ほんやくからだー
「痛みは感じるか?」
「いや、筋肉痛だけですけど……」
「ふむ」
ほっと安堵の息を吐いたシルラーズさん。
そっと腕も放された。
「ああ、すまない。ケルト紋様は千夜の魔女がよく使っていたものでね。彼女が書いた本の装丁などにはそれがつかわれていることが多いんだ」
「へー。ケルト……」
「ケルトとは、旧き時より伝わる魔法の一つですよ。魔術でもありますが」
「まあ、そこは本人の資質というやつだ。ようは魔なる力の種類とでも思っておけばいいさ」
「は、はーい」
……俺が疑問に思ったことは、俺のセカイでも伝承として伝わっているケルト魔術……魔法?
まあいいや。とにかくそれが、全く同じようにこのセカイにもあることなんだけどな。
ケルト紋様なども、全く同じようだし。ううむ、謎である。
先ほどのメメント・モリなど、あまりにもこのセカイと共通点がありすぎる気がするけど。
「それで、問題はあったのか?」
「いや。これは簡単にいえば……そうだな。火傷みたいなものだ」
「火傷……?」
「その身体を造り替えられたときに残ったものさ。手術痕と言い換えてもいいが……まあ、火傷の方があっているだろう」
「まあ、手術されたわけじゃないですしね……しかもあちらさんの強制だし」
女の身体にされたこと……千夜の魔女さんのことを、実際は少し恨んでいます。
「で、実害はあるのですか?」
「いや、大丈夫だろう。私は魔術師だから、完全に見通しているわけじゃないがね。その模様はマツリ君の妖精としての存在の象徴だろうさ」
「妖精として?」
「ああ。ん、そういえば言ってなかったな。君の身体は女になっていると同時に、魔法使いに……そして、妖精の肉体へと変生を遂げている。大方魔女の肉体の性質を継いでいるということだ。……まあ、造り替えられているのだから当たり前だがね」
「え、俺妖精なの?」
「擬きだ。半分弱は人間だよ」
「つまりハーフみたいなものなんですね」
何この俺の身体。ロマン構成か何かですか?
魔法使いで妖精で人間とか、こう――チート系に在りそう!
……実際は筋肉痛などで痛んでまともに動けないのが現実なのだが。
「まあ、特別でもない……こともないが、前例がないわけじゃないよ」
「というと?魔女の浸食とかって結構多い話なんですか?」
「私が生きている限りそれはお前が初だよ。そうではなく、取り替え児のことを言っているんだ」
「取り替え児……妖精郷……?にいった人のことですっけ」
「ああ。……意外と詳しいな。まあ、あちら側とこちら側で交換されてしまい、すぐに連れ戻せなかったものはお前と似た性質を持つことになるのさ」
「魔法使いであり、妖精と人間の性質を持つもの……ですね」
「すぐに連れ戻せれば、問題はないのだがな……向こう側で食べ物を口にしてしまえばアウトさ」
肩をすくめるシルラーズさん。
なるほど、食べ物か……。各国の神話でも、冥界の食べ物を口にしてはいけないなどという伝承がある。
うん、不用意に食べないようにしなければ。
……ん?いや俺はもう食べても関係ないのか……?
「まーいいや、それは。それで、シルラーズさん、どこ行ってたんですか?」
「偉い人のところさ」
「この街にお前より偉い人なんているのか?」
「私のは形式的なものさ。もっと長く、民衆に愛されている人が居るだろう?」
「主ですか」
「そういうことだ。……魔女の件でいろいろ相談事があるのさ」
千夜の魔女――絵本になるほどに恐れられているのならば、その対策などもしなければいけないだろう。
学院長というと、かなり立場ある人だろうし、顔を出す必要があるのも当然か。
「まあ、今も本をどこまで読んだか、とかの確認で顔を出しただけでね。すぐ別の場所に向かわないといけないのさ」
「あらま、これはお手数を」
「気にすることはないよ。それで、やっぱり文字は読めているんだな?」
「あ、そうなんですよ!いやーなんでかは分からないけど、便利ですねー」
努力をすっ飛ばして文字を学習できたことは、実際かなりうれしい。
楽なのが一番だよね、人生ってさ。
「魔法でも魔術でもないとすれば、あの翻訳は何によって行われているのでしょうか……?」
「それはマツリ君の身体の方が文字を知っているからだな。ほら、魔女はこのセカイ出身で、文学に精通しているだろう?」
「厄介な魔導書などをいくつも残しているからな。まったく、困ったものだ……」
「まあそれはそれだ。魔女のものとはいえ、使い道はあるわけだしね。で、身体は文字を知っているから、意識――つまりマツリ君の意思だな。それに最も適応した形で自動的に翻訳しているのさ」
「んー……?」
よくわかんないが……まあ、肉体の方で自動的に翻訳してくれているということかな。
「試しに文字を書いてみなさい」
「文字ですか?わかりましたー」
羽ペンを渡され、紙が前に置かれる。
……さて、何をかこうか。
そうだな、では俺が魔法使いになったということを記念して、あの名作を――。
「タイトル!魔法使いのよr……」
「ああそこまででいいぞ」
「あと一文字書かせて!?」
すっと紙を持っていかれた。
くそう、懐かしの作品タイトルを書きたかったのに……。
「魔法使いのよ……ですか」
「あれ……?」
俺は今の日本語で書いた気がしたんだが……。
なぜミーアちゃんが読めているんだ?
「――あ。俺が書いた文字……俺は日本語みたいに書いてるけど、それを身体が現地語に翻訳しているってことか……?」
「ほう、大当たりだ。君の認識に応じて、君の身体が都度適応する言語に直しているのさ。だから、文字を書くのも今まで通りの記入で問題ない筈だ」
「おーまじですかー!やったこればかりは魔女さんに感謝~!」
「まあ努力すれば達成できる程度のことと引き換えに、身体を造り替えられた……つまり圧倒的に見合っていないのだがな?」
「―――こふ……」
再度意気消沈。
……そうでした、女の姿になっているのでした……。
服の胸元をそっと引っ張る。
「くそう……男の時はあれほど触りたかった巨乳が自分にくっついているこの感覚がなんか憎い!」
「喧嘩売っているのですか?」
「被害妄想!?」
目から光が消えていた。
その視線は俺の胸に。……こ、怖い……?!
完全に殺意を感じた。
「気のせいに決まってるじゃないか!ははは……」
「だといいですね……」
「うん……」
目に光は戻らなかった。
……そっと俺の方が目を逸らし、ほかの二人を見る。
「まあ、問題はなさそうだな。では私はまた出かけてくるよ」
「今度は何処へ?」
「……君の住む場所など、いろいろと工面しなければいけないからな」
「…………俺?」
住む場所。つまり宿?
「いやいや!そこは自分で探しますって!悪いですよそんなこと」
「あー、すまないがこれは決定事項でね……。事情あってのことだ。むしろマツリ君に拒否権が存在しない」
「え。それまたなんでですか?」
「君の身体が、引き続き魔女に狙われるかもしれないからだ。言葉を選ばずに言えば、君は危険物扱いされているのさ」
「あーなるほど」
確かに一度魔女に乗っ取られた掛けたこの身体。
女の身体に変質までしてしまっているわけだし、一時的に消えたとはいえ、魔女さんがもう一度来ないとも限らないわけか。
なるほど納得です。
「待ってください、マツリは危険物などではありません!」
「そうだぞ!誰が言い出したことなんだ……!!私が殴りにいってやる!」
その気持ちはものすごーくありがたいけど、殴りにはいかないでね、ミールちゃん。
「そんなことは私も分かってるがね……。勘のいい魔法使いなら、マツリ君の身体に気がつくだろう。このあたりの都市部に居ては、気付かれたとき迫害されるのは容易に予測できる」
「それは……確かにそうですが」
「傷つくのはマツリ君なんだ、わかってくれ。……その代り、一等いい場所を探してやれとは言われている。何、少しくらい離れた場所になっても私たちが助ければいいのさ」
「……ああ」
あれ、なんか話が進んでいる……!?
「えっと……つまり?!」
「君はここで寝ていなさい、ということだ。これは命令だからね?」
「あっはい……」
命令ならば仕方ないですね、はい。
……いや申し訳ない気持ちはもちろんあるが、むしろ任せない方がこれは後々迷惑になる可能性があると考えると、ここは言う通りにした方がいい気がするのだ。
結局俺はどこまでいっても、このセカイの素人なわけだし。