第8章 寄り添う人
第8章 寄り添う人
電車が揺れて、少女は目が覚める。悲しい夢を、みていた気がした。
目を開けるが、まだトンネルのようで、車内は暗いままだった。
電車が減速している。
もうすぐ、駅に着くのかもしれない。
少女は頭の中で、ぼんやりとそう考えたが、
どうでもよさそうに、再び目を閉じる。
「あぁ、また眠ってしまうのか」
聞き覚えのない声が、隣から聞こえた。
少女が顔を上げると、ドアに背中を預け、
少女を見下ろす少年と、目が合った。
訝しげな顔を少女が向けると、その少年が微笑むのが分かった。
電車がゆっくりと停車する。
「駅に着いた。立って」
「...え...?」
有無を言わさず、少年は少女の手をとり、
引っ張られた少女は席を立つ。
同時に、ドアが開く。
着いたのは、風の強い、地下のホーム。
そこにはたくさんの、白い布を
かぶったような塊が彷徨っていた。
2人がホームに足を着いた途端、
それらはくるりと、こちらを向いた。
その様子に、少女は思わずたじろいだ。
「大丈夫。走って」
少年はそう言って、少女を連れ、走り出す。
すると、白い何かは、大きな黒い目でそれを追い、
明らかに2人を捕まえようと、不安定に動き出した。
2人が走る姿を、遠くにいた白いそれらも
気がついて、線路を越えて向かってくる。
「どこへ行くの!?」
少女は必死に足を動かしながら、少年に尋ねる。
「電車を乗り換える」
少年はまっすぐ前を向いたまま、そう答えた。
駅は広く、どのホームにも電車が止まっていた。
少女には、どれが「終点」に向かう電車なのか、分からなかった。
だが、少年は迷いなく、前へと進んでいく。
手を引かれながら、少女が後ろを振り返えると、白い何かは
幾体も集まり、波のようになって2人を追ってきていた。
そのあまりの多さに、少女の背中には冷たい汗が流れる。
カンカンカンカンと、金属がぶつかるような足音が追いかけてくる。
思わず手を緩めると、少年の手がぐっと、
繋いでいる少女の手を握り直す。
「大丈夫」
少年は、少女にそう微笑むと、階段を駆け上がった。
閉鎖的な連絡通路には、覚束ない足取りで、白い何かが
2人を探している。後ろからも、無数の足音が響いてくる。
少年は、大きな円柱の後ろへと少女を引き寄せ、息を潜める。
「狭くて悪い」
少年はそう言って、申し訳なさそうに眉を下げた。
平然とした様子の少年だったが、胸から聞こえる鼓動の音は、ドクドクと早い。
不思議に思って、少女はそっと、少年を見上げた。
少女の視線に気づいた少年は、一瞬だけ、恥ずかしそうな顔を見せると
「困ったな」と、小さく呟いた。
少女は慌てて、少年から目を逸らした。
しばらく隠れていると、後ろから来ていた白い何かは、2人を通り過ぎ、
それにつられるようにして、先にいた白い何かも行ってしまった。
円柱の影から出た2人は、辺りを窺いながら、足早に通路を移動する。
そして、遠くにいる白い何かに見つからないよう、時折、身を隠しながら
移動し、ようやく目的のホームへと辿り着いた。
そのホームには、絶えずスピードの出た急行列車が通り、
風を断ち切っていく。叫ぶような、突風と電車の通過する音が鳴り響く。
少女は恐怖で、身を竦めてしまう。
少年は立ち止まると、少女を見つめた。
白い何かは近くにいないのに、少女がどうして動けないのか、
少年には分からない様子だった。尋ねようにも電車の音で、言葉は届かない。
少年は目を瞑った。
そして、繋いでいる少女の手のひらを、そっと、少年の胸へとかざす。
少女の気持ちを、少年は読み取る。
「...これは、怖い気持ちだ」
理解した少年は、目を開け、少女の両手を包むようにして触れた。
そして、それを少女の耳に持って行くと、「塞いでいて」と微笑んだ。
少女は小さく頷くと、ぎゅっとその耳を塞いだ。
すると、少女の足は、ふわりと宙に浮く。
驚いた様子の少女を気にすることなく、少年は
その体を抱きかかえ、ゆっくりと、ホームを歩き出した。
降ろしてと伝えようにも、声は届かない。
諦めた少女は、大人しく少年に運ばれることにして、
なるべく小さく体を縮める。
お陰で電車の音は聞こえなくなったが、その分、
自分の鼓動の音が騒がしく、少女の顔は赤くなっていた。
列車が何本か通り過ぎると、いつしか音は止み、ホームは静まり返った。
少女は耳から手を離し、少年に声をかける。
「あの、ありがとう。もう降ろしてください」
少年は少し考えてから、少女をゆっくりと降ろした。
「さっきの方が、君の気持ちが分かるんだが」
残念そうにそう呟いた少年に、少女は恥ずかしくなって、
何も言えなくなった。
背後から向かってくる電車のライトが、パッと、2人を照らした。
少年は少女をかばうように抱き寄せたが、やって来た電車は
ゆっくりと減速し、しばらく先で停車した。
「あの電車だ。行こう」
そう言って、少年は再び、少女の手を握る。
少女は小さく頷き、応える。
カンカンカンカンと、背後から無数の足音が響く。
振り返ると、白い何かが2人を見つけ、追ってきていた。
電車に乗らせまいと、それらは大きく
体を揺らし、暗いホームを駆けて来る。
少年と少女は、前方で停車している電車へと急ぐ。
白い何かも足をばたつかせ、追いかけるが、
2人が電車に乗り込むと、扉が閉まった。
車内はとても暗く、ホームの方が明るいくらいだった。
扉が閉まってしまうと、白い何かはそれ以上追うことができず、
苛立たしそうにザワザワと、その体を揺らした。
その陰鬱な様子に、少女が目を離せずにいると、
遮るようにして、少年が間に入る。
電車が、小さく揺れて、動き出した。
「行こう」
暗い車内の中、少年と少女は共に、一番先頭の車両へと移動する。
2人以外、乗客も運転手も乗っておらず、
下り列車と、同じ座席の電車だった。
出入口付近の2人掛けの席で立ち止まり、ドアに近い方に、
少年が座る。そして、少年の左隣に、少女も座った。
2人は並んで、流れていく、暗いトンネルの景色を眺めた。
少女が手を離そうか迷っていると、少年がそっと手を離す。
気恥ずかしさを紛らわそうと、少女は、隣に座る少年を
あまり見ないようにしながら、言葉をかける。
「...あの、迷惑かけて、ごめんなさい」
すると、少年は楽しそうに笑った。少女が怪訝な顔で、少年を見る。
微笑んだ少年は、まっすぐ少女を見つめて、言葉を返す。
「僕の方こそ、ありがとう」
少女には、何に対して感謝されたのか分からなかった。
だが、少女が混乱していると、少年が楽しそうにそれを眺めては、
とても柔らかな表情で笑った。
顔を赤らめた少女は、口をぎゅっと結び、窓の外へと目を移した。
電車は走り続けるが、まだ、長いトンネルを抜けられずにいた。
向かいの窓には2人の姿が映り、流れていく光を眺めている。
いつの間にか、通り過ぎる灯りの色は、薄い青色に変わっていた。
それを見た少女は、微かな息苦しさを感じ、小さく、息をついた。
少年が、少女の方へと顔を向ける。
「どこか、痛むのか?」
少女は首を振って、答える。
「...なんだか、海の中みたいで、嫌なだけ...」
冷たい色のライトに照らされた少女は、
苦しさを吐き出すように言葉を続ける。
「深い海の底って、すごく静かなんだ」
少女と共に、少年も青い光に照らされながら、
その言葉に耳を傾ける。
「誰もいないから、私は、何も考えないで済むの。
...でも、海の底は冷たくて、真っ暗で、何も聞こえなくて
...私...いつまでも、ひとりぼっちだったな...」
悲しそうに少女は笑って、気持ちを
誤魔化すように、足をぶらぶらと揺らす。
しばらくしてそれを止めると、少女は口を開いた。
「...これってね...悪いことをした、罰なんだ。
許してもらえるまで、私、そこにいないといけないの。
...だからもうすぐ、戻らないといけないんだ。」
「...それなら、どうすれば君は、許される?」
「...それは...」
少年の問いに、少女は、言葉に詰まる。
ブレーキ音もなく、電車が減速した。
それと同時に、車輪の音が遠く、小さくなる。
窓の外は、トンネルを抜けたようだが、
真っ暗で何も見えなくなった。
その変化に、少女は怯えたように顔を引きつらせ、
首元を、確かめるように触る。
少年は、冷えていく少女の手を握る。
「...海だ...海の中だ...」
少女の呼吸が荒くなる。少女は震え、口元を
押さえようとするが、少年はその手を離さない。
どこからか、大量の海水が流れ込んでくる。
少女の顔が青ざめる。
「どうしよう私のせいだ!逃げて!早く逃げて!」
少女は、自分と一緒に水に埋もれていく少年に届くよう、必死に叫んだ。
だが、少年は首を振り、繋いだ手に力を込める。
青い色の水が少年を、蒼く、真っ黒に塗り潰してしまう。
少女は苦しくて、その口からは、空気だけが洩れ出て行く。
「大丈夫。必ず君は、許される。」
少年の声が、蒼い水の中で響いた。




