリ、ゴリ、ゴリ。
血の霧に縛り付けられたドゥアガーの一人が斧を振り上げるが、その直後に手が腐り落ち、斧ごと落下する。その他のドゥアガーも身体が腐っていき、ぐちゃぐちゃの液体へと変じていった。
「………これは、一体。いや、うん………」
過去の夢ではあるけれど、俺の五感が感じるものは現実と同一だ。そのため、血が発する匂いもまた俺の嗅覚によって理解できてしまう。
―――これは、特異なる人と魔の血。半分だけ、というものではなく奇跡的に混ざり合った、人にも魔にも等しく猛毒として作用する、特別な血液。
自然界によって生じた砒素が多くの生物にとって猛毒となるようにミーアちゃんの血液もまた、人と魔の狭間に在りながらにしてどちらをも殺すことが出来る力を帯びている。さらに言えば、それは魔力といったものではなく、血の性質そのものに特別性が備わっているのだ。
あちらさんのもつ不定形の肉体と人の身体。それが血液の中で混同していて、それが純然たる物質であるのにミーアちゃんの意思によって形を変え、性質を変容させる液体を作り出している。
そんな血を持つミーアちゃんの正体は、きっと―――。
「ト。ケル、シ、ヌ。イタイ、イタイ………」
「オレタチ、キエル?ヒト、ナンカニ、コロサレル?」
ぐちゃぐちゃになったままドゥアガーたちが嘆く。本来あちらさんの嘆きには呪詛やら呪いやらと呼ばれる力が宿るけれど、俺の呪いまみれの身体に呪いが効かないように、より強力な呪いに近い能力を持った血液に侵されているドゥアガーたちの言葉にはなんの効力も宿らなかった。
そして完全にドゥアガーたちが溶け切ると、気化していた血液が急に液体に戻り、地面へとべちゃりという音をたてて落下する。赤黒い血が砂利の上に染みついた。
ミーアちゃんの血液は呪いには近いけれど、魔術や魔法では決してないからね。こうしてミーアちゃんの敵意が消えれば元の血液へと戻るのは当然である。魔力の宿った道具………その中でも聖遺物といったものに近いので、特定のアクションを起こした場合以外は普通の血液に見えるのだ。本人には厄介なことに、見かけだけは、ね。
でも、その血の力を使うにはある程度ミーアちゃん自身にも負担がかかるらしい。地面には、戻った血液以外にも真新しい血液が流れだしていた。
血を辿れば、身体のあちらこちらから出血をしているミーアちゃんの姿。あまりにも、痛々しい状態だ。
血を操るという抽象的な能力では、身体の外に出た血と中にある血を明確に分けることが出来ないのだろう。少なくとも、この夢の中のおさないミーアちゃんにはまだ無理だった。
………いや。それにしても、人の身にはちょっとばかり―――いや。かなり手に余る血液だろう。魔を滅するために魔を宿す、という秘術があるけれど、奇しくもミーアちゃんの血液の配分はそれにとっても近い状態になってしまっている。
魔を滅し、人すら呪い殺せる力が本人の意思とは別に宿ってしまっているのだから。
「そりゃあ、人と触るのを怖がるわけだよね………不用意に触れたら、そして敵意を持ったら」
自分の体の中の血が暴走して、相手を殺してしまうかもしれないんだから。
―――でも、ああ、でも。これは、勝手に知っていいような秘密じゃなかったんだろうなぁ。少し前にミーアちゃんの地雷を踏んだ時のことを思い出す。
俺が魔力についての質問をしたとき、あの子は悲しそうな顔をしていた。うん。間違いなく言いたくないことだったんだろう。
それを知ってしまった………あー、ミーアちゃんになんて言おうか。絶好とか、されたら嫌だなぁ。
ミーアちゃんのこと大好きだもん、嫌われなくないし。
「ミーア!もーう私、今から下降りるからね?!」
「………駄目、来ないで」
血に汚れた顔で、泣きそうな顔でミーアちゃんが顔のぼやけた少女に言う。
小さな声で、決して来ないでなんて思っていない表情で。………少女の顔がぼやけているのは、ミーアちゃんのなかでこの少女は涙で滲んだ視界の中で見上げたから。涙で前が見えない、そんな状態で見た時の印象がとっても大きな子だから。
だから、顔が分からないのだ。
「私の血は、猛毒だから………触ったら、危ない」
少女が崖の窪みから身体を滑らせつつ底へと移動する。
よく見れば少女にも何箇所か擦り傷や切り傷があったが、そんなことには一切頓着しないらしい。
ミーアちゃんをみて「わっ!」と声を出した少女は、急いでミーアちゃんの傍へと駆け寄った。
「そっかぁ。あ、手握るね」
「あの、話………聞いてる?」
「聞いてる聞いてる、危ないんでしょ?でも、ミーア血流しっぱなしだしそっちも危ないじゃん?」
「………死んじゃうよ。私、人殺しになりたく、ない」
「大丈夫!私は死なないから!」
何故か胸を張ると、手を掴んでそのままミーアちゃんを持ち上げた。
腕を首の後ろに回すと、よっこらせなどと若干おじさんっぽい声を出しつつふら付くミーアちゃんと一緒に歩き出した。
―――そして直後に異臭。焼けるような、或いは焦げるような匂いが発生する。
「やめて、離して………離してよ、腕が………腐っちゃう………」
「んー、でもさぁ。私が追いかけまわしたせいでここにいるんだし、何が起こったかは分からないけどミーアに助けられたっていうのは分かってるし」
ミーアちゃんの血が触れた少女の腕部分が煙を上げる。
本来ならば特異な性質を持つ血液であっても、制御は可能だけれど、それはあくまでも本人が秘術に携わる場合の話だ。
ただ血が特別なだけの一般の人では、自由に性質を操作することなどできる筈もない。そもそも、今のミーアちゃんが人に触れるのを怖がっているという事は現在の状態でも完全な制御は出来ていないということである。
………過去のこの夢の中では、ミーアちゃんの血は常に暴走している状態と見て間違いがない。ならば、尚更に血の毒性は強いだろう。
ミーアちゃんの血は同じ性質を持つ本人や近親者にはあまり効かないけど、他人には本当によく作用する―――うん、輸血における血液に例えればわかりやすいかな。
A型B型O型、或いはAB型。さらに細かく分ければもっと複雑になっていく血液の形には、万人に輸血が出来る特殊な血もあれば、逆に数人しか持っておらず、その数人間でしか輸血することが出来ないとっても珍しい血液型も存在する。
メンデルの法則に従って、劣性遺伝の血液ならば他の血液の中に入れても混ざるけれど、通常は本人と合致した血液じゃないと輸血された人は死んでしまう。
世界で最も特別な血であるミーアちゃんの場合は、輸血ではなく接触ですらその拒否反応が引き起こされる形に近いわけだ。
人とも、あちらさんとも違うから。唯一無二だからこそ、ミーアちゃんは一人になる………歯がゆいなあ。
「それに、腕一本で可愛い女の子助けられるなら、全然いいんじゃない?」
「………っ、馬鹿………」
「馬鹿で結構だよ~?それとも、ミーアは………一人がいい?」
「―――っ、ぃや、それは………」
「なら私についてきなさーい………ふ、ぅ」
そして、この女の子は本当にいい子だなぁ。でも、それはそれとして傷を負うのはあまり良くないことだよ。俺が言うのものなんだけどさ。
「本当に、腕………使えなくなるかも」
「いいよ、ふぅ………はぁ。腕の代わりに、ミーアが友達になってくれるなら、さ」
「………だめ………」
「あら、ら。残念だな、ふ………はぁ………」
森の奥から街の方へとゆっくりと戻っていく二人の足は非常に遅く、段々と少女の身体には汗が滲んでいく。
背中までびっしょりと濡れているのはただの疲労だけではないだろう。うん、魔法使いである俺ならば見るだけでもわかるさ。
間違いなく、ミーアちゃんの血という毒に侵されている。
ミーアちゃんもそれには気が付いていて、でも空元気丸出しで笑う少女に何も言えないでいるのだ。