不可視
「いつまで怒ってるんだ」
「だって灰狼なんて全然可愛くない」
こちらは周囲の警戒に余念がないというのにこのゴスロリっ娘は未だに俺が自分で決めた名前が気に入らないらしい。
殺し合いが常識と化したこの灰色の世界で正気を取り戻した俺こと灰狼は結局突然現れたきつねと名乗る少女と行動を共にすることになった。
「おおかみ? おおかみー……ろー、ろーくん? いぬ、いぬ……」
「もういいだろ、そんなことより今までどうやって生き延びたんだ? ここじゃいろんなやつが襲い掛かってくるだろ」
より"可愛らしい"名前を付けようとうんうん唸っているきつねにこれまでのことを聞く。
これは出会ったときからの疑問だ。初めて会った時の無警戒さや体に小ささからとてもじゃないが生き残れるポテンシャルがあるようには見えなかった。
この戦場では定期的に支援物資が投下されその中にはツールと呼ばれるカードが入っている。それを手持ちのデバイスに差し込めば人知を超えた道具や能力を使用することができるのだ。
当初俺はきつねがこのツールをうまく使って生き延びたのだと思っておりデバイスで手持ちツールを見せてもらった。
結果は大量の未使用ツールの山だった。リストには各種ツールの種別や残り使用回数などが表示されるのだがそのどれもが未使用のままだったのだ。使用回数に制限のないものもあるがそれらは残りの回数ではなく使用した回数が表示されるのでどれだけ使ったかが分かるのだがそれも0だ。
どうやらきつねはそもそもデバイスの使い方が分からなかったらしい。なので
「えっとねえ、それは――」
「こんなところにいたのかい、お嬢ちゃん」
気弱そうな声が響く。きつねは驚きびくっと跳ね上がったがおれはすでに気配を察知していた。
小道からその姿を現すはひょろひょろのっぽ、眼鏡をかけた色白の男だ。背丈は俺より頭一つ分高いが横幅は俺より一回りくらい小さそうだ。
その姿を認めたきつねは脅えたようにおれの後ろへ隠れてしまった。
「まったく探したよぉ。ここら辺はアブないからさぁ」
のっぽの男は俺が眼中にないのかきつねに話し続ける。
「お前の知り合いか」
きつねの反応を見る限り明らかに親しい知り合いというわけではなさそうだが念のためだ。きつねはといえば露骨に脅えて俺の服をひしと掴んでいる
「知らない……知らないっ! そんなおじさん知らないよ!」
「だ、そうだが」
「嬢ちゃんわがまま言っちゃぁいけないよ。おじさんと一緒に来よう。一緒に楽しいコトしようよ、ねぇ?」
ここら辺は危ないと言っていたが明らかにこののっぽの目のほうが怖い。血走った目を虚空へ向けふらふらと手を伸ばしている。というかこいつ今俺をナチュラルに無視したな。
「こいつは嫌がってるようだが?」
「さぁおいで、さぁ、さぁ、さぁ!」
狂気じみた声で詰め寄ってくるのっぽ。
まずここで考えなければならないのは"この男が正常かどうか"だ。もちろん通常の意味での正常ではないことは明らかだ。そういうことではなく先ほどの俺のように目につく人すべてを殺しにかかる暴走状態かそうでないか、という意味だ。
暴走しているならおそらく話し合いは通じないだろう。が、逆にしていないのなら話し合いの余地はあるはず。戦いは人を呼び人は戦いを呼ぶ。無暗に戦えば自分の手の内を晒し消費するだけでなく戦場が拡大し混乱状態になってしまうだろう。そうなったとき無事に済む保証はない。この世界で生き残るには不必要な戦闘は愚策だ。
こんな単純なことに気付かなかったさっきまでの自分を内心嘲笑しながら交渉を続ける。
「あんた、きつねのなんなんだ? 落ち着いて話さないとあんたが何がしたいのか分からん」
きつねをかばうため少し前に出る。かばってはいるが相手の提示次第ではこいつを差し出すことも選択肢にある。所詮はさっき知り合ったばかりの少女だ。変態の手に渡すのは気が引けるがそれで戦闘が避けられ、かつ有益な情報やツールなどが手に入るならば容赦なくそうする。それに先ほどの戦闘で使ったツールのデメリットのことも考えるとそろそろどこかで体を休めなくてはならない。
「うるさいなぁきみ、邪魔だよ。お嬢ちゃん出ておいで、ぼくといっしょに、おままごとしようよ。君がお母さんで、ぼくがこども役だからね」
前言撤回、こりゃだめだ。さてこのままきつねを連れて逃げるか、それとも置いていくか、そう逡巡し後ろのきつねの姿を確認しようとして、硬直した。
居ない……? 俺が前に出たときには間違いなくきつねは後ろにいたはずだがいつの間にか忽然と消えてしまっている。さっき気配無く突然現れたことといい戦場でツールを使わずに切り抜けたことと言い何かからくりが――
「どいてよ、お嬢ちゃんが見え……あれ、お嬢ちゃんはどこ……」
そして今最優先で片づけなければいけない問題が目の前にある。
「お嬢ちゃんがいない……居ない……おじょうじゃああああああああああんんんんんんんんん!」
きつねが見えなくなったことで発狂し始めたのっぽの男。このまま勝手に頭がおかしくなって消えてくれればいいのだが。
「おまえ! あの子をどこへやった! 子供を狙う卑怯で下劣な犯罪者め! ぼくがぶっころしてやる!」
お前が言うな。わけのわからない叫び声を上げながらのっぽの男が両腕を下げるとその腕が光り始めた。それと同時に俺は右手の指ぬきグローブ型のツール、"天使の一指"で雷撃を撃ちこむ。相手が何かする前に仕留める!
だが放たれた雷撃は盛り上がった地面によって防がれる。そのまま地面のコンクリートが音を立てて砕けのっぽの男の腕へと集まっていく。出来上がったのは怪物のような巨大なコンクリの腕だった。
「ああああああああああああ!」
男は絶叫し、その巨腕を横に広げ左右のビルを引き倒しながら向かってくる。牽制に雷撃を数発撃つが飛び上がり回避する。巻き込まれたビルやがれきが宙を舞う中、意外と飛べるんだなと悠長に考えていると、のっぽの男は更に予想以上の速さで両腕を頭上で組み振り振り下ろしてくる。
横っ飛びで巨腕を躱す。質量の暴力ともいえる攻撃は道路を砕いた。俺は着地と同時に巨腕の上へ飛び乗り更に男へ跳びかかり雷撃を放つ。
だが男の左腕が高速で伸びまたしても雷撃を防いだ。それと同時に右腕が鞭のようにしなり俺を殴り飛ばした。
殴られた勢いで半壊したビルの中へと吹き飛ばされる。何度か跳ねたあと部屋の奥の壁にぶつかり止まる。かなりダメージをもらってしまったがまだ動けるだろう。がれきの中体の状態を確かめていると相手の巨腕はその名の通り攻撃の手を緩めずビルの壁を破壊しながらこちらへ襲ってくる。すぐさま起き上がり襲いくる腕へ"天使の一指"で雷撃の弾幕を展開する。
あらん限りの雷撃を受け巨腕はじわじわと削れ砕け次第に動きを止める。しかし砕けた破片や周囲のコンクリがまたしても引き寄せられ巨腕を修復し始めた。
腕の再構成のときには動かせないか、そう予測を立て右手に力を込めながら一気に腕の横を駆け抜ける。予想は当たったらしく、難なくすり抜けビルの内部から出ることができた。
ビルから飛び出し周囲を見渡す。コンクリ腕の先、のっぽの男は相変わらず血走った眼でこちらを凝視していた。
「クソックソッ! お嬢ちゃんを……おじょうじゃんをがえぜええええええええ!」
"天使の一指"の元の持ち主だった女やこれまでの敵と違いこいつは頭こそおかしいが自分のツールの能力に驕らずしっかりと状況判断をしてくる。現に俺が本体に近づいた瞬間腕の修復もそこそこに右腕がビル飛び出しつかみかかってきた
向かってくる腕を体をそらして躱し、すぐに飛び乗る。こうしていればこの腕からは攻撃されない。加えてこちらの雷撃を恐れてもう片方の腕は防御に回すはずだ。その防御ごと吹き飛ばしてやる!
予想通り左腕は本体を中心にとぐろのように本体を守り、飛び乗った右腕は俺を振りほどこうとあちこちの壁にぶつかり始めた。これは腕を中心に壁に当たらない面へと移動することで回避する。
しびれを切らしたのか右腕は思い切り上へと腕をしならせた。思い切りたたきつけて吹き飛ばそうという魂胆だろうがこちらも準備は整った。振り下ろす瞬間俺は思い切り飛び上がる。右腕は空しく道路へめり込んだ。これだけ損傷すればしばらくは動かせないだろう。
俺の右手から紫電が溢れあたりを照らす。激しく響く放電音と共に紫電は球体をかたどる。"天使の一指"のエネルギーを最大まで貯めたとっておきだ!
「オラァ!」
上空から必殺技ともいえる雷球をのっぽの男へと撃ち放つ。本体を守る左腕は所詮はコンクリートでできた腕、貫けるはずだ。
「無駄だ無駄ぁ!」
男が寄生のように声を上げ、俺の予想は覆された。ガードしている左腕は雷球を受け止めつつ周囲のコンクリートで修復を始めた。なるほど、修復中に腕を動かせなくとも直線に向かってくる攻撃ならば受け止めながら修復すればいいわけか。
のんきに感心していると修復が終わった右腕に薙ぎ払われ幾つものビルを突き抜け吹き飛ばされる。。叩かれた衝撃と突き破った壁の衝撃で意識が飛びそうになるがなんとかこらえ4つ目のビルを突き抜けたあたりで受け身を取り体勢を立て直す。
叩かれた左半身が悲鳴を上げているがそうもいっていられない。あのロリコン野郎は強敵だ。高速で質量の暴力を振るう攻撃力、周りのコンクリートを集めて高速修復される防御力。はっきり言って今の手札では懐に潜り込もうが遠距離戦を仕掛けようがあれを破るのは難しいだろう。
だが俺にはあの難攻不落の腕だけゴーレムに対して取れる作戦が、一つだけある――
「逃げるか」
ちょうど結構な距離吹き飛ばされたしな。
体を引きずりながらビル内や建物の影を縫うように歩く。先ほどの戦闘ででボロボロなのでゆっくり目立たないように加えてなるべくルートが不規則になるよう移動しているので見つからないはずだ。
きつねも消えた、大規模な戦闘もしてしまった、加えてやつがおれの情報をペラペラ喋られるほど精神がまともではないとくればわざわざやつを始末することに固執する意味はない。追われるきつねには気の毒だがおれだって命は惜しいし向こうも俺を見捨てて消えたんだからおあいこだ。……これは少し大人げないか。
遠くから破壊音が聞こえる。おそらくやつがおれかきつねを探して暴れているのだろう。このまま勝手にほかの好戦的なやつらとつぶし合ってくれればいいのだが。
しかし先ほどの戦闘、気になるところがある。やつはおれがビルの中にいたとき、そしてやつが左腕のとぐろの中に引きこもったとき、いったいどうやってこちらを察知し攻撃を当てたのか、だ。前者はビルの中をやみくもに攻撃したとしても後者のほうは確実に俺が見えていないと攻撃はあてられないはずだ。そもそも右腕からおれが離れたのもいったいどう判断したのか……。
いや、どうせもう戦わないし、もし見つかりでもしたらそれこそおしまいだ。あまり考える必要はないだろう。そう思い意識を周囲に戻すと相変わらず壁を砕く音が響いている。いや、これは……音が近づいている!
「見つけたァ! 出せ! あの子をだせええええええ!」
振りむいた先の道の先、のっぽの男が両腕を両脇のビルに交互に突き刺し空を高速移動して接近してきていた。コンクリートジャングルのターザンか何かか。
「クソッ! それしか言えねぇのかロリコン野郎!」
痛む体に鞭打ちながら走り出す。だが容易に追いつかれ回り込まれおれの前へ蜘蛛のように降りてくる。
「ねぇあの子をどこにやったの? きみが隠してるんでしょ、今なら半分だけで許してあげるからあの子を出してよ」
出してと言われても勝手に消えたものは出せないし、半分だけとはいうが何が半分なのか。どうせろくでもない半分に決まっている。
おれの沈黙を拒否ととらえたのか両腕に突き刺したビルをこちらに飛ばしてくる。すぐさま飛び退き手近なビルを、取っ掛かりなどを利用してよじ登り屋上へ上る。
やはり何かこちらの動きを察知する何かをやつは持っているはずだ。そうでなければこれほど短時間に迷いなく見つかるはずがない。それさえ分かればなんとかなるかもしれないがどう考えてもそれを探るほど余裕はない。
腕だけが下から伸び俺を襲う。本体は下から出てくる気はないらしい。つかみかかる右腕を最小限の体のひねりで躱し、左腕の追撃を這いつくばって避ける。そのまま跳ねるように仰向けになり通り過ぎた両腕の途中に"天使の一指"の雷撃を喰らわせる。分断された両腕は修復しようと元に戻り始めた。
このままではじり貧でこちらが死ぬ。その前に賭けに出るしかない。俺は跳び起き、"天使の一指"を最大出力にする。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
右手の雷をそのまま自らの立っている屋上の床へと放った。とてつもない衝撃が襲い、屋上を、巨腕を破壊しビルを突き破って落下していく――
「ぼくはデカい男とかくれんぼする趣味はないんだけどなぁ……」
崩壊したビルの中へのっぽが入ってくる。屋上の階下の部屋はあちこちががれきにまみれ、床も穴だらけでボロボロだ。のっぽはざっと部屋を見回すがそれらしき標的は見当たらない。
「うーん、何にも聞こえないし……面倒くさいなぁ」
うつむきながらぶつぶつと独り言をつぶやくのっぽの男。その姿は紛うことなき変質者のそれであった。
「……うん、あいつ殺してもきっとまたさっきみたいにお嬢ちゃんに会えるよね」
ふらふらと歩き回った果てにそう結論を下し、ビルをつぶさんと巨腕を振り上げる。
「――そーか、やっぱり音で判断してたんだな」
のっぽが驚愕に目を見開いた時にはもう遅い。渾身の雷撃がのっぽのいる床、いや天井に炸裂する。天井が壁になってダメージこそ入らなかったがその衝撃でのっぽははるか上空へと吹き飛ばされた。
「おっ、おおおっ!? くそっ、下か! 床の穴から!」
「はっきり言って後がないから完全に勘であたりをつけたんだが……じっとしてるときは寿命が縮んだぜ」
やつがいたさらに下の階での待ち伏せ。音をたてないようにするため呼吸すら最小限にしてまでの策は功を奏したようだ。
「そこなら腕の修復はできねぇよなァッ!」
「やっ、やめろ待て! ぼくにはお嬢ちゃんを助ける使命が……!」
おれの右腕が放電音を鳴らし輝きを増す。あれだけいいようにやられたんだ。そろそろこっちが良いようにやってもいいよな?
「ちゃあああああああああああ!」
あらん限りの雷撃をやつにぶち込む。左右の腕がガードするが空には修復する材料は存在しない。無数の紫電の槍が巨腕を砕き、ついに本体を貫いた。
「ふぅ……心身ともにぐったり来たぜ」
ため息をつきながらグローブをぐいと引く。コンクリートの雨とともに落ちてきたのは焼け焦げた変態だった。
この状態で襲われたらひとたまりもないとツール漁りもせずすぐさま移動を開始した。フラフラ歩いていると聞き覚えのある声が俺を呼び止めた。
「おにいちゃん、大丈夫?」
前回と同じく気配もなく心配そうに現れたのはきつねだった。
「大丈夫じゃねーよどこに消えてたんだよ」
「ごめんね、おじさん、しつこくて怖くて……」
確かに子供一人で生命の危機が隣り合わせの状況でさらに変態の危機が迫ってきたら反射的に逃げても仕方ないか。
「まぁいいや。で? どうやって消えたんだ? お前」
「これ、拾ったお面。これを被ると誰にも気づかれなくなるんだよ。目の前に居ても隣でわっ! って声出しても全然聞こえないの!」
そういいながら彼女の名前の由来になった狐のお面を指さす。なるほど、それでツール使用履歴もなしに今まで逃げきれたのか。音も聞こえないならあののっぽにも気づかれず逃げ続けられるわけだ。
そう合点がいったところでフラッと倒れそうになる。
「お兄ちゃん!」
「ああ、大丈夫だって。ちょっとこけそうになっただけさ」
「いやーどう見ても大丈夫じゃないですねー。もう今にも倒れそうですよ!」
聞きなれない軽そうな男の声の方向に反射的に右手を向ける。ダメージを受けすぎて気配の察知すらおろそかになったか。それを受けて男は両手を上げて無抵抗のポーズをとる。ツールなんぞが蔓延してる世界ではまるであてにならないポーズだが。
「あいやいやいや! ちょっとまってまって! 敵じゃーなければ怪しいものでもないですよわたし!」
「なぜ右手だけで攻撃の準備だと分かった」
「そ、そりゃ―さっきの戦い拝見させてもらいましたからね! いやー変態ゴーレムとして有名なアレをたった一つのツールで仕留めるなんて凄いですねぇ!」
男は身振り手振り、良く通る声で感情豊かに話す。他の人間の情報をある程度把握しているようだしこちらとも表面的には友好的に接しているところを見ると暴走状態ではなさそうだ。
「あの、おにーさん、だれ?」
おれの疑問をきつねが代弁してくれた。これは助かる。はっきり言ってもういつ意識が途切れてもおかしくなく問いかけるのも億劫なのだ。
「わたし? ああわたしの名前は水梟です。この辺で暴凶化した人の情報を売ってる者です。どもどもよろしく」
暴凶化……? ダメだ、思考が回らない。"天使の一指"を使いすぎた。副作用が……。
きつねと水梟が何か話しているのを聞きながら、俺は意識を手放した。
おれの新しいシールを見せてやる
まそっぷ!!