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海とさよなら  作者: 佐藤
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第3章 旅立つ人

第3章 旅立つ人


 目が覚めると、ママが疲れた顔をしていた。


 私が起きたことに気づくと、ママは安心したように微笑む。

見慣れた部屋、ここは、私達の住む家だった。


 りっちゃんと目が合う。


 私は笑ったのに、りっちゃんは泣き出した。


「ごめんね」と謝ると、彼女は顔を手で覆い、首を横に振った。


「...私、どうしたのかな?」


 ベッドに横になっていた私は、りっちゃんが

落ち着いてから、自分に何が起きたのかを尋ねた。


「...急に、何かを見つめて、息が苦しそうになって、気を失って...

 とにかくママさんの所へと思い、近くの方に助けてもらって、

 この家まで......でも、私、何もできなくて......ごめんなさい...」


「...そっか、ありがとう。りっちゃんごめんね」


 私が謝ると、彼女はまた泣き出しそうになって、

首を横に振り、うつむいていた。


 ママは心配そうな瞳で、私のことを見つめていた。

私はママに、気の抜けた笑顔を向ける。


「ごめん、ママ」


「...ごめんなんて、言わなくていいの」


 ママはそう言うと、私の髪を撫でた。



 時間だ。

 もう、時間がきてしまった。


 悲しむ2人の姿を見ながら、私はそう実感した。



 あの声の、嘘という言葉が、頭の中で蘇る。


 違う。この「幸せ」は、嘘じゃない。

みんなも、嘘つきなんかじゃない。


 強く否定するように、私はぎゅっと目を閉じる。


 大丈夫、まだ、間に合う。

あともう少しだけ、この「幸せ」を終わりにするだけの時間がほしい。


 声に飲み込まれる前に、この「幸せ」を終わりにすれば、

私はずっと、この「幸せ」を、持っていられる。


 私は強く、自分に言い聞かせるようにして、心の中で呟いた。



( わたしは 見てる 私を ずっと 見ている )


 一瞬だけ、声が聞こえた。



 ゆっくりと目を開けると、影ではなく、

ママとりっちゃんの瞳が、私を見つめていた。


 私のことを心配してくれる家族がいた、友達がいた。

嘘つきなんて、どこにもいない。この幸せは、嘘じゃない。


 そして、私は、それを証明するために、この幸せを

終わりにしなければならない。



 この幸せが、奇跡のようなものであることを、私は知っていた。

私はこの白い世界に来た時から、全て、分かっていたはずだった。


 ただ私は、ずっと、何も知らないふりをして、みんなに甘えていただけ。


 だからこそ、私はこの幸せと、笑顔でお別れを、しなければならない。

みんなに「楽しかった」と、伝えなければならない。



 私は2人の瞳をまっすぐ見つめ、口を開いた。


「...今まで...」


 ピタリと、そこで、言葉は止まった。もう一度、私は口を開く。


「...今まで...」


 意思に反して、再び、言葉が途切れてしまう。

私は、何度も息を吸い込み、口を開く。


 だが、どうしても、伝えたい言葉が、形にならない。


 心の中では「ありがとう」と、何度も何度も繰り返しているのに、

空気ばかりが洩れ出て、私の声にはなってくれない。


「...今まで」



 ママがそっと、私を抱きしめた。


「分かった」


 ママにそう言われて、私は唇を、ぎゅっと結ぶ。


 だが、歯を食いしばっても、ポロポロと、涙が溢れてきてしまう。


 こんな悲しいお別れを、するつもりはなかったのに。

私はどうしようもなく、泣いてしまう。



 別れを伝えるのが、こんなにも辛いなんて、知らなかった。



 それでも、黒い声は、私のことを待ってはくれない。



 ママの温かな腕の中から、私はそっと離れる。


 2人には、笑っていてほしい。

ただ、それだけの気持ちで、私は笑顔を作った。


「...今まで...ありがとう...」


 私は涙を零しながら、掠れた声で、幸せの終わりを告げた。






 目が覚めると、私は電車に揺られていた。


 眠気から、体は動かない。周りには、たくさん人の気配がする。

でも、誰も、何も喋らない。


 ゴトゴトと、刻みよいリズムで小さく揺れる車内。

車窓から柔らかく感じる、昼下がりの陽射し。


 長い時間座っていて、いつの間にか眠ってしまったらしい。


 ほんのりとした温かさが、右側から伝わる。


 私が寄りかかっているのは、お父さんの背広の肩だった。


 全然、柔らかくない。


 それなのに、私は心地よくて、微睡んでしまう。



 長い座席の電車だった。通路を挟み、私とお父さんに

向かい合うようにして、ママが座っていた。


 ママは顔を横に向け、自分の後ろの窓から、

流れていく景色を見つめていた。


 お父さんは、何を見ているんだろう。

気になったけれど、私はそっと目を閉じた。


 ずっと、こうしていたかった。


 けれど、私は電車に乗ってしまった。電車はどんどん「終点」に向かって、

走っていってしまう。私の幸せが、終わってしまう。


 黒い声の言葉を、私は思い出す。


( 私は 全部 分かっているのに ひどいね )


 その通りだった。私は、終わってしまうと分かっていた。

幸せをもらった時から、私は、この終わりを知っていた。


 それなのに、私はどうして今も、目を開けることができないのだろう。




「泣いているのか」


 お父さんに聞かれて、私は体をゆっくりと起こし、目元を拭った。

 指先が、濡れている。


「泣いてないよ」


 私はそう言うと、ママと同じような姿勢をとり、後ろの窓へと顔を向けた。


 お父さんが今、どんな顔をしているのか、見るのが怖かった。

もし悲しい顔をしていたら、私は、幸せではなくなってしまう気がした。


「...泣いてないから、楽しい話をしてよ、お父さん」


 私はお父さんに背を向けたまま、そう呟く。



 お父さんは眼鏡の位置を正すと、静かに、話を始めた。


「...一人の男が、電車に乗っていた。その男が、その場所を

 訪れたのは、仕事のためだ。仕事しか知らない男だった。」


 お父さんは一呼吸おいて、再び話し始める。


「男は駅に着くと、電車を降りて、目的地に向けて歩き出した。

 外は、夕陽が沈みかけていた。男が着いたのは、海だった。」


 電車の車輪が、カタンカタンと、音を響かせている。


「その男はCHだった。CHは、自らの感情を持たない。

 与えられた仕事は、海の中にある『それ』を見つけ、

 神のもとへと持ち帰ることだった。男は『それ』が

 何であるか、持ち帰ることに、何の意味があるのか、

 知らなかった。海の深い場所で、男は『それ』を見つけた。」


 一呼吸置き、お父さんは言葉を続ける。


「だが、男は神のもとには戻らなかった。

 ...そして、男はCHであることをやめた。」


 言葉はそこで途切れた。

私は、お父さんの方を振り向く。


 お父さんは、まっすぐ、前を見ていた。


「...ここで、終わり?」


「話はまだ、続いている。」


「一番気になる部分が、抜けているんだけど...」


「それに関しては、私が話すことではない。」


「...そもそも、これは楽しい話なのかな?」


「楽しい話にする。それが約束だ。」


 約束という言葉に、私の心は引っ掛かる。


「...約束って、私との?...私、覚えていないよ?」


「構わない。約束とは、交わした誰かが覚えていれば、成立する。」


 なんだか一方的な会話だった。

いつも通りだと私は諦めて笑い、お父さんの肩にそっと寄りかかる。


「楽しい話に、なるといいね」


「...必ず、楽しい話にしてみせる。」


 お父さんは最後にそう言うと、私達はそれ以上、何も話さなかった。



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