取引
カラス達は、聖を見ても、逃げる気配は、ない。
クワクワ、啼きだした。
仲間の剥製を見て興奮してる。
尻を上げて、今にも部屋の中へ飛び込んできそうだ。
ガラスケースごと抱えていた剥製を一旦床に置き、ケースから出した。その動作はベランダのカラスの注意を惹きつけたようだ。
静止して様子を伺っている。
聖は、自分の作品を、生きているよう優しく胸の前に抱えて、ベランダに足を入れた。
カラスたちは一斉に後ろに飛び、手すりへ移動した。
六畳くらいの広いベランダは、白いペンキをぶちまけたように、カラスの糞だらけ。
哺乳類の屎尿の臭いもした。
片隅にミチルの段ボール箱が置いたままだった。
メロンの絵が描いてある。丈夫そうだけど、ミチルが中に座ったとして、肩から上がはみ出る大きさだ。
薄汚れた毛布はピンク色で赤い子猫キャラの柄だった。
暫く、睨み合いのような緊迫した空気がカラスと聖の間に充満した。
で、どうしたものかと、考えた。
試しに、生きているかのように剥製に話しかけ、嘴を撫でて見せた。
蘭子のカラス殺しの隠蔽に協力したのだ。
「この子はこっちで育てるから、もう心配しなくていいんだよ」
人語は分かるまいが、言ってみた。
カラスたちに反応があった、
固まって、何やら相談している。
視線は、剥製と、もう一点、聖の左横に向けられている。
何を気にしてるかと見てみれば、ミチルがいた。
付いてきていた。
相変わらず指を吸っているけど、頭が少し上向いて、カラスを見ている。
カラスには、ミチルの幽霊が見えているのだ。
互いに再会を喜んで風にも見える。
ミチルの丸い目にカラスと青い空が映っている。
口の端は少し上がり、小さな顎も上向いて、可愛らしい。
思いがけないミチルの変化が聖は嬉しかった。
「かわいいじゃん」
と思わず呟いていた。
と、その時
ベランダの和やかな雰囲気を引き裂くような、
「はあ、ええーいやあ、」
異様な叫び声を背中に浴びせられた。
振り向けば蘭子が頭を両手で庇って丸くなってへたり込んでいた。
「来るな、立ち去れ、悪霊の手下共」
まるで歌舞伎俳優の口上のごとく、甲高い声で唱え、
立ち上がり仁王立ちになったかと思うと、
おもむろに黒いレースの手袋を外した。
白いむっちりした指を開けるだけ開いて、手のひらをカラスにかざす。
「ううむ、ううむ」
となにやら力んでいる。
これが、もしかして、蘭子の術か?
全身に力を込め、手のひらから悪霊退治のパワーを浴びせている、らしい。
聖は肩から力が抜けた。
……それでどうする?
「うふふ」
と今度は可愛らしい声を聞いた。
ミチルだ。
笑ってる。
お祖母ちゃんの手かざしのように、両手を上に上げて顔も上向いて、手すりへ外へ向かっている。
半透明な身体はカラスたちと重なった。
すると、顔なじみのカラスがゆったりと大きな羽を広げた。
こっちへ来る。
逃げる暇もなかった。
左の肩に止まった。
見た目より軽い感じだ。
人の肩の上で、そいつはクエクエクエと仲間に、なんか言ってる。
相談なら自分とするべきでは無いか。
「なあ、交換しないか。お前達の子はこっちで育てるから、その子連れて行ってくれよ」
身振り手振りで、言ってみた。
カラスたちは首を傾げ、顔を横に向けている。近くのモノを片眼でしっかり見てる仕草だ。
肩の上の太いのがカアと一啼きすると、それが号令のように、
一斉に
山へ向かって飛び去った。
飛翔時に爪が食い込むほど肩をぎゅっと摘まれて痛い。
きっと血が出てると思う、
ミチルは傍らに居なかった。
取引は成立したのだ。
外を見れば、山が夏の終わりの色をしていた。
鮮やかすぎる緑に黄色や茶が僅かに混じっている。
絶景だ。
自然以外の邪魔なモノが視界に無い。
ここは、
春の桜、稲妻、紅葉、雪景色……美しい自然を眺める素晴らしい観覧席だ。
振り返れば、ものすごい形相の蘭子が、ハンドパワーを聖に向けていた。
これが、蘭子の悪霊退治の術だった。
その手に
人殺しの徴は無かった。




