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燃える炭の香





雨を抜け、森を抜ける―――あの魔法使いから離れるために。

マツリ。あの少女の魔法使いは私の精神を掻き乱す。それは致命的な程に。

どろどろと胸の内側で溜まり、燃えだした復讐の炎を静かに消してしまうあの魔法使い。

………魔法の種類も知識も異常な程に蓄えている癖に、普通の少女然とした姿を晒し、しかし時にはとても柔らかな眼で私を見る不思議な女。

いや、考えるな。あれに引っ張られる。


「血が出過ぎたか………」


骨を纏った鎧馬の姿となった私の腹からはまだ、血が滴り落ちていた。マツリに巻かれた包帯が千切れ、ぶら下がっているのが見える。


「だが、身体はいくらでも動く」


―――いっそ、不思議な程に私の身体はどこまでも動くのだ。

それは、倒れるまで、燃え尽きるまで命を燃やしているかのように。

ああ、泥が渦巻く。黒々とした石炭が液化したようなそれが心の奥底で嗤う。お前が弱いからお前の子は死んだのだと。

お前が弱いから復讐すらできずにただ傷を治されるのだと。

………妖精は所詮、その程度だと。嗤うのだ、嗤い続けているのだ。


「黙れ………黙れ………黙れ!!!」


意識が朦朧としてきた。視界が黒に染まっていく。

どろどろ。ぐちゃぐちゃ。べとべと。

なんとなく腹が熱いな。腹の奥底で何かが発熱しているようだ。


「―――」


身体が溶ける。黒い水へと溶けていく。意識と同じように。

なんだったか。私は何をしようとしていたのだったか。

思い出す。けれど意識は散逸し、辿ろうとした記憶の糸はぷつりぷつりと解け、切れていってしまう。

ああ………私を追うこの子の名は、なんだっただろうか。

私がやろうとしたことは、一体………?


「単純なことだ。手段など、簡単なことなのだ。分かるだろう、怪物」


狭まった視界の先で男が嗤う。

ニンゲン(・・・・)の男が、嗤う―――!

そうだ、手段など簡単なことであった。私は人を殺さなければならない。この憎悪を示さなければならない。

私の敵は人間だ。ありとあらゆる人間こそが私の憎む相手だ。

ならば、世界への復讐者(・・・・・・・)たる私は、この世を覆う人の世界を呪わなければならない!!

己の血に塗れた足が宙を蹴る。

なにか、忘れてはいけないことを忘れてしまったような、奇妙な感覚に囚われながら。

………そんな私の前に、白い髪の女が現れた。

あの男によく似た魔力を持った、美しい女が。

手を伸ばす女。その手を、何故か取りたくなる衝動に駆られるが―――直後、私の内側で黒い声が囁いた………。


「―――アイツを、コロセ」


そうだ。こいつは人間だ。

ならば殺さねばらない。殺したくなくても、私は殺さなければならないのだ。

―――女が私に触れる。

細くて柔らかな、美しい手だ。いや………手だった。

黒い泥が、女の手を包む。そして、一気に焼いた。

嫌な音と皮膚が焦げる匂いがして―――なのに、女は。困ったように笑いながら、もう片方の手で私を撫でるのだ。

杖から飛んで、女は身を投げ出す。腕が私の黒い水で焼けているはずなのに、気にもせず。

豊満な胸と括れた腰。紋様に覆われた、背の小さな、しかしそれ以外は均整の取れた美しい身体が視界いっぱいに広がる。ああ、本当にこいつの身体は言葉に表せないほどに綺麗で可憐である。


「一度、ここで休みましょう………水連」


―――黒い棘が、その身体を串刺しにした………。








***







「………痛い、なぁ………」


そりゃあ、心臓近くやらお腹やら、腕に足を深々と刺されれば痛いに決まっているんだけどね。

右手も右手で、薬品で溶かされたような痛みを発しているし。

………嫌な臭いがする。いや、俺の腕からではなくて………俺の腕からも人肉の焼ける匂いがしているのは事実だけど………水連の身体からだ。

例えるならば、コールタールの匂い。石炭から生み出される、黒い液体の独特のそれ。

当然水蓮本来が持つ者ではない。間違いなく呪いの本体によるものなのだろう。

これで一つ、分かったことがある。水蓮の身体に刻まれている呪いは、一つだけではない。

傷を負わせ、命を奪わせるのが水蓮のお腹の中にまだ存在している魔術師の鉛玉の呪いなのだけれど、今回の水蓮のこの暴走は、水蓮の中に巣くっている憎悪や怒り、絶望を増幅するという、別の呪いによるものだ。

原始的な感情に働きかけるこの魔法(・・)は、細かい流派までは分からないけれど原始呪術―――シャーマニズムやアニミズムに近いところまで遡った古い魔法だ。

ブ―ドゥ、日本でいえば古神道あたりかな。

随分と珍しい魔法を使うものだ。


「ん、ぐ………」


―――俺の身体から血が落ちていく。真っ赤な生命の液体。


「………ゥゥゥゥゥゥ!!!!!!」


唸り声をあげている水蓮の身体は、煙霧でできたタイムの枝が巻き付き、その動きを押さえつけていた。

そして、その上に俺の血が落下していく。ぴと、ぴと………と。

血は幾多もの花弁を持つハイドランジア―――即ち、紫陽花へと姿を変え、水蓮の周りで浮かぶようにして宙を漂っていた。

血から生まれた赤色の花弁は蒼色へと変わり、そして最後には水蓮の体を覆う黒い水を吸収して、黒色になって萎んで枯れていく。

魔法を解く能力のある紫陽花の魔法でも、水蓮に纏わりつくこの黒色はすぐには消えなかった。

俺の血も込めているんだけれどね。やれやれ、相当強力な魔法使いが呪いをかけたらしい。


「困った、なぁ………」


何が困ったかというと、傷が深いので今にも意識が途切れそうというかなり危ない状況に陥っているということである。

この魔法解除の紫陽花は自動で発動できるようなものではないので、使い続けるには俺も起きていないといけない。

いや、そもそもとして俺がここで斃れると二人もろとも地面に激突して熱いキスをかわすことになりますので、絶対に寝ることはできないのである。

幾つにも群れて咲く霧の紫陽花………次々に萎れては新たに生み出されるそれ。

数分は経過しただろうか。

段々と、紫陽花の数の方が増えていっているのが見て取れた。

呪いを大部分抑えることができたのだろう。俺は俺で、随分と血を失ってしまったけどね………ああ、ちょっと。早く戻った方がいいなぁ、これ………。


「―――まつ、り?」

「おはよぅ………うん、俺だよ………」


あはは、本当に困った仔だよ、君は。

徐々に俺たちは高度を下げていく。別にゆっくりと地面に降り立とうとしているわけでは無くて、単純に重力に負けて落下を始めているだけのことである。

空が視界いっぱいに広がる態勢になってから、左手に目が向いた。

トリスケルの紋様かなり大きくなっているなあ。やっぱり最後のこの魔法がちょっと強すぎたようです。

でも、これでもまだ呪いの効果を一時的に弱めただけで、根本的な解決をしたわけでは無いから、またきっかけがあれば爆発するのは間違いがない。………そもそも俺の痛みへの覚悟とは、今回のことではないし。


「………ついてくるなと、言っただろう」

「無理に決まってるでしょ………」


性分なんだから。と、さてさて。

完全に意識が消えてしまう前に、地面へと激突してしまう前に、魔法を使わないとね。

残念ながら、今の俺一人では水蓮と俺をもとの場所へと戻すことは出来なさそうだから、今回はみんな(・・・)に手伝ってもらいましょう。


「―――シルフ。君の風に俺たちを乗せてほしい………いいかな」

「「『うん、もちろん!』」」


聞こえてきた声は一つではなかった。

複数からなる、そよ風のような優しい声。乱れなく紡がれる彼女たちの言の葉。

色とりどりの翅を持つ、身体の透き通った幼い少女の姿が風の中から現出した。

そして彼女たちは、手を取り合って輪を描き、宙をくるりと舞い始める。


「「『謳う唄うわ風の旅!』」」

「『………(ひび)き、響かせ風の音………』」


水蓮をしっかりと抱きしめて、シルフたちの円の中へと墜ちていく。

共に唄を謳いながら。

彼女たちの円を超える………その瞬間に揺りかごのような風に包まれて。

俺たちの姿はその場から、まさに風のように消えてしまったのだった。



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