表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

意識と無意識の境界線(短編)

意識と無意識の境界線 〜 Knabino de purpura

 暑い日が続くようになったそんなある日、今日は久々に会う人たちとの暑気払いの日。参加者が銘々で料理を持ち寄っての楽しい会が始まる。


 駅から5分も歩かない場所なのに、アスファルトからの照り返しがジリジリと足下から熱を発していてとてもじっとしていられない。心持ち早歩きになりならが目当ての場所へと辿り着いた。日傘を閉じ、扉を開けると既に20名程が集まっている。


 「こんにちわ。暑いですね」


 私は空調の効いた部屋にホッとする。そして勧められる席へと腰を下ろした。


 「これ、サンドイッチです。どうぞ」


 持ってきた料理を幹事側へと渡すと幹事の一人がにこにこと笑顔で受け取りすぐにテーブルへと配ってくれる。


 この会の主旨は半分以上飲みであるからにして、私のサンドイッチは最初に出番は無い。だが、毎回他の皆が持って来るものは殆どがおつまみで少々物足りなさも感じていたので、私は何回か前からサンドイッチを持参する事にしていた。恥ずかしながら私は、あまり人様に見せる料理ができないので、毎回お気に入りの近所のパン屋さんに作ってもらっている。


 既に目の前には皆が持ってきたおつまみが所狭しと並べられている。どれも、皆が「これは!」という一品を持ち寄るため、日頃見慣れないものが並んでいて驚かされる事もたびたびだ。


 この会にはお酒や食べ物に精通している人達がおり、腕によりをかけて作ってきてくれたりする。今日の目玉は『牛すね肉の煮込み』だそうだ。日本酒好きの男性が夜を徹して作った自信作とのことで、当の男性は皆の感想を笑顔で聞いて満足そうだ。


 私も遠慮なく、早速手を伸ばした。


 「いただきます」


 余談だが、小さな頃からの習慣というのはなかなか抜けない。どこでも、これをやらねば気が済まない。


 「はいどうぞ、召し上がれ」


 ニコニコ顔の男性が、期待した顔でこちらを見ている。まず目に入ったのは型くずれもせずに良い色に煮込まれたお豆腐だ。きっと丁寧に丁寧に作ったのだろう。

 お豆腐を崩さないようにそっと脇へ避け、お肉をお箸で摘みぱくりと口に入れるとホロホロとスジが溶けて行く。だが、ただ柔らかいだけではない。しっかりと染み込んだ絶妙の調味に舌が喜んでいるのを感じ自然と頬が緩む。


 「ほぉ・・・美味しい!」


 お世辞抜きで思わず本音がこぼれ出る。


 「ふっふっふ。嬉しいねぇ。なんと製作時間6時間!」


 男性が満面の笑みで料理の過程を披露してくれる。聞きながら私はグラスに入った日本酒を口に含み、お豆腐を口にした。6時間と言われるだけあって、しっかりこちらも味が染み込んでいる。


 「コツはね、一旦火を止めて冷ます事なんだよ」


 厭味の無い得意顔で男性が言うと近くに居た女性達が目をパチクリとして質問攻めが始まった。私はその風景を微笑ましく感じながら、他の料理やお酒を堪能して行く。


 「あの、お名前を教えていただけませんか?」


 声のする方を見れば、いつの間にか私の右隣に可愛らしい女性が座っていた。


 「初めまして、私はサカイと申します」


 ニコリと笑いかけ手に持ったグラスを女性へと向ければ


 「私はフナモトと申します。よろしく」


 フナモトさんもグラスを持って、チンとグラスを合わせてくれた。そこからはひたすらお酒や食べ物の話、フナモトさんの仕事や家庭での話など楽しく会話が弾んでいた。そんな中でフナモトさんの旦那様の話になり、ゲンカツギが話題となった。どうやら職業が勝敗が関係するものらしい。休日はないそうで、毎朝早くから毎日丁寧に準備をし、決戦当日にはかなりすごい験を担ぐそうだ。この話題には皆も興味が惹かれたらしく何人も加わって話を聞き入っていた。


 勝負師は日頃の準備が大事だということ、その準備を満足に終えた後はもう神頼みしかないそうで、職場の方々はそれぞれのやり方で必ず行うそうだ。確かに、準備万端、やりきった! と思える状況では、もう、気持ちを強く持つしか無い。「それに毎回付き合わされて大変なんですよ」なんて言いながらもフナモトさんは少し恥ずかしそうに、けれども幸せそうに微笑んでいる。


 ちなみにフナモトさんが持ってきたお料理は、特大バンバンジーだった。毎日旦那様の体調を気遣い、食事にも気をつけているフナモトさんは、鶏の胸肉を使いさっぱりとした肉料理で皆の好評を得ていた。






 年に2〜3回開かれるこの催しは私にとって、とても心地よいものだ。煩わしい会社関係が一切無く、素の自分に戻って楽しめる。


 場所は毎回うちからは少し離れているが、気持ちの良い人達とのたわいない話を楽しむために、出来る限り参加するようにしている。そんな中で一つ、口に出しては言わないが、ここにいる皆が気にかけている事がある。それは幹事の一人であるサキモリさんの奥さんのことだ。奥さんとも仲の良かった私にとって、とても心配な事ではあるが、いかんせん、ひとさまの家庭の事であるからにしてそうそう軽々しく口には出せない。

 だが、皆とても心配していることは一緒だった。


 今回も奥さんの姿を見る事が出来ずに内心残念に感じたのは事実だ。端から見ていてとても気持ちの良い、仲の良いご夫婦だっただけにその二人の元気な掛け合いが見られないのは寂しさすら感じる。料理好きで振る舞うのも大好き、社交的で気配り上手な奥さんは、少し前から体調を崩されて実家へ戻って療養中だ。いつかきっと戻ってきてくれるだろうと黙って待つ事にしている。


 当のサキモリさんは幹事として細やかな気配りをしながら会話を盛り上げてくれている。その様子をこっそりと盗み見しつつ、私は淡淡とグラスを口にしていた。


 ふと、そのサキモリさんの周囲が揺れて見える。お酒を飲み過ぎたかしら、と時計を見れば既に3時間が経過している。だが、それ程酔っているとは感じない。美味しいものを摘みながら、ちびりちびりと舌の上で転がすように呑んでいるだけだ。


 (冷静だ、うん、私は冷静だわ。酔ってはいない)


 自分に言い聞かせ思い切ってサキモリさんの方へと視線を向ければーーーいた。




 元気に喋り続けているサキモリさんに絡み付くように淡い紫色が見える。


 (風に揺れる紗のようだわ、なんて奇麗・・・)


 そして一筋の線を辿り少し上へ視線を向ければ女性ではなく、まだ幼さの残る少女がいた。その少女自体が淡い紫色を発している。少女は口をパクパクと動かしながら、ふわふわと浮いてサキモリさんの周りを漂っている。話しかけているようだが、サキモリさんは全く気づいていない。


 (いやいや待って。気づく気づかないよりも、あれは一体なんなの?)


 お酒が入っているせいかこの目で見えているものを自然と受け入れてしまっている自分に驚き、慌てて頭を振り、意識を保とうと試みる。チェイサーのお水を貰いぐいっと飲む。幾分かすっきりしたところで、再びサキモリさんを見れば、まだ見えている。


 (これは、本格的に不思議現象かしら。でも他の人も気づいていないみたいだし、私だけなのかしら?)


 じーっと紫色の少女を見ていると、目が合った気がした。え? と思い一瞬視線を外す。そして恐る恐る少女を見れば、紫色の目がこちらを見ている。内心、焦る。正直に言って、どう対応していいのか分からない。私の焦りとは裏腹に、紫色の少女は口角を上げると今度は私へ向かって口をパクパクと動かし始めた。


 目を離したくても離せない。私以外は少女の存在は全く気にしておらず変わらず盛り上がっている。纏わり付かれている当のサキモリさんも楽しそうにしている。


 『・・・けっこん・・する・・・たい・・・いっしょ・・いた・・・い』


 (え? 何? 何を言っているの?)


 微かな何かが頭の中に流れ込んで来る。聞いてはいけないものを聞いた様な、いや、まさか、と焦りは増々大きくなっている。


 『この人と一緒にいたいの・・・』


 今度は、はっきりと聞き取れた言葉は、聞きたくないものだった。頭が痛くなる。


 少ない情報から推測すると、この紫色の少女はサキモリさんの旦那さんの事が結婚したい程に好きだということ・・・なのだろう。だが、既婚者であり奥さんの回復を心から願っている旦那さんとの間に割って入るのは、誰だろうと無理だろう。そう思うし、そう願う一人だ。


 私は意を決し紫色の少女に話しかけてみる事にした。


 『ねぇ、悪い事は言わないわ。その人にはもう奥さんがいるのよ』


 紫色の少女は不思議そうに私を見ていたが、何度も言葉を変え説明という名の説得を試みれば、ようやく理解したのか、悲しそうに顔を歪ませると今にも泣きそうになっている。


 (いけない、いけない。まだ少女だったわ。もっとデリケートに説明すべきだったかも)


 薄紫色の紗のカーテンが小刻みに波打ち始めた。私は違う意味で再び焦りを覚えている。


 『あのね、サキモリさんの気持ちはどうなるのかな? サキモリさん、大切な奥さんが病気なの。あなたが奥さんの立場だったらどう思う?』


 ひくっひくっと紗のカーテンが大きく揺らぐ。少女を見れば眉根を寄せ嫌々とするように首を振っている。


 私は紫色の少女に向かって手招をした。最初、首を振って拒絶を示していたが、そのうちゆっくりと私の側まで降りてきた。私は躊躇せずに手を伸ばし少女の頭に手を置く。そうすると何も語らなくても少女の失恋した気持ちが伝わって来た。


 (この子は大丈夫ね。理解してくれたみたいだわ)


 『つらい・・・くるしい・・・でも、いや・・・』


 『そうね、辛いわね。でも、分かってくれたのね。ありがとう。あなたが他人の気持ちの分かるヒトで良かった』


 この苦しみはきっとこの少女の糧となるはず、そう確信し穏やかな気持ちで少女を見つめる。


 『今はいっぱい泣くといいわ。いっぱい泣いて、疲れて涙が出なくなるまで泣けばいい。でも、その後はしっかり前を向いてね。あなたはこの状況を理解してくれたヒトだから、きっとそれができるわ』


 そう言うと、少女は顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。こぼれた涙がキラキラと空中に方々に散らばって行く。しばらくその様子を見つめていると、少女を取り巻く紗のカーテンが凪ぎ始めた。


 徐々にカーテンの揺れが穏やかになる。ついにはそよ風に揺れるほどまでに戻ってきた。ほっとした心地で少女を見れば、紫色の目を瞬かせながら私を見返している。まだ、若干、苦しそうな表情が残っているものの後は時が解決してくれるだろうと容易に想像できるまでになっている。


 少女へ向けて励ましの意味で笑顔を向ければ、少女も恥ずかしそうにニコリと笑う。


 そうこうする内に徐々に徐々に少女の影が薄くなってきた。


 『どこへ?』


 『かえる。ユカリの場所へ、かえる』


 『そう。あなたは素敵な女性になれるわ。自信をもってね』


 あまり上手い事は言えていない気がするが、そう信じたいという意味も込めて私は薄くなっていく少女へ別れの挨拶をした。





 ポロン・・・ポロロン・・・


 遠くで箏の音が聞こえる気がする。霞の中から見るような感じで気がつけば目の前には箏がある。


 (あら? さっきまでのは・・・何だったのかしら?)


 ぼんやりとした頭で考えようとするが、少女の事を上手く思い出せなくなっている。だが、焦りは無い。むしろ充実感が心を占めている。


 「良い事ですね。あなたの心が穏やかだと、皆も平和です」


 誰かが箏を奏でながら独り言のように話をしている。


 「貴女は・・・成すべき事を成しただけ。あの者も納得しておりました。きっと良い方向へと向かいましょう」


 その声はまるで歌うように穏やかな旋律にのって聞こえてくる。


 (そう、良かったわ)


 ふわふわとまるで実感のなかった体に少しずつ感覚が戻って来て自然と頬が緩むのを感じる。


 「お目覚めですか? 瑠璃」


 ようやくここで、華やかな着物を着た女性が目に入ってきた。


 「お祖母様、わたしは・・・今のは、夢だったのでしょうか?」


 女性は花が開くように微笑みゆっくりと頷いた。


 「ええ。全てはあの薄紫が見せた夢・・・。あれは自分ではどうしようもなく、邪な感情が芽生える前に貴女が訪れたのです」


 「そう。良かったわ」


 そっと爪が渡されれば、親指、人差指、中指と順に口に含み爪を填める。


 「お祖母様、今日は何を弾きましょう?」


 「そうですね。『越天楽』を。お調子は楽調子で」


 調弦を楽調子に変え爪を糸にかける。


 シャーン・・・


 「はぁーるのやよいのあーけーぼーのーにー・・・」


 春のやよいの あけぼのに

 四方(よも)の山べを 見わたせば

 花盛りかも しら雲の

 かからぬ峰こそ なかりけれ

 (慈鎮和尚作詞・雅楽)



 「なかなか良いですね。随分上達しました。さすがは私の孫です」


 「お祖母様・・・」


 「今は『先生』とお呼び下さい」


 自分から孫だと言ったのに、その事は遥か棚の上に放り投げて、そう注意をする。祖母はそういうヒトだったなぁと内心ほくそ笑むと「コホン」と咳払いが聞こえた。


 「先生。先生の験担ぎは何ですか?」


 急な私の質問に先生は冷めた目を向けてくる。


 「まだまだ“ひいな”のあなたに、その質問は早いですわ」


 バサリと言われるが、食い下がってみる。


 「ひいなだからこそ、何かに縋りたいと思うものなのではありませんか?」


 私の反論にすっと目を細め冷たい表情を浮かべて祖母は言い遣る。


 「その考えが甘いのです。縋る前に稽古をするのです。糸が切れる程に稽古をすれば自ずと自信が持てるようになります。験を担ぐなんて甘い考えはお捨てなさい」


 今度こそピシリと言われ私は口を閉じる事にした。


 「お祖母様、その辺りで許して上げて下さい。瑠璃も分かっていて質問するとは、怖いもの知らずだな」


 いつの間にやってきたのか青蓮が竜口側に座していた。


 「青蓮、ごきげんよう」


 「瑠璃、上手になったね。歌声に誘われて、気持ちの赴くままにやってきてしまったよ」


 「ありがとう、青蓮」


 「青蓮様、あまり甘やかさないで下さいませ。先ほど、つい褒めてしまったので調子に乗っているのですよ」


 お小言のように、いや、実際小言なのだが、祖母が私を窘める。ペロッと舌を出して肩をすくめれば、それを見咎められ更に叱られてしまった。


 「お祖母様、それくらいに。ここは私に免じてお許し下さい」


 いつのまにか青蓮は私の後ろに座っている。そしてそっと後ろから抱きすくめられる。もう口を開くなと言いたいのだろう。


 「青蓮様にそう言われては仕方ありませんわね」


 ふぅっと大きな溜め息をついて祖母はようやく小言を止めた。青蓮は私の左手を手に取ると指先を擦る。


 「人差し指と中指が固くなってる。随分と練習しているんだね」


 “おし”を何度もすれば、まだ“ひいな”の私は力加減が分からず痛みを感じる事もあり、しばしば稽古を続けられなくなる。最近はそれも随分減っては来たが、この二本の指先は次第に固くなってきていた。


 「とても楽しいの。少しずつだけど慌てる事無く余裕をもって弾けるようになってきたら、音色を楽しみながら弾けるようになってきたの。こうやって青蓮にも褒められて更に嬉しいわ。もっと頑張ろうって思うの」


 「いい心がけだ。何ごとも地道な努力無くしては成せないものだからね。苦しい時があるからこそ、将来、美しく花開く。そういう努力をする姿勢は私の好きな瑠璃だ」


 私の大好きな笑みで青蓮が私を見つめる。いつも感じているがまっすぐに私へと向かって来る青蓮の“想い”で私は満たされる。


 (この人の、この想いがあれば私は何もいらないわ)


 心からそう思える。


 「私もだよ。私も同じだ」


 恐らく私の想いが青蓮へと流れたのだろう。青蓮は私を引き寄せ胸に抱き寄せた。ほんのひとときそうしていたと思っていたのだが、実際は随分二人で抱き合っていたようだ。


 「コホン。お二人とも、そろそろ宜しいでしょうか? 瑠璃の稽古を続けませんと・・・、このままでは嫁にはあげられませんわよ」


 ぎょっとした顔で青蓮は祖母を見た。


 「それは困る。では瑠璃、名残惜しいが私は執務に戻る事にしよう。お祖母様、瑠璃をどうぞよろしく」


 最後にもう一度だけ私を抱きしめて、青蓮は来た時と同じようにふわりと姿を消した。


 「さ、青蓮様にも頼まれましたよ。ビシバシ稽古いたしましょうね」


 ふふふと悪い笑みを浮かべて祖母が私に微笑みかけてきた。


 「・・・はい、よ、よろしくお願いいたします。おば、、、コホン。・・・先生」


 私の言葉を待っていましたとばかりに、手厳しく稽古が始まった。


 「夢なのに・・・」


 「おだまりなさい」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ