難産の兆候
「気負いすぎだ。ふん。最悪、私がどうにかする。問題ない。………いや、私たち、だが」
「私、たち?」
「お前と私は今、一心同体だろう。私の為したことはお前の為したことだ。………いや、余計なことを言った。いいから、お前は普通の仕事だけしていろ。いいな」
あれ、どうやらものすごく励まされてるらしいよ、俺。
励まし方がぶっきらぼうというかなんというか………結構意地っ張りの水蓮らしい口調だけど、うん。ちょっとだけ、いつもの俺に戻ってきた。
しっかりと息を吐く。息を吸うためには息を吐き切らないといけない。
泳ぐとき、意外にも大事なのは息を吸うことはなくて吐くことなのだ。満杯の肺に新しい空気は取り込めない。パニックになると過呼吸気味になるのは、脳が酸素を欲しがっているけれど、身体が慌てて肺から空気を出せない状態にあるからである。
だから―――ちゃんと、呼吸をしないとね。こういう時こそ落ち着いて深呼吸ってやつだ。
「よし………!」
これでしっかりいつも通り。さて、じゃあ無理のない範囲で無理をしましょうか!
「………『煙りくゆるタイムの小枝、霧に交わるセージの葉香』………」
痛みを抑える魔法は積極的に使っていく。無痛分娩は昨今流行っていたからね。
わざわざ痛みを無理して受け止める必要なんてどこにもない。まあ、それでも痛みを完全になくしてしまうのは逆に危ないので、和らげる程度なんだけど。
様々な香りの煙が部屋を舞い踊り、幾つもの魔法が発動する。ナウィルさんの表情が少しだけ緩まった。
うーん!身体が結構軋んでいるけれど、頑張るよー!
治ってきたとはいえ、本調子には程遠い身体での複数魔法の行使は負担が地味に多い。そもそも俺は色々と魔法を使ってはいるけれど、魔法使い歴は短いからまだ魔法自体になれていなかったりする。
知識さんがいるから人並み以上に使えてはいるけど、使いこなしてはいないのだ。借り物の知識と魔力量で経験を補っている感じだね。
「まだ、逆子のまま、か」
ああ、ついでに見える。あまり表現するのは失礼だから言葉にはしないけど、もうそろそろ潜伏期が終わるだろう。
経過時間は十二時間。魔法で痛みを抑えてはいるが、どうしても陣痛がやってきたときには唸るためナウィルさんの声も少し掠れていた。
ここからはさらに間隔が短くなり、陣痛が起きている時間も多くなる。痛みという予兆をなくしきってしまわない程度に、魔法の鎮痛を調整しないといけない。
………ここまで継続的に、長時間魔法を調整し続けるのは初めてだ。簡単な魔法を同時に幾つか使うことや、大規模な魔法をどかんと使うことはあるけれど、それらはどれも殆どが一瞬で済む物ばかりだった。
予知夢を見せる魔法ですら、実際の現実的な時間は短い。半日以上、複数この魔法を同時に発動し続け、さらに効果量をそれぞれ変えるという慣れない作業のせいで、俺の服は既に汗で湿っていた。
「んー、あっつい………!」
もう服も脱いでしまいたい。顎の下に垂れてきた雫を手で拭い、冷水に浸して絞ったタオルでナウィルさんの身体を拭く。
水蓮は良く働いてくれている。ハレアちゃんも、ナウィルさんの手を握ってがんばれがんばれと、応援を続けている。少し朦朧とし始めた意識を頬を叩いて引き戻し、一杯水を呷る。
集中力を維持するには水分が必須だ。半分人外である俺も人間の生活が根底にあるため、同じように水分を補給した方が頭の回りが良くなる。
もう少し人間やめればそれもなくなっちゃうかもだけど、今のところこれ以上人間から離れるつもりはありませんので。まあそれはいいや。
「う、い………たっ………?!!」
「ナウィルさん!?」
「いた、みの、感覚が………は、ふぅ………」
「痛みの間隔が短くなってきたんですね?」
「………っ!!」
陣痛が発生している最中は言葉を発するのも難しいらしい。ナウィルさんは頷いて俺の言葉を肯定すると、下唇をぎゅっと噛んで痛みに耐えていた。
もう加速期に移っているんだ。この時期は痛みが潜伏期の半分程度、五分近い間隔で襲ってくる。しかも潜伏期よりも痛みの度合いが大分大きい。
香りの魔法の効力を強め、痛みをさらに抑えるようにして、さて。
―――どうするべきか。
現在逆子は治っておらず、一番長かった潜伏期は終わり、加速期が始まる。初産ならこの加速期までに時間が掛かるのが一般的であるため、もう少しの猶予はあるけれど、それもたかが知れているだろう。
破水はもちろんまだだ。出産が実際に始まる前に破水してしまう事例もあるため気は抜けないけど、とにかく今は問題にはなっていないというのが大事。
「お腹の中に道を作る………?いや駄目だ、安定しない。そもそも赤ちゃんが道を安全に通り抜けられるとは思えない」
帝王切開は選択できない以上、魔法を使ったそれに似た手法を探してみるも、どれもこれも魔法使いとしての適性がなく、自我も薄い赤ちゃんには危険度が高い。
”妖精の通り道”なんて妖精の国や常若の国に迷い込む可能性すらある。………案内人がいないと、道は通せない。
仮に案内人がいても、今度はナウィルさんに危険が及ぶだろう。身体の中に異界への道を繋ぐなんて、なにが起こるかわからない。
やはり安易な手段は取れないか、なら魔法で完璧な治癒をする前提で無理矢理帝王切開をする………?ううん、絶対無理。今度は俺の身体と魔法の技量が追い付かない。
仮にできても、赤ちゃんを取り上げた時点で俺は数日はぶっ倒れるだろう。後始末はどうするんだって話になる。
出産は赤ちゃんを取り上げたら終わり、ではないのだ。後産と呼ばれるものがあり、赤ちゃんの無事を確かめ、健康に害が及ばないように処置をしてようやくひと段落となる。意識を失うわけにはいかないのだ。
「おまじないも限度があるし」
魔法や魔術とは違う、民間薬にも似た、或いは迷信とも呼ばれるおまじない。これも、実は微弱ながらも魔術的な効果があるのだが危険な逆子であるということが判明している今、無意味である。
切り傷、火傷の痛みを和らげたりといった、小さな効果しかないのだ。
そのおまじないを拡大した魔術や魔法もあるけど、出産時に役立つかと言えば首を傾げる。おまじないはお呪い。あくまで、原点は呪いの一つである。それ故に、後世に伝わるおまじないには禁忌を伝えるためのものや気休め程度にしかならないものばかり。
まあ、本来祝福と呪いは同義だけどね。時代の変遷によって差が出来てしまったが。
「ふ………ふぅ………はあ………」
困ったことに陣痛の間隔が短いため、俺の仕事も多い。思考だけに没頭するのも難しいのだ。
焦ってはいない。焦っても無駄だから、心を逸らせないように気を付けている。
でも、心配は止まらない。このまま出産が進めば、きっと母子ともに無事では済まないのだから。
外を見る。もう既に夜も深い。まだ春であるため夜は肌寒いのだが、家の中は魔法で温めてあるのでナウィルさんは寒い思いはしていないだろう。寧ろ暑いと思う。俺も暑いし。
唸るのは体温が上がるんだ。とてもエネルギーを使っている証拠なので。
手立てもないままに、かちりかちりと時計は進む。ハレアちゃんが流石に眠いのか舟を漕ぎ始めて、その様子を見てナウィルさんが微笑んでいた。
心に安らぎを与えてくれているの、とてもありがたいなあ。家族ならでは、だよね。
「家族、う、むむむ………」
忙しく動き回る合間、一瞬だけ片目を閉じる。
―――蝶は既に還った。あとは、間に合うかどうかだけだ。