逆子体操を教えまして
………優しく、慎重に。お腹に俺が触れると向こうからも小さく振動が伝わってきた。
「あらら、この子ったら………」
「あはは、元気がいいですね!―――良いことです」
でも、ちょっとだけ心配事が。
「ちなみになんですけど、お腹が張ったりとかってありませんか?どんなに些細な感じでもいいんですけど」
「張りですか?………そうですね、確かに張ってはいますけど、妊娠はそういうものだと聞いています」
「下腹部への圧迫感などは?」
「えっと、あります、けど………?」
髪を揺らして不思議そうに話すナウィルさんの目をしっかりと見る。
―――本当ならば、妊婦さんを相手にするならばもっと早く、妊娠初期のころから経過を観測していたかった。それほどに母親の状態を逐一確認できるというのは重要なのだ。
少々の違和感でも母体と胎児の様子を知る手掛かりになるからね。
とはいえ、この心配事は分かりやすいものだったので、経過観察という事前知識がなくとも判別することは出来た。
胎児のキックの振動はナウィルさんの大きなお腹の下の方からだった。ああ、うん。つまるところの、逆子である。
「本来子供が生まれるときには頭が下になるんですが、今回のナウィルさんの場合は子供の頭が上にあります。逆子、と呼ばれるものですが………」
なにか聞いてはいないだろうか。というか自身の子供が逆子であるということを認識できていればいいんだけれど、うん。
「逆子、ですか………?」
「はい」
「え、っと。そ、そうなんですね………」
これは間違いなく知らないパターンだろう。うん、初産だし感覚としても分からないよね。
まあ仕方ない。如何に科学も徐々に発展してきている世界とはいえ、医者の数が現代ほど多いわけでは無いし、その医学の進歩具合も現代に比べれば劣っている。
それ故に魔法使いが産婆として、つまり助産師として人々を助けているのだからね。
そもそもの話として、魔法や魔術があっても、子供を生み出すことに使えるものは限られているし、少なくともそれは自然ではない。
いや、もちろん自然ではなくとも見殺しにはできないので必要とあれば使いますけどね、魔法。でも全能ではないので使ったところで、という感じではある。
あとこの様子を見るに、そもそもが医者に妊娠状態を確認してもらってすらいないかもしれない。お金かかるから分かるけどね。
ちなみにだが、中世ヨーロッパにおいて子供の出生率というのは非常に低く、生まれた子供も大人まで育ち切ることもとても少ない。
「帝王切開なんて、流石に出来ないしなあ………」
これは独り言だ。
ガイウス・ユリウス・カエサルが名前の由来と俗説でいわれている帝王切開。これはポンペイで亡くなった大プリニウスの冗談めかした言葉が元であり、カエサルは帝王切開で生まれたなんてことは現代では否定されているんだけれど、それはともかくとして俺の生きていた世界では逆子の場合はこの帝王切開という手法を使うのが一般的となっている。
でも、帝王切開は十九世紀初めまで死亡率七十五パーセントを超えていた危険な方法だ。逆子だからといって、この時代で簡単に取っていい手段じゃない。
記録としてなら十五世紀から十六世紀頃に行われたというけれど、その場合も傷跡を縫合してはならないといった理論によって母体は必ず出血死していたといわれているし。
ああ、出来ないといっても安全に出来ないというだけであり―――”魔女の知識”を最大限に使えばやり方を知ることはもちろん出来る。道具や手助けする人がいないけどね。
こういう場合はどうするんだったかな。自分の白い髪を指でクルクル巻きながら考える。
ハレアちゃんも一緒になって俺の髪を弄っていた。あの、リボン巻かないでください………。
うん、とりあえずはあれかな。逆子体操とかをやってもらって自然に元に戻るのを期待しよう。一度帝王切開をしてしまえば次もまた帝王切開にしなければならなくなる。
母体の子宮にかかる負担が非常に多くなってしまうのだ。魔法を使っても、帝王切開に近しいものをするとなればその決まりからは逃げられない。
傷を癒すための魔法をかけるにしても、永遠の魔法というものは中々に存在しないからね。じゃあ魔法をかける人間である俺がいなくなったらどうなるのか、という問題が残ってしまうので。
「とりあえず、今から教える体操方法を身体が辛くない時にやってもらえますか?」
「体操ですか?はい、分かりました」
まずは見てもらうとしましょう。そこまで難しいものでもないけどね。
ローブ等を脱いでから見やすいようにナウィルさんに身体の横を向ける。こちらの方が動きが理解しやすいのだ。
そして四つん這いになると、お尻を高く上げながら腕を前に伸ばした。胸はもちろん床につけたままね?
こうすることによって胎児が骨盤から足などを離し、回転させやすくするので逆子の解消につながるのだ。まだまだ出産の謎も多い今の時代、あまりこういった体操なんかは知識として知られていないだろうし普及しておくに限る。
子供は宝物だもの、きちんと生まれて育ってほしいよ。と、そんなことを思いつつ体操を実演していると。
「すっごー!おっぱいおおきい!はみでてるー!」
俺の横に立ったハレアちゃんが俺の床に押し付けられている胸を見て大きな声を上げていた。
「ぐはぁっ?!」
「………ふ………」
「ちょっと水蓮、今笑ったでしょ!?」
「しらん」
嘘を吐くなー!?
ぐ、子供の言葉はあまりにも正直すぎる………確かにこの体操見せるために四つん這いになった時点でちょっと嫌な予感はしていたよ!
だって無駄なこの巨乳を床に押し付けるんだもの、どうしたってむにゅりと潰れて変な形になる。ええ、ブラをしていても限界はあります。
「確かに………私から見ても羨ましいほどの………すごいですね………」
「あの、感心されても困るんですがっ」
そういうナウィルさんもスタイルいいからね?確かに妊婦ということでお腹は膨らんでいるけど元のプロポーションはいい事は分かる。胸も結構大きいし。
いや、これ以上はセクハラか、言及はやめておこう。
胸よりも体操の方を見てほしかったんだけどね。ちゃんと覚えてくれたかなぁ。
はあ、仕方ないけどさあ。とりあえず、体操の続きだ。俺の心情よりそっちの方が大事だからね………。
「うつ伏せが体勢的に厳しかった場合は仰向けになって」
自分の言葉に従って仰向けになる。ハレアちゃんの視線がまた俺の胸に向いているのが分かったけど、困った笑いしか出ないんだよね。
流石にこんな小さな子に「見ないで!」なんて言えるはずないので。子供は素直だよなあ。うん、まあ、それはともかく。
そのまま膝を立てて、先程脱いだローブを丸めてお尻の下に入れた。
「こうしてお尻の下に枕とか毛布とか詰めて、お尻を高くします。どちらの方法を取る場合でも寝る前に十分から十五分程度これをして貰えれば逆子が治る可能性があるので」
「はい、分かりました。―――それで、あのマツリさん。スカートが思いっきり捲れてパンツが見えてしまっているんですが………えっと」
「………?!」
身体のばねを最大限利用して女の子座りへと態勢を戻し、スカートを元に戻す。
ちなみに女の子座りは最早極々自然に出来てしまいます、何故ってほら、骨格がもう女の子のものだからね。それはそれとして手まで股の間に収めてしまっているのは我ながらどうかと思いました、男の尊厳とは?
パンツ見えてることに羞恥している時点であれな気もするけどさ!もう、この(身体は)女性同士でも照れてしまうのもどうにかなればいいのに。
「す、すいません。変なものを………あはは」
「いえっ、肌とか滑らかでとても綺麗でしたよ?元気な子供を産めそうないいお尻でしたし!」
「………ありがとう、ございますぅ………」
安産型なのはやっぱり見て分かるんですね、うん。
「き、気を取り直して―――こんな体操なんですけど、覚えていただけましたか?」
「ちょっとまだ自信はないですけど………やってみますね」
「はい。もちろん身体が辛かったらいいです、その時は言ってくださいね。何よりも今は何かあればすぐに相談をって時期なので」
「………ふふ、頼りにさせていただきます」
何度も言いますがまだ出産経験はありません………でも、助けますとも。魔法使いだからね。
―――さ、子を産むのは一大事だ、まだまだ準備することや用意しておきたい物なんかも多い。それらを進ませつつ、ナウィルさんの様子を逐一確認しないとね。
俺の身体の負荷も少しは治ってきたことだし、頑張るぞー。
立ち上がって腕を伸ばしながら水蓮に視線を向ける。お願いね、と目で伝えながら、まずはご飯の材料とか布類とかを買い集めないといけないな、と思いついたのであった。