はじまり⇒たびだち
「もうこんな生活いやだぁぁぁぁぁぁっっっ!」
桜満開だった街路樹の色合いが、徐々に新緑に入れ替わっていく四月の初旬。
春も中頃のこの時期、東京都とは名ばかりの山奥にある小さな鍛冶工房で、今日もオレの魂の叫びがこだました。
「こんなクソ田舎のクソ山奥で! 毎日毎日、灰かぶりで煤まみれの雑用三昧! オレはもうじき高校生になるんだぞ! 本来ならロマンにあふれた思春期を満喫する年頃なんだよっ! 一度だけの貴重な青春をこんな鍛冶場の下働きで浪費してられっかド畜生ッ!」
来る日も来る日もトンテンカン・トンテンカンと煤まみれの灰かぶり。
東京都とは名ばかりの山奥で繰り広げられる花のないストイックな職人道生活。
そんな終わりも娯楽も見えない共同生活に、ついにオレはブチキレた。
ええ、キレてますよ。完全にブチ切れてましてよ。
この私を怒らせるとは大したオバカさんですよオホホホホ。
いやホントに、今回ばかりはマジで堪忍袋の緒が切れました。
うちは昔堅気な、悪く言えば時代遅れで旧いタイプの鍛冶屋を営んでいる。
まぁ、いわゆる先祖代々から続く刀匠の家系というやつだ。
うちの親父も、その爺さんも、そのまた爺さんも鍛冶仕事一筋の職人肌。人里離れた山奥に工房をかまえ、百姓や木こりを相手に細々と鍛冶屋を営むこと百余年。
創業開始は明治維新前で、ヘタすりゃ戦国時代まで遡るらしい。
どこまで本当のことかは知らないが。
鍛冶屋といっても、うちは歴史こそ長いけど刀派としてはマイナーのマイナー。
刀剣の仕事での知名度は無きにひとしく、あるのは農耕具屋や包丁屋としての実績ばっかりで、とてもじゃないが関の刀匠みたいなメジャーどころには及ばない。
時代的に刀鍛冶の仕事が多かった幕末期の御先祖様すら、記録では数打ちの大量生産品ばかりを鍛えていたようで、ちゃんとした銘刀を作っていたのかどうかも怪しい。
自慢になることといえば、いいとこせいぜい依頼があれば鉄瓶から農耕具、西洋剣から日本刀、包丁から手裏剣までなんでも揃えられる器用で無節操な技術力ぐらいだろうか。
このオレも職人の家に生まれた者の御他聞に漏れず、幼少期から当たり前のように一人前の鍛冶屋になるための英才教育を、親元で骨の髄まで叩き込まれてきた。
そのこと自体は別にいいんだ。良くも悪くもエリート街道には違いない。将来のゴールがとりあえず確約されているっていうのは社会的な強みだと思ってる。
世は正社員なんて夢のまた夢の不況の御時勢。うちの家業はマイナーどころとはいえ、地産地消でギリギリやっていけるぐらいの需要はあるし、稼ぎ自体もそこまで悪くない。
自営業でそこそこ喰っていけるポテンシャルがあるのなら、オレも特に芸能やスポーツ面でそう際立って突飛している才能があるわけでもないので、妥協ラインで鍛冶屋の跡継ぎという鋳型に嵌められた夢の無い選択肢もアリなんではないかと思っている。
だけど、だ。
娯楽や情報媒体に乏しい昭和の時代ならいざしらず、携帯電話が一つあれば世界の情報がリアルタイムで簡単に手に入るこの二十一世紀に、いいトシぶっこいた青少年がほとんど山梨県の辺境と言っていい『なんちゃって東京都』の山奥に引きこもって、山伏や修験者みたいな求道者生活を強いられるのは明らかにおかしい。
おまけに父親が仕事だけがトモダチの根っからの鍛冶職人で、家庭を顧みなければユーモアも娯楽も解さない超堅物とくれば、それはもう生活環境もガッチガチのインゴットよろしくな冷え固まった鍛冶一色の環境ですよ。
一般的な家庭の温もりなんてあったもんじゃない。
そんな味気ない毎日でも、他のクラスメイトたちのように帰宅時に学校近くの商店街に寄り道してカラオケやゲーセンとかで勤しむ娯楽があればちったぁマシだったんだろうけど、残念ながらオレの場合は家の事情でそんな悠長なことをしていられる暇が無く、下校のあとに待っているのは、クソ親父のクソ仕事場でのクソめんどくさいクソ下働き。
週二回の道場通いを除いたら、自分の時間なんてほとんどない。
もちろん彼女なんていやしません。『なにそれ美味しいの?』という状態だ。
中学生になったら、ちょっと優しく接したらコロっと落ちて惚れ込んでくれるチョロい美少女に囲まれて、みんなでオリジナルの部活を立ち上げてキャッキャウフフできる虹色の青春が待っている。
そんな風に考えていた時期がオレにもアリマシタ……
「今日こそ言わせてもらうぞ。平日は学校終われば日が暮れるまで仕事の手伝い。日曜祝日はトンテンカントンテンカンと地味で時代遅れな鍛冶屋の修行。春休みになれば少しはマシになるかと思えば、山篭りで朝から晩まで仕事の手伝いとかマジでふざけんな!」
通常の学生生活でもこのザマなのだから、現状のような春休み期間ともなれば、それはそれはもう毎日が修行漬けだ。今週なんか定期の道場通いすら禁止という猛特訓モードで自宅にも帰してもらえず、人里離れた山奥の鍛冶場に朝から晩までカンヅメ状態。
オレだって思春期最盛期の多感な十五歳ですもの。こんな修行僧じみた我慢我慢の禁欲生活を送らされ続けたら、いいかげん支配からの卒業を試みたくなるってもんです。
「こちとら遊びたい盛りの十五歳なんだよ! 中学時代の仲間たちは花見だコンパだのカラオケだのって春休みを無駄なく使って青春を満喫してんだよ! さすがにもう我慢の限界だ! こんな青春の無駄遣いをいつまでも続けてらんねぇよ畜生めぇッ!」
これまで幾度となく父親に叩きつけてきた青年の主張。現状の不満をこの鉄塊みたいな筋肉ダルマの前で口にするのはこれで何度目だろうか。百から先は覚えていない。
そんな激昂するオレの意見に対し、
クソ親父の返答は実に簡潔かつ冷淡なもので……
「愚痴なら聞かんぞ。無駄口を叩く暇があったら早く炭もってこい」
振り向きもせずにコレである。
計量の微塵のミスが品質の良し悪しに大きく影響するたたら製鉄の作業中とはいえ、毎度のことながらとりつくしまもない。
「桜が見たけりゃ薪割りついでに山でも見てろ。歌いたきゃ風呂場で歌え。娯楽がどうのとか愚痴るんなら休憩時間に事務室のパソコン使ってネットでも観賞するんだな」
「ISDN回線じゃクソ重くて動画サイトもまともに動かねぇっつーのよ!」
この山小屋、ケータイも繋がらないヤバイとこです。通信も無線メインだし。
「これでも俺やジイさんがガキんときよりも桁違いに恵まれてんだよ。俺がお前んときぐらいは、テレビも無ぇ。ラジオも無ぇ。たまに来るのも回覧板ぐらいのモンだったぞ」
「吉○三の歌かよ」
「詳しいな」
邪眼の力を嘗めるなよ。
「親父、こんな言葉を知ってるか? ドイツの文学者、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは後世の人々にある言葉を残している。脱皮の出来ぬ蛇は、ただ滅びるのみとな。人生の敗北者ってのはな、挑戦に失敗した者のことじゃない。リスク覚悟で未知に挑むという開拓の意志を忘れた皮の剥けない包茎野郎のことだ!」
「そうか。それはよかったな。要件が済んだのなら炭だ。その次は砂鉄をもってこい」
……さすがだよクソ親父。そのスルースキルの高い鉄の精神力は尊敬に値するわ。
本日の【伝説の武器】うんちく♪
○『ダグダの棍棒』(だくだのこんぼう)
ケルト神話に登場する神『ダグダ』が使用していたとされる巨大な棍棒。
その大きさは攻城槌に等しく、八人がかりでてやっと運べるサイズだと記されている。
一説にはその棍棒を運ぶための車輪が外付けアタッチメントとして付属しているとか。
ダグダは粥をこよなく愛する善神で、豊穣と再生を司るこの神が棍棒を振るえば陣形八列に渡る敵を殺すことができた一方、多数の死者を生き返らせる事もできたという。
初代ドラゴンクエストで『こんぼう+ぬののふく』にするか『こんぼう』だけ買って10G貯めて『かわのふく』を買うかで無駄に思い悩んだ思い出。
ダークソウルではイロモノのふりして妙に強いロマン武器としてお世話になってます。
《近況報告》
ここまで御購読してくださった読者のみなさまに感謝。
今日からゴールデンウィーク開始ですね。合間合間に仕事の入る飛石連休なのが残念。
なろう用の原稿を書きしたためているうちに休日が終わっている不具合について。
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