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轢死

 蘭子はカレンダーにミチルが死ぬ日の徴を、もったいぶって、付ける。

 八月九日だった。

 右手に持ってるのは羽の形をした金の留め具がついた万年筆だ。

 単にペンを扱う仕草が、上品ぶってる。

 服に合わせた紫のレースの手袋も、蘭子のいかがわしい雰囲気を際立たせていた。


『あと百日、私はこの子の残された短い時間を、ひとときも離れずに過ごします。見たいモノを見せ、行きたいところに行かせ、食べたいものを食べさせます』


 熱く語り終え、ぼろぼろ涙をこぼした。

 手袋をした両手で顔を覆うようにして

 二分二十秒、泣き続けた。

 映像は一旦途切れ、再び現れた蘭子は黒いドレスを着ていた。

 白い布でくるんだ……遺骨を膝に乗せてる。


『ミチルです。ミチルは昨日死にました』

 背後に映っているテレビではニュースが始まった。

 最初にアナウンサーが八月十日と言っている。カレンダーに徴をつけた翌日だった。


『最後の日だから、ミチルが好きなキリンをみせてやろうと思いました。電車に乗って動物園に行こうとしたのです。ミチルはしっかり握ったワタクシの手を振り払って、自らホームから飛んだのです。運命に呼ばれているように、不意の素早い動きでした』

 

「電車にひかれたの? 自らホームから飛び降りたって、何で?」

 この女が殺したのかもしれないと、聖は疑った。

 もし、そうなら、蘭子の左手は小さい子供の手。親指の先がかけている筈だ。


「このオバサン、また手袋してるよ」

 聖は人殺しはみればわかる。

 人殺しの片手が殺した人の手に見えるのだ。

 しかし、黒いレースの手袋で隠されていては、わからない。


「ねえ、本当かどうか鉄道事故しらべようよ」

 とマユが言う。


「待って、もう一つ動画がある。カラスを抱いてるよ」

 白い服を着て、カラスを膝の上に載せている動画もあった。

 服に合わせてか白いレースの手袋。やっぱり手は見えない。

 膝の上に載ってるのは聖が剥製にした若いカラスに間違いない。


『このカラスはミチルが死んだ夜から、ベランダにいたのです。

 一目見て、ミチルの生まれ変わりだと分かりました。

 ワタクシを少しも恐れず、ミチルのように、膝に乗ってきています。

 ミチルの死を知ったときから、ワタクシは娘の魂が留まって欲しい。

 何に姿を変えても、側に置きたいと、ただそれだけを祈っていたのです』


 祈りが通じて、娘がカラスに生まれ変わったと上ずった声で語っている。

 

 なぜ、多分ミチルの指を喰ったカラスが、蘭子の膝でじっとしているのだろう?

 奇妙な光景に聖は首をかしげた。

 理由がわからない。

 が、カラスの死に蘭子が関わっていると直感した。


「セイ、事実確認しようよ」

 蘭子の動画から事故があったのは八月九日だ。

カラスが届いた一週間前ということになる。住所から、最寄りの駅がわかる。

 大阪府東大阪市A町……近畿鉄道の石切駅だ。

 しかし、八月九日に石切駅で人身事故の記録はなかった。


「セイ、途中の乗り換え駅かもしれない。石切駅から動物園。天王寺動物園が近いけど、京都まで行ったかもしれない。広い範囲で検索してみて」

 マユに言われて、聖は八月九日京都府と大阪府全域の鉄道を調べた。


「二件ある。一件はJR環状線、朝八時、鶴橋駅で女子校生が入ってくる電車に接触したんだ。あと一件は午後四時だ。人身事故としか書いてないから、居合わせた人のツイッターで捜すしかない」


 人身事故があったのは天王寺動物園の最寄り駅だった。

 事故を目撃した人のツイッターに、ピンクの服着た女の子だと、書かれていた。

 どうやら、ミチルが電車に轢かれたのは、地下鉄動物園駅で間違いなさそうだ。



「でも、そんな筈はないんだけど」

 聖は自分の、ある予想が大きく外れていた結果に、思考も言葉も止まってしまった。


「轢死って警察が調べに来るのよね。遺体を検証してる間にカラスが降りてきて散らばった肉片を食べるって何かで読んだことある。ミチルちゃんの親指も、そうやってカラスの胃袋に入ったと、……セイも、思ってたんでしょう」

「うん。でも違ってた」

 その可能性は、もはやゼロになった。

 ミチルが死んだ駅は、地下鉄なのだ。

 カラスは、いない。

 絶対いない。

「カラスがその子の指を食べたのは間違いないのね。 いつ、どうやって食べたのか、不思議よね」

 カラスがミチルの指を食べるには、

 ミチルは死体で無ければいけない。

 そしてカラスから見える場所にミチルは居なければいけない。

 野ざらし常態で無い限り、カラスはミチルの死体を見つけられない。


「轢死したのが地下鉄なら、カラスがミチルちゃんを啄むのは無理。ミチルちゃんの指がカラスの胃袋に入ったのは、電車に轢かれる前、ってことね。つまり、生きてる間に襲われたって、そういうコトにならない?」

 黙って考え込んでいる聖にマユが語りかける。

 

 聖は、生きている子供の指先を、若いカラスが食いちぎるイメージを、どうしても思い浮かべない。

「小さな女の子だけど、カラスから見たらデカいだろ。生きてる間は獲物にはならないと思うんだ。たまにカラスに人が襲われてるけど、あれは攻撃してるんで、食おうとしてるんじゃないから」

 今度はマユの声が途絶えた。

 推理しているらしい。


「ねえ、事故の前にカラスに指を食べられたのは間違いないわけよ。そしてカラスは死体しか啄まないなら、ミチルちゃんが死体だったのは、もっと前じゃないの?」

「……それって、つまり」


 マユは、蘭子が、ミチルの死体をホームから線路へ落としたのでは無いかと言う。


「すでに死んでたと言うの?」

 

「夏休みでしょう、暑くても動物園は子供連れで一杯だったんじゃないかな。当然駅も混雑してたはず。人身事故は午後四時。疲れてぐったりした子供を抱いてホームに立ってる親たちは居たと思う。だからね……」

 そうなのか、と聖は自分が知らない世界の話を聞く。


 二十七年生きてるが、動物園に行った事がない。

 息子が人殺しの手を見てしまうのを怖がるので、父は人混みに出かけなかった。

 同じ理由で遊園地とやらも未経験だ。


 「遠足で行かなかったの?」

 大多数の幼稚園や小学校では遠足で動物園や遊園地に行くらしい。

 聖は全校生徒数が十人に満たない分校育ちだ。

 覚えている遠足は、人影まばらな鍾乳洞だった。


「鍾乳洞ってすてきじゃない。テレビで見て知ってる。遊園地も動物園も病院のテレビで見て知ってるの」

 マユは二十三年の短い生涯を、殆ど病室と自室で過ごしたのだった。

 鍾乳洞ならいつでも連れて行く、と、もう少しで口にするところだった。

 神流剥製工房の中でしか会えないマユを、どうやって連れ出すのだ?

 何か方法がないかと、

 聖の思考はミチルや占い師欄子から、離れそうになった。


「怖い光景を想像しちゃったの。占い師の女がミチルちゃんの亡骸を、眠ってる子供のように見せかけて、電車で運んでるの。四歳か五歳くらいでしょ。ちらっと見ただけなら死んでるのか眠ってるのか、行き会った人はわからない。

 他人の子なんて、大声でうるさい時くらいしか、見ないでしょう。それに、二回乗り換えなきゃいけないのよ。長い間見つめられる時間は無いわけ。

 終着点の動物園駅、事故現場は、大阪の地下鉄の中でも古い駅よ。壁にタイルで動物の絵が描かれてるらしい。古い駅なら太い柱がホームにあるのよね。

 監視カメラから死角になる場所で、人の目から柱が隠してくれる場所から、ミチルちゃんをホームに落っことすのは、難しくないでしょ」

 

 欄子がミチルをホームから線路へ落とした、つまり殺したと疑う人は他にも居た。


 ネット上の掲示板でも、この女が、予言した日に殺したと盛り上がっている。

 余命百日と動画を流し、ちゃんと百日目に電車に轢かれた、なんて嘘臭いと。 

人の死期が分かる超能力を捏造する道具にミチルは使われたと。 

 でも殺人の証拠はない。

 

 ミチルが線路に落ちてから入ってくる電車に当たって、轢かれ、ばらばらになるのを目撃した人は数人いるが、その一瞬前を見た人は出てきていない。

 そして、ミチルが線路に落ちる前に死んでいたと疑う声は無い。

 当然だと聖は思う。

 カラスの胃袋に、ミチルの爪があったのを知らないのだから。


 ミチルは、生きてるときの映像でも生気が無く見えた。

 ずっと指を吸っている。

 長いまつげの奥に見える瞳は自分の指しか見ていなかった。

 そういう質に生まれついたのか。それとも蘭子のせいなのか。


「養女って喋ってたでしょう。自分が産んだ子じゃあないんだ。この女は殺すためだけに、養女にしたのかも」

 マユは、ひどく怒ってる。


「それは分からないよ。動画とカラスとミチルちゃんの幽霊、それにカラスが喰ったミチルちゃんの指。それがどんな真実を導くのか全くわからない。けど、俺に出来ることはない。それだけは確かだ」

 ゴメン、と聖はマユに謝った。

 動画の中の欄子はどれも手袋をしているので人殺しかどうかもわからない。


 それはマユには言わなかった。

 人殺しが見れば分かるのはマユに打ち明けているが、手のことは語っていない。

 自分が左手を隠している理由を誰にも話したくないからだ。


「出来ることが、本当にないのか、会ってみないとわからないでしょ」

 マユはカラスを届けるべきだと言い出した。

 それも、早々にと。

 

聖は、蘭子に会いたくなかった。人混みに行くのも嫌だった。

「行くの、いや? やっぱり怖いの?」

 黙っている聖の心を見透かしてマユが聞く。


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