アルモ
まだ身体を取り戻してはいないだろう。現実に身体を生み出すにはもう少し時間が必要だ。
まあ、アハ・イシカである水蓮ならば一時間ほどで元に戻るだろうけどね。流石強力なあちらさんというべきか。
俺の心臓もゆっくりと動き始めた。やっと呼吸が出来る。半分人外とはいえ、人間的行動をすることが出来ないという負担は魂にかかる。俺の心はまだ、普通の人のつもりなので。
………さて!まだ出産の全ては終わっていないので、最後まできちんとやり遂げるとしましょう!
「―――では、後産も終えてしまいましょうか」
分娩第三期。通称後産と呼ばれる、胎盤が剥離して出てくるそれ………うん。
結果だけ言えば、赤ちゃんを産むよりはずっと簡単でスムーズに事を終えることが出来ました。それこそ特に何も言うことがない程にね。時間でいえば一時間くらいだ。
ちなみに胎盤っていうのは漢方とかでも薬として使われるんだけど、今回は普通に捨てちゃいます。薬草魔法を得意としている俺は、漢方薬の作り方とかも分かるけど、知り合いの方のそれを薬に再利用するのはちょっと何とも言えない気持ちになるからね。
汗で若干透けている服を手で掴み、ぱたぱたと仰ぐ。
「おー!ふあーー!!ちいさい!………かわいい!」
お父さん、ジヴァンさんと一緒にハレアちゃんが赤ちゃんの手を握る。目を輝かせている様子はなんとも可愛らしい。
ふふ、君の妹になる子だよ。
あ、そういえばまだ聞いていなかったことがあった。
「その子の名前は、なんていうんでしょうか?」
「………女の子の時は、アルモです。”調和”から言葉を頂きました。私たちを繋ぎ、結ぶ愛らしい子です」
調和、ハーモニー。或いは、アルモニー。
すっかり忘れていたけれど、そっか。ナウィルさんとハレアちゃんは血がつながっていない。連れ子だから。
ナウィルさんはそんなことを一切気にせずに愛情を注いでいるし、ハレアちゃんもよく懐いているけれどね。調和の子というけれど、この子は既にある家族の調和の中に入り、より強くしてくれることだろう。
「ナウィル………ああ、ナウィル。良かった、本当に無事に済んで………」
「あ、ちょっと………ジヴァンさん。泣かないでください、めでたいことなんですから」
「そうはいってもなぁ!俺は全然家に居られなかったし、ハレアはまだ小さいし!死ぬほど心配してたんだぞーーー!!」
「はいはい、うふふ。心配ありがとう、ジヴァンさん。もう、子供みたいにお腹に顔を押し付けないでください、そこはアルモの場所ですよ?」
「今だけは俺の場所で頼む………」
「しょうがないですね、ふふ」
足元で影が波打ち、一瞬だけすすり泣くような声がした。
水蓮、見ているかな。君が救いだし、結果として守った家族の形が目の前にこうして広がっているんだってことに。
君自身はこれを一体、どんな気持ちで見ているのかは分からないけれど、でも嫌だっていう気持ちだけではないはずだよね。
「―――」
音のない声が耳に届く。感覚としては囁き声に近いかな。
「なんて言っているのか、分からないよ」
心が定まっていないからね。身体が存在していないため、尚更に心そのものが伝わってしまうのだ、心そのものの方向性が決められていなければ届きようがない。
………まあ、とりあえず。出産が無事に終わってくれてよかったなぁ。
ほっと一息。この世界に来て魔法使いになってからも、もちろんそれ以前の元の世界に居た時でも出産なんて立ち会ったこともなければ経験した事もない。あるのは知識だけだった。
正真正銘の未熟者だけど、水蓮の助けがあってどうにかできた。うん、俺の実力じゃないのは分かってるさ。助けられて、助けることが出来たのだ。
「………あ、安心したら眠気が………」
安心したというだけじゃないね。呪い返しなど諸々で体力が削られていたからそれもある。
そもそも、もう十数時間も活動しっぱなしなんだよね。ナウィルさんもその間苦痛と戦っていたわけだからみんな疲れているだろう。ハレアちゃんも若干欠伸をしている。
しかし、片付けはしないと。うん、胎盤とかはさくっと灰も残らずに燃やしてしまって、それから羊水が染みこんだ布なんかも燃やしてしまって。
ナウィルさんをきちんとしたベッドに移してから栄養満点の食事を作ったら、ようやく完全に終わりって言えるだろう。
「がんばる、ぞー」
………ジヴァンさんとハレアちゃんにも手伝ってもらっていいよね?
***
そんなわけでなんとか無事に終わった今回の出産。
俺は片づけた後に皆に一言言ってから速攻でぶっ倒れてしまったので、少し心配だったんだけど、全然大丈夫そうで何よりだ。
急に赤ちゃんが体調を崩すこともあり得るので、目を離すべきじゃなかったんだけど、本当に申し訳ありません、体力が持ちませんでした………。
「俺、多分前の身体よりも体力落ちてるよなぁ」
などと思いつつ。身体が変わってしばらくたってるけど、最初の方はアストラル学院の保健室で寝てばかりだったし、余計に体力が低下しているはずだ。魔法使えるようになって空を飛んだりできるようになったからそれもあると思います。はい。
車に乗り始めて運動しなくなって、体力が途端に落ちた人の気分を味わったよ。それはさておき。
「あ、おはようございます、マツリさん。ジヴァンさんにお願いして布団に運んじゃいましたけど………よく寝れましたか?」
「はい、とっても!すいません、途中脱落するなんてまだまだだとジッカンシテマス………」
出迎えてくれたのは、片手に赤ちゃん―――アルモちゃんを抱えたナウィルさんでした。まあ、椅子に座っているけどね。
代わりに家事仕事とかしているのはジヴァンさんだ。
「えっと、ハレア………鍋どこだー?」
「おとうさん、ここだよー」
「おっと、そうか。………えー、野菜を………こう切って………えー」
慣れなさそうだけどね、まあそれは毎日飛脚として世界を駆けまわっているから仕方ないことといえる。
家事などをする時間も取れないだろう。手紙を届ける、荷物を届けるって中世世界においてはとっても大事なことだけど、それと同じくらい難しいことだったのだから。
魔法や魔術があっても、ほとんどの人は荷物を瞬間的に移動させられるわけでは無い。電話はあるけれど、あれは秘術を用いたものだから普通の人が使うには難しいし。そもそもあれ、内線みたいなものであって広範囲には、具体的に言うと街から街といった距離には対応してないんだよね。
「赤ちゃんの体調は大丈夫ですか?」
「はい。とっても元気ですよ。………ところで、スイレンさんの方こそ大丈夫なのでしょうか。私、とっても助けられたと思うんです」
「ああ、あの仔なら―――大丈夫ですよ。俺の中にいますから」
「中に?」
首を傾げるのもしょうがないよね、中にいるって言われてもよく分からないだろうし。
「さて!俺もご飯作るの手伝いますよー」
「いえいえ、そのまま休んでてください。昨日とっても助けて頂いた恩人ですから………ふふ、ジヴァンさんもいますし、それにハレアも一緒に楽しそうにやっていますから」
「………ん、わかりました。じゃあお言葉に甘えて」
あ、そっか。ハレアちゃんにとっては久々のお父さんとの再会になるのか。飛脚をしていれば家に帰るのも難しい。今回戻れたのは、俺が家に戻ってきてくださいっていう手紙を直接魔法で届けたからであり、特別中の特別である。
―――俺をこの家に呼んだ、行動力のあるハレアちゃん。
お母さんのためを思って行動したその勇気に対する報酬と言えるのかもしれない。うん、これは俺が手伝ったら逆に邪魔になるよね。