お茶会が始まりまして
そもそも感情の気質として、怒りとは瞬間的なものだ。
一時的にその感情を持つことこそあれど、怒りを常に持ち続けることのできる存在は人間にも人外にもそうはいない。
それに対し悲しみはいつまでも残り続けるもの。怒りはいつしかそういった残る感情へと転じるのが常なのだけれど………さて。
カップに何度か口を付けてそんなことを考えていると、すでに底が見えてしまっていた。
あらら、いつの間にか飲み干していたようである。ちなみに水蓮の方は全然手を付けていない。
湯気はもう既に消え去っていて、もう冷たくなってしまっているだろう。流石にあのまま飲んでは味が悪いからねぇ。
指先をカップの端に当て、魔法を使う。再加熱だ、風味が完全に戻るわけでは無いけどね。
「………ああ、すまぬ」
「いいよ。君のその目に映る光景を邪魔したくはなかったし」
「なんだ。にやつくんじゃない」
「ふふふー」
半眼でこちらを睨む水蓮の視線を軽く流して、ようやっと軽食を取り始めた水蓮の姿を頬杖をついて流し見る。
慣れない食器を使っているためだろう、オリーブオイルをベースとして使っているサラダのドレッシングが頬に飛んでいた。
可愛いなぁ、もう。大人っぽい容姿なのにそれだけ無邪気な動きをされるとなんといいますか、こう保護欲みたいなのが刺激されてしまうじゃないですか。
鞄からハンカチを取り出すと頬のドレッシングを拭き取る。あ、ちょっと嫌そうな顔をされた。
………膨れた頬を指でつつくと、今度は牙を剥きだされた。
「あはは、ごめんごめん」
「次やったら指を噛むからな」
「あらま野性的」
と、そんな冗談を言い合いつつ食事を勧めていると、街の通りの中に見覚えのある制服が見えた。
侍女服をイメージさせるそれの上に、革製の軽鎧という騎士の装いは、この街の親衛騎士団の公用制服だ。つまるところ双子の騎士のお友達である。
同僚ともいうけれどね。でも親衛騎士団には女性しかいないようだし、どちらかといえば友達という呼称の方が似合うだろう。
というか、その騎士服を着ている人そのものに見覚えがあるような気がするのだけれど、ふむふむ?
栗毛の髪の毛に、朗らかに笑うその表情。困った様に頭を掻いている様子。
「………あ、そっか。ミーアちゃんの同期の女の子だ」
「みゅ、ふぁにがだゎ」
「食べてからでいいからね?」
言語として受容できない言葉になっていますからね?
それはともかくとして、栗毛の髪の女の子―――確か名前はシンスちゃん、だったかな。彼女は街の人の波の中に目をやってはまた別の場所を見てという動作を繰り返しているようだけれど、はて。
うん。えっと、もしかして彼女、迷子なのではないだろうか。
帯刀しているため警備の途中なのだろうけれど、大抵見回りをする際には二人組以上でやるのが常識だろうし、一人だけで通りにぽつんといるのは少し違和感である。
或いは二手に分かれて誰かを探しているのだろうか?いや、それにしてはきょろきょろと見回す動作が多いし、移動する感じもない。
………まあ、一応顔見知りだしねぇ。ちょっと助けてあげますか。
「スティリンジアの香、煙の糸。辿りつけ、辿り終え」
机を数度指先で叩き、それに呼応して煙霧がスティリンジアの花を形作る。
ユラユラと揺らめく不定形の煙霧に息を吹きかけると、それは霧散して散り散りに空気へと溶けていった。
うん。その煙霧は空へと昇っただろう。そしてそこで彼女の探し物を見つける筈だ。不可視の煙が再び空から地面へと降りて、人の波の中に潜っていく。
あらま、意外と近くのようだ。
「なんだ。人探しの魔法か」
「うん。困っているみたいだったから―――とと、この匂いはもしや」
シンスちゃんの探し人ってもしかしてミーアちゃんかな?
鼻を動かして空気中の匂いを吸い込む。全ての人間の匂いをかぎ分けることは流石に難しいけど、知り合いの匂いを辿るくらいなら特に魔法とかを使わなくてもできるのだ。
人間の香りというものは本人が持つ香りと身に着けた香りが混ざり合うもの。同じ香水をつけたとしても、同じ匂いになることはないからね。
うん。やっぱりミーアちゃんだ。しかも近くにいる。
もう一度机を叩いて、匂いで見つけ出したミーアちゃんに見えるように魔法を書き換える。これできっとシンスちゃんの所への道筋が分かるようになったはずだ。
「あ、噂をすれば」
いや心の中でだから実際に噂をしたわけでは無いけれど、まあ似たようなものでしょう、うん。
「シンス、勝手に移動されては困る。やめて」
「いや~、ごめんごめんミーア!」
「………ふう。反省の色が見えないけど。まあいい」
両手を合わせてごめんなさいポーズをするシンスちゃんの右手には、相変わらず包帯が局所的に巻かれていた。ミーアちゃんは嘆息しているけれど、なんだかんだ言って本気で責めているわけではなさそうだ。
「あやつらは友か?」
「そうだよー。多分お仕事の最中だから邪魔はしないでおこうと思うけど」
警備の最中に話しかけるのは、ねぇ。
見回りは特定の箇所を決められた時間で回らないといけないのだ。もちろん異常があればそれに対処しなければいけないし。
邪魔しちゃ悪いよ、最後に怒られてしまうのは彼女たちなのだし。
………などと思っていたのだが、すっとミーアちゃんの視線がこちらを向いた。
こちらどころじゃないね、間違いなく視線の先には俺がいるね?うーん、凄い探知能力だ!実際は魔法の煙の残り香を追っただけなんだろうけどね。
「こっちを見たな」
「見つかったみたいだね」
「逃げているのか?」
「そういうわけじゃないよ。―――ちょっと椅子を貰ってくるから待っててね」
シンスちゃんに一声かけてこちらに向かってくるミーアちゃんの姿を見て、俺は俺で二人分の椅子を取りにお店のおばちゃんの元へと向かったのだった。
ふむー、チップを多めに渡しておかないといけないかな、これは。
***
「あ、この前会った迷子の子供じゃーん。親御さんに会えたんだね、良かった良かったぁ~」
「あはは色々と勘違いされている気がするけどまあいいや!」
面倒くさいから!
「マツリさん、案内していただいてありがとうございます」
「大丈夫だよ。シンスちゃんが困っているみたいだったからね」
流石に困ってる人をそのまま放置はできない。人間だもの、出来ることなら助けたいものでしょう?
いや半分は人間じゃないんだけど………まあいいかな、たいして変わらない変わらない。
でもわざわざお礼するためにここまで来るなんて、相変わらず真面目だよねぇ、ミーアちゃん。
「………お前。我らの遠縁か」
「―――ッ!ま、マツリさん、この人は………」
「そうだよ。アハ・イシカ、名前は水蓮だ。………水蓮、そう呼ぶのはやめてあげてほしい」
「なに?まあ、いいが。呼び名を変えたところで事実は変わらん。そして事実から逃げることもできないぞ」
そう、なんだけどね。水蓮の言っていることは事実だ。
でも事実に立ち向かうにも時期と心の調子というものがあるんだ。それは君にも言えることだろう?
「どしたの、訳あり?というかミーア、いつの間にこんな美人な親子とお知り合いになったのさー!私にも教えてくれればよかったのに~!」
「いえ、いや。えっと、マツリさんと―――水蓮さんは親子では、ない」
「そなの?こんなに似ているのに?」
「お前はただの人間か。いや、その右手だけは違う匂いがあるな」
「あー、あはは。これは子供の頃にねー」
しみじみと、大事そうに右手に巻かれた包帯の下を気にして撫でるシンスちゃんは、今までよりも少しだけ女性らしい瞳と口調で言葉を発する。
「ちょっと無茶をして飛び込んだ代償っていうのかな。あの頃の私は若かったからねぇ、何でもかんでも手を出しては痛い目を見てたもんだよ~」
「今もでしょう」
「辛辣!ま、そうだけど。でも昔の方がずっと暴れん坊だったのよ?………でも、この傷だけは後悔してないよ。痛い目を見たけど、それでも触れないといけないって思った子だったんだ」
軽く鼻を撫でる香りは―――そう。そうなんだね。
どこかで憶えのある香りだとは思っていたけれど、それもその筈だ。
「そう。触れて怪我したってこと?どんな危ない子だったの、それ」
「いやいや、大人しくていい子だった―――筈、だよ?」
「なんで曖昧なの」
「昔のことだし、それに私そのあとすぐ高熱出しちゃってねぇ。記憶が途切れ途切れなんだよ」
「………高、熱?」
「そ、高熱。そんな病弱じゃなかったはずなんだけどねぇ、おかしいよねぇー」
唇に手を当ててミーアちゃんがなにかを考えていた。
眉を潜めて、思考の海に沈もうとするその前に、大きな声のおばちゃんがケーキと紅茶をテーブルに運んでくれた。