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海とさよなら  作者: 佐藤
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第9章 約束の人

第9章 約束の人


 少女は微睡みの中にいた。


 目を開けても、暗闇しかなかった。


 海の底は、悲しいくらいに真っ暗で、波もなく、

どこかへ行くことも、消えることも叶わずにいた。


 深く暗い海の底で、少女は傷つかない代わりに、ずっと独りだった。


「...光...?」


 眠っていた少女は、体を起こす。地上から、ゆっくり、光が近づいてくる。


 小さな光が、段々と、丸い光となっていく。


 その中心に、スーツ姿で眼鏡をかけた、一人の男の姿が見えた。





 男は目的地に到着すると、ライトを弱める。


 そして計測器を鞄から取り出すと、深海の

状態を測り、異常がないことを確認した。


 男は屈み、目の前の物体を見つめる。


 海底の砂の上には、白と黒の交じった石が、一つあった。


 この石を回収し、神のもとに持ち帰ることが、

CHである、この男の仕事だった。


 男は眼鏡の位置を正し、石へと手を伸ばす。



 その手に、そっと、少女の小さな手が重なった。


 男は驚き、顔を上げる。


 男と目が合うと、黒いセーラー服を着たその少女は、

手を引っ込めてふわりと、距離をとった。


「...あの、ごめんなさい...私...あなたの邪魔を

 したい訳じゃ、ないんです...その...あなたが

 この石を持って行きたいのなら、それでいいんです...

 でも、私、そうすると、どうなるのかが、自分でも

 よく分からなくて......この石、私だから...その...」


 要領を得ない少女の言葉に、男は何の反応もない。

少女は焦り、言葉にしようとするが、うまく伝えられず、

申し訳なさそうな、悲しそうな顔をする。


 男は少し考えると、ゆっくりと少女に近づいた。

そして、少女の手を掴み、その手のひらを、自分の胸へとかざした。


 そうして、しばらく目を瞑る男を、少女は不思議そうな瞳で見つめる。


「...これは、涙が出てくる気持ちだ」


 少女の手を離すと、その黒い瞳を、男はまっすぐ見つめた。

そして、再び、計測器を鞄から取り出し、確認する。


 しかし、数値は平常で、変化はない。



 不安そうに見つめる少女に、男は、淡々と話し始める。


「私の仕事は、この石を持ち帰ることだ。だが、君は自分のことを、

 この石だと言う。このままでは、私の仕事に支障が出る。」


 少女は首を傾げ、男の言葉の続きを待つ。


「君はどうしたら、ここから解放される?」


 少女は目を伏せ、悲しそうに笑った。


「...これは、罰だから...許されるまで、私はここにいると思います」


「それなら、どうすれば君は、許される?」


「...それは...」


 男の問いに、少女は、言葉に詰まる。

困っている少女の様子を見て、男は質問を変える。


「私は君に、何ができるだろうか?」


 少女が顔を上げると、男は、少女をまっすぐ見つめていた。


 少女は慌てて、男から目を逸らした。

うつむき、ぎゅっと口を結ぶ。



 だが、少女は意を決したように、勢いよくその顔を上げると、

弱々しい声で、自分の想いを叫んだ。



「私を、幸せにしてください!」



 少女はまっすぐ、男の瞳を見つめ返す。

そして、今度はさっきよりも大きな声で、

必死に、自分の想いを言葉にした。


「私、ずっと幸せになりたかった!だから、あなたが私を

 幸せにしてくれたら、私、この世界と、さよならできる気がします!

 だから、だから私を、幸せにしてください!」



 強く訴える少女を、男は茫然と眺めていた。


 少女からは止めどなく、強い信号が送られ続け、男の胸部にある、

感情を読み取る装置が、ビリビリと反応した。



(この感覚は、何だ?)


 男は自らの思考に、明らかなノイズの混じりを感じる。

通常であれば外部回線を切って対処するが、なぜかこのノイズは、

消す必要がないように思えた。


(この感覚は、何だ?)


 海を目の前にした時から、いつもとは違う感覚に襲われていた。

そして今、その原因は、目の前にいる少女のような気がして、ならなかった。



 制御された頭の中で、エラーが飛び交う。

少女の発言はひどく感情的で、信憑性は低く、その願いを叶えることは、

全く合理的ではない。CHとして、不適切な判断であることは、明白だった。


(それなのに、この感覚は何だ)


 男は自らの感情に、戸惑っていた。



 もう一度、少女の手をとると、自分の胸へとかざし、それを確認する。


 少女の気持ちを読み取り、男は理解した。


「...これは、私に強く望む気持ちだ」



 この瞬間、男は、自分の中に、CHや神とは異なる、

新しい「正しさ」が生まれたことを認識した。


 そしてそれは、自分にとって、最も重要であるという、

根拠のない自信もあった。



 男は少女の手を離すと、鞄から計測器を取り出し、確認する。


 やはり、数値に変化はなかった。

その事実が、男には、何よりも大切に思えた。



「私にもメリットがあるようだ。」


 男はそう呟くと、まっすぐ、少女を見据える。



「私は、君を幸せにすると約束する。」


 そう言って、男は、少女に手を差し伸べた。


 少女は少し驚いて、笑った。

少女の笑顔は、花が咲いたかのように、男の目に映る。


「...迷惑をかけて、ごめんなさい...」


 そう言って、少女は男の手に、自分の手を重ねる。


「私のことを気にすることはない。」



 微笑む少女の姿は消え、男の手には、石の白い半分が乗っていた。


 男はそれをワイシャツの胸ポケットに仕舞う。



 そして、砂の上に残された、もう半分の黒い石を、まっすぐと見つめる。


「私は君を、幸せにする。もし君が、自分自身を

 許せなかったとしても、私は必ず、君を迎えに来る。」


 それだけを伝えると、男は迷いなく、暗い海を歩き出した。






 目が覚めると、少女は電車に揺られていた。


 向かいの窓から、海が見える。

日の光を、波が反射して、キラキラと輝く。


 木造の橋の上を、電車はカタカタと音を立て、走り、海を渡っていく。



 隣には、彼が眠っていた。

彼と触れている、右側の温度が、心地よい。


 少女はこっそり、彼の顔を覗き込んだ。

少女はなんだか楽しくて、クスクスと小さな笑い声をあげる。

そして、少女は、彼の肩にそっと寄りかかる。



 海のすぐ上を走る車窓からは、遠くの海と空が見える。



「泣いているの?」


 少女は問いかける。


「涙は、出てこない。」


 彼はそう答えた。


 少女が可笑しそうに笑うと、そんな少女を見て、彼も笑った。



 2人は並んで、海と空を見つめた。


 同じ景色を見ていられることが、嬉しかった。


 たとえ、その景色を見て、同じ気持ちに

ならなかったとしても、2人は幸せだった。



 少女は楽しそうに、陽気な鼻歌を歌う。


 どこかで聴いたことのある、やわらかな旋律だった。


 彼は、ずっとそれを聴いていたいと思った。


 少女が歌うのをやめると、電車には、静けさが満ちていった。



 寄り添う体の鼓動を感じながら、今までの、全ての出来事を思い出す。



「...僕は君を、幸せにできたのだろうか」


 彼は、まっすぐ前を向いたまま、少女に尋ねる。



 少女もまた、まっすぐ前を向き、答える。


「私は、幸せでした。」



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