表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

旅立ち2

 その晩僕は扉の開く音で目を覚ました。

 ネズミではない。

 もっと、質量のある生き物の。

 僕は十数年ここに住んでいるが、盗人に入られたことは一度もなかった。



 嫌な予感がする。

 息を殺し慎重に扉を開くと、そこには奇妙な小人がいた。



 緑色の皮膚に、凶悪な容貌。

 僕はあれを知っている。

 ゴブリン、低級の魔物だ。

 けれどなぜ、こんなところに。

 僕の思考は停止していた。


「イイカ。ツカエソウナモノハゼンブモッテケ。コノイエハショブンスル」


 耳障りな、蠅の羽音のような声。

 僕は萎縮してしまう。

数は5、6くらいだろうか。

 何かを喚きながら手当たり次第に部屋を荒らしていく。

 このままではいけない。



 僕はそっと、背負い袋の中から剣を引き抜く。

 まだ使われていない、新品の剣だ。

 王様が僕のためにこしらえてくれた、鍛冶屋の一級品である。



 体から汗が吹き上がる。

 心臓はめちゃくちゃに鼓動を刻んで痛いくらいだ。

 本当に僕は倒せるのだろうか?

 逃げてしまったほうがいい、そんな考えが頭によぎった時。


「きゃあぁぁ・・・・・・むぐっ!」


 突如聞こえた悲鳴。

 悲鳴は途中で呻く声に変わり、僕はサクリがゴブリンに見つかってしまったことを悟った。


「ニンゲンノオンナダ。モッテカエレバ、タカクウレルゾ」


 だめだ。僕の大切な人が、いなくなってしまう。

 母さん、サクリっ!


「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 僕は頭が真っ白になって、気がつけばゴブリンに向かって突撃していた。


「ヘヤカラダレカデテキタゾ」


「カマワネェ、ヤッチマエ」


 ゴブリンが一斉に僕に向かって迫ってくる。

 僕はがむしゃらに剣を振り回す。

 細身で長い僕の剣は、僕に距離的な優位を与えた。

 剣は何度も空を切り、段々とゴブリンの位置に近づいていく。



 やがて訪れる、肉の感触。

 僕の放ったいくつかの斬撃が、ゴブリンの一人に命中した。


「ヒィッ! ウデ、オデノウデガァ!」


「オチツケ! アイツ、ソンナニツヨクナイミタイダ」


 剣はゴブリンの一人の腕に食い込んだ。

 切り落とそうとするが、想像以上に骨は硬く、そこで刃は止まってしまい、引き抜けなくなる。

 

「うわあぁぁぁっ!来るな、来るなぁっ!」

 

 剣が抜けなくなり、動揺する。

 もう、距離的な優位など既に存在せず、ゴブリンは僕に襲い掛かってくる。

 剣を手放した僕は、手当たり次第に周囲のものを投げつけた。


「ヒヒ、カンタンニハコロサネェ、カクゴジナ」


 嫌だ、こんなところで死にたくない。

 お願いします、神様。

 どうかどうか、助けてください。

 生きられるなら、なんでもします。

 だからどうか。


 

 奇跡は起きた。

 その時、僕の放り投げた本が、正面のゴブリンの手に当たった。

 ゴブリンが松明を落とす。

 乾いた本と、脂を塗ってある松明の先が重なり、炎が燃え上がる。


「ウオッ!」


 ゴブリン達は動揺を始める。


「アイツバカカ。ミンナヤケチマウ!」


「トニカクニゲロ! オモイモノハゼンブオイテイケ!」


 正面のゴブリンが他のゴブリンに呼びかける。

 ゴブリンは一目散に部屋からでていってしまった。

 助かった、のか。



 炎は既に床に燃え広がっていた。

 水だ。とにかく水であの炎を消さなくては。

 そう思った僕は真っ先に部屋をでて井戸へ向かう。

 しかしそれは最悪な手段であったと気がつくには、僕は未熟すぎていた。



 大きな桶一杯に水を汲みあげる。

 消さなきゃ。

 あそこには僕の大切なものが、たくさん残ってる。

 父さんの遺品。僕の宝物。生活必要品。貯めておいた貨幣。

 僕の大切な人。お母さん。サクリ。



 桶を持って家へ戻る頃には、炎は大きく吹き上がり、僕の家は完全に燃え上がっていた。

 僕は知らなかった。

 火がこんなに速く全てを飲み込んでしまうことを。


「母さん! サクリ!」


 僕は桶の水で消化することを諦め、自分の頭にぶちまけた。

 母さんの部屋の窓へ飛び込もうとする。



 母は足が不自由になっている。

 杖がなければ歩くことさえままならない。

 僕が、助けなきゃ。


「母さん! 今行くから。お願いだから返事をしてよ!」


 どうして、返事をしてくれないんだ。

 こんなところで寝ちゃうなんて、うっかりすぎるよ。



 部屋の火は燃え盛り、進入しようとする僕の顔を焼き上げる。

 何度もはいろうとするが、炎は僕を許してはくれない。


「母さん! 母さん! 母さん! 母さん! 母さん! 母さん!」


 僕はうわ言のように繰り返して叫び続けた。

 そうすれば、ひょっこりと母親が出てきてくれるかもしれないから。



 果たして奇跡は、起きなかった。

 どんなに叫んでも、喚いても。

 それに答える者は誰一人としていなかった。



「うぅ・・・・・・うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 体のあちこちを炎に焦がしながら。

 それでも家の中に入ることはできなかった。

 自分自身が死ぬことを恐れて、最期まで身を投じることはできなかったのだ。



 しばらくの時間がたち、町の人たちが駆けつけてくれて荒れ狂う炎は沈黙した。

 僕はもう、何も考えることはできなかった。

 


 僕がはっきりと意識を取り戻した頃には、既に夜は明けていた。


 

「災難だったな」


 屈強そうな男が言った。


「話は聞いたぞ。ゴブリンに寝込みを襲われたらしいな」


「どうしてそれを?」


「ゴブリンの死体が一匹発見されたんだ。お前の、母親のもな」


 麻布の上に乗せられた漆黒の塊が二つ、並んでいる。

 あれはたいまつを持っていたゴブリンか。

 そしてもう一つは・・・・・・。


 

 わかってしまった僕は、吐き気を催してその場でえづいた。

 眼からは雫があふれ出して前が霞む。


「勇者は何も悪くない。ゴブリンめ、勇者に剣で勝てないから家を焼くなどと・・・・・・」


 え?

 この人は何をいっているんだろう?


 落ち着いて話を聞くと、昨日の件はゴブリンが寝込みを襲い、それでも僕に勝てなかったから火を放ったという。

 僕がゴブリンにあっさりと負けてしまったことは、なかったことにされていた。

 その際、サクリについての話は聞かなかった。

 死体が出てこなかったのだ。生きていると考えてよいのだろう。

 


 そのことが嬉しくて、僕は又しばらく泣き続けた。


「勇者殿。母を悼む心中はお察しします。ですがどうか、魔王を討つために魔王城へ出向いてはくれませぬか」


 礼儀正しい老人が、僕へうやうやしく頭を下げた。


「この悲劇はもう二度と、繰り返してはなりませぬ。勇者殿の母様は、私達で手厚く弔わせていただきますゆえ」


 ここに集う一同が僕を、勇者を見据える。

 きっと皆の望むところは同じであった。


「わかりました。一刻も早く、魔王を討たせていただきます。悲しみの源は、僕がこの手で断ち切ります」


 本心から答えた。

 僕にそんな力なんてないけれど。

 魔王を討つ気持ちだけは奮い立っていた。

 それがたとえ、ただの情けない自分への怒りを転嫁する行為だったとしても。


 

 どよめく声が聞こえる。それはやがて歓声となっていた。

 人の死を前にして喜ぶ彼らを見るのは、複雑だった。


「ぷぎぃっ!」


 聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。

 ずりずりと何かを引きずる音が聞こえる。


「もしかして、ピグー!?」


「ぷぎぃっ!」


 僕の背後から歩いてきたのは、白黒豚のピグーであった。


「よかった。生きていたんだね! その袋は・・・・・・僕の荷物かい?」


 ピグーが一生懸命口で引きずってきたのは、僕の冒険の荷物であった。

 僕はピグーを抱きかかえて、生還を喜んだ。

 よくみればところどころに火傷のあとがある。

 命からがら、引っ張って脱出してくれたのか。

 ピグーはつぶらな瞳を瞬きすることなくこちらへ向けた。


「さすが勇者のペットだ。強いな。あとはこれも、忘れるんじゃないぞ」


 渡されたのは、あの時ゴブリンと戦った時の剣であった。


「さすがに俺が精魂こめて鍛え上げただけあるぜ。あの炎の中で煤まみれになっても、刃こぼれ一つしちゃいない」

 

 僕に声をかけてくれていた屈強な男は、白い歯をむき出しにして笑った。


「もう置いていかない様にな。これからお前の相棒として、大事にしてやってくれ」


 渡された剣の刃は、変わらず美しい輝きを放っていた。

 一礼して、剣を手に取る。

 それを腰に収めると、もう一度人々の前に向きなおった。


「それでは、いってきます。もういちどこの町の景色を、皆さんと眺めることを信じて」


 誰かが手を叩き、やがて大きな拍手の山となる。

 僕はそれを背にして、今度はピグーを抱きかかえた。


「行こう、ピグー」


 ピグーを背負い袋に入れて、町を出る。


 

 今になって考えていれば、これが最後の僕の『居場所』だったかもしれない。

 これから始まるのは、僕が壊れるまでの、緩やかな道のりの話。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ