じゃあ、お料理をしよう
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「あれ、水蓮。どうしたの」
ガチャリと音を立ててドアを開き、ナウィルさんの自宅へと戻るとなにやら急いだ様子で水蓮が立ち上がるのが見えた。
表情は動いてないけど………うーん、気のせいかな。
ナウィルさんは頬に手を当てて笑っているけれど。まあ、うん。笑っているのであれば問題が起こったわけでは無いだろうし、わざわざ問いただす必要はないよね。
いつものお澄まし顔に戻ってる水蓮だけど、若干気分良さそうだし。
「おかあさんただいま!えへへ~、みてみて、わたしね、マツリちゃんにほうちょうかってもらったよー!これでりょうりしてあげられる!えへん!」
「あらあら、まあ。ふふ………気を付けて使うんですよ、ハレア。―――マツリさん、えっとあまりお代金に余裕は………」
「いやー、俺が上げたくて上げたものですから。今度、ハレアちゃんに料理を教えてあげてください。それでお代は結構です」
「え、でも………いえ。分かりました、ありがとうございます、マツリさん」
当然、貰う気なんてないからね。ほら、友人が出産したら出産祝いを送るのなんてあたりまえじゃないか。だからこれだってそれと同じなんだよ。
助けてあげたい、この人はいい人だと思ったから。これくらいのことはしてあげたいのです。
「と、いろいろ買ってきたのでとりあえず置かせてもらってもいいですか?」
「はい、もちろんです。あ、冷暗所は向こうの方に、簡易ですけれど地下室がありますので」
「食料の保存室ですか?」
「そうなんです。魔道具を買ってもうちじゃ使えませんから」
そっか、この世界には魔道具があるけれど、それを使い続けるためには魔力が必要だ。
大抵の場合魔力が籠めやすい特殊なコインに魔力を充填したものが出回っているけれど、魔道具もそのコインも大抵の場合高価な代物で、普通の人達にはなかなか使えない。
身内に魔術師や魔法使いの才能がある人がいるのであれば話は別だけれど、流石にそういった人たちが都合よくあらわれる筈もない。
一般的であることと数か少ないことは同列に存在しうるのだ。魔術師など秘術に携わる人間のが多いこの世界でも、全人口から見れば魔力を操れる人は少ないのである。
その中でも魔術師に比べて魔法使いはもっと少ないけどね。時代だよね、うん。
「………本当はやらないけど、今は特別かなぁ」
ぼやきながらナウィルさんに聞いた地下室へ向かう。床を横にスライドする形式の扉を、油が足りないのだろう、キィッと音を上げながらずらすと小さく短い階段が現れた。
五段くらいのそれを降りると、扉から差し込む光しか光源のない石室が目に入った。
保存の利く野菜や塩漬けされた肉などが籠に綺麗に仕舞われているけれど、あくまでも自然のままのものだ、若干痛んでいるものもある。
普段だったら多少の痛みは加熱したりすればいいんだけれど、妊婦さんにとなるとちょっと考えるよね。
あと、もうあまり買い物に行きたくないということもある。なるべくなら俺がナウィルさんから離れることは回避したい。
「なので、ルーンを刻んでちょっとここを冷蔵庫にしまーす」
便利だよね、ルーン魔術。俺の場合ルーン魔法だけどね。要は形式だけだから結果はあんまり変わらない。
手のひらに息を吹きかける。ふわりと茉莉花の香りが広がると、指先に触れたい気が煙霧へと変わり、地下室を漂った。
杖は今、仕舞っているけれどこれくらいなら別に杖を使わなくても使用できる。なにせルーンは刻むだけの秘術だからね。いろんなところで使っているから有名だよね。
シルラーズさんのものほど器用には出来ないけれど、文字に刻まれている意味をそのまま呼び起こすだけなら俺だってできる。本来は薬草魔法を使うってだけで、他の魔法が使えないわけじゃないからね。
この前、錬金術だって使ったし。
「”お前を刻む この場へ刻む 宙へ浮かぶは停止線 お前の名は停滞だ―――イサ”っと」
翠色の淡い光が宙から煌き、縦一本線のような文字が現れるとゆっくりと消えていった。
イサ………停滞や氷を意味するルーン文字だ。これを宙に刻んだのでこの場はゆっくりと冷えていく。冷蔵庫へと近づいて地下室に満足して頷くと、持っていた荷物を部屋の中にある空の籠の中へと収めていった。
さて、戻りましょう。
礼によって冷蔵庫開けっ放しにすると怒られるので扉をしっかりと締めると、皆のいるリビングへ。誰に怒られるんだって話だけどね、むしろ俺が怒る側だけどね。冷蔵庫にしたの俺だし。
「しまってきましたよー。ナウィルさんは体調大丈夫ですか?」
「ちょっと蹴られて痛いですけど、それ以外は」
「逆子だとまあ、はい………痛いですよね………」
―――こんなこと言ってるけど俺、経験ないからね?何度も言うけど俺処女だからね?いや童貞………うん、それはさておき。
逆子だと胎児の足が思いっきりお母さんの大事な場所を蹴ってしまうから痛みが生じるらしいのだ。危険である以前に痛いというのは当然嫌だよね。
………なんとかしないとなあ。
「マツリ。今どうこうできるものでもない。痛み止めでもしておけ」
「んぅ。………うん、そうだね。わかったよ」
水蓮の言う通りだ。逆子体操などをしながらゆっくりと治してもらうしかない。
ゆっくり、なんていっても時間はあまりなさそうだけど。どんなに長く見積もっても一週間以内には出産となるだろう。俺たちも盗賊団を退治しないといけないし、いたずらに時間をかけるわけにはいかない。
腰を据えてゆっくりできれば一番なんだけどね………でも力を貸すと決めた以上、どちらかを蔑ろにはできない。ナウィルさんを助けて、そしてミーアちゃんも手伝うのだ。
それにね。今回のこの依頼は多分必要なことなんだ。俺にとってというわけでは無く、水蓮にとって。
水蓮に必要なら結果として俺にも必要でしょ、というツッコミはさておき、意図せず視えてしまったこの仔の結末をより良いものにするためには、この出会いが必須なのだ。
いや。未来視なんて普通やらないんだよ?なにかのために、特に知らせるという目的のために未来視を道具として扱うなら良いのだけれど、ただ無作為に未来を見てはいけない。それは未来の奴隷になるだけだから。
と、そんな話はどうでもよくて、先程と同じく息を吐き、淡く香りを漂わせる。
漂うその香りは薔薇にも似た芳香。幾つかの香りを混ぜ込んであるけれど、一番強くしてあるのはサフランの花の匂いだ。
………あれは安産を祈る時に使われる。古代ペルシャでは、サフランの球根とミズゴケを妊婦さんのみぞおちに置くことで子が健康に生まれるように、お母さんが無事でありますようにと祈りを込めたそうだ。
俺もまた、同じように祈る。
「いい香りですね………マツリさんの魔法なんですか?」
「はい。俺は薬草魔法を使うので。普通にハーブティとかも淹れるんですよ?後で飲んでみてください」
「あらあら、そうなんですね。楽しみです」
ナウィルさんに対して微笑むと、少しだけ目線を外す。ここではない、この場ではない彼方へと。
蝶の視点で遠くを見る。俯瞰した風景が脳裏を覆う。さて、間に合うかな。
瞬きをすると、視界は現実のものへと戻っていた。
「取りあえず、台所を借りてもいいですか?しばらくの間は、俺が料理するのを代わります。あ、これはあれですからね、魔法使いとしての業務みたいなものなので断られちゃうとちょっと困ります」
「………ふふ。はい、お願いします。ハレアにも教えてあげてください。私の料理以外も知っておくべきだと思いますから」
「もちろんです。ハレアちゃん、お姉ちゃんと一緒に料理しよう。さっき買った包丁早速使おうね」
「ほんと?!やったー!」
喜んだ声そのままのテンションで飛びかかってくるハレアちゃんを胸で受け止めると、頭を撫でで床に降ろす。
そして手を握って台所へと向かった。
出産は近い。なるべく、身体によく、栄養になるものを作ってあげたい。ええ、お母さんは大変なんです。
後ろを見る………水蓮は、ナウィルさんの傍で彼女の大きなお腹を見守っていた。
それでいいんだよ、その視線でいいんだ、水蓮。君は、そのままでいい。過度な憤怒は、似合わない。
淡く微笑むと、今度こそ台所へ。うん………どんな料理を作ろうか。