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35歳のスタート (ブログ掲載作品)

作者: 立花ゆずほ

今日の朝日奈さんは、よくしゃべる。

いつも黙々と仕事をこなしているのに、今日はずっとどうでもいいことを話しかけてくる。

何かいいことがあったのか。

それとも、逆か。

海老澤は、いつもと違う様子の先輩をちょっと不気味に感じながら、適当に聞き流していた。

興味のない話に相槌を打ち続けるのも、正直面倒だった。


ベルトコンベアーから流れてくるパン。

クリームを詰めて袋に入れるまで、全部機械がやってくれる。

人間は最終チェックをしながら、注文ごとにコンテナに入れるだけだ。


この単純作業を、朝日奈さんは10年続けているという。

35歳。妻子がいてもおかしくない年齢だ。


ちょうど10歳下の海老澤には、35歳の自分なんて想像もつかない。

ここに居ないことだけは確かだろう。


仕事が長く続いたことは無い。

大学卒業後も定職に就かず、バイトを転々としている。

どこの職場にも合わない人間がいる。

気が合う相手だとしても、深く付き合うのは面倒なのだ。


朝日奈さんも海老澤も、いわゆるフリーターだ。

時間も曜日も自由にシフトに入れるので、必然的に人手の足りない深夜早朝に組み込まれることが多い。

2人でペアを組む機会も多いのだが、朝日奈さんは必要以上に話さない。

こちらに踏み込んでこようとしない。

その距離感が心地よくて、彼と一緒のシフトだと、気持ちが楽だった。


朝日奈さんは、仕事に誇りを持っていた。

彼曰く「安心安全なパンを届ける、一番重要な仕事」なのだ。

丁寧で決して手を抜かない。


そしていつも、にこやかに「お疲れ様でした」と挨拶をして帰っていく。


流れ作業に眠くなりながら、海老澤はいつも頭の中で物語を考えていた。

彼の夢は小説家。

特にそれに向かって努力したこともないが、小さいころから漠然と抱いている夢だ。

人と接するより、本を読んでいることが好きだった。


なんとなく大学に進学し、国文学科に入った。

しかしそこは、思うような場所ではなかった。

読まなければいけない本が多く、読みたい本を読む時間はなかった。

とりあえず授業に出て課題を提出していれば単位はもらえた。

でも、楽しそうに学ぶ仲間は、みな、飲み会やサークルで交流を深めていた。

自分はその付き合いが苦手だった。

ただ単位のためだけに通った。

4年間を振り返っても、特に思い出はない。友人もいない。


文章を書くノウハウも知らない。

ただ思いつくままに作品を書き、文芸誌に投稿している。

一度も名前が残ったことは無い。

評価してもらうことすら出来ない段階だ。


そんな海老澤が毎月愛読している雑誌に、よく名前が載る人がいた。


夜夕暮


このペンネームは、「よるゆうぐれ」と読むのだろうか。

性別も年齢もわからないが、とにかくよく名前をみかける。

最終選考に残り、作品本文が載ったことも何度かある。

少し闇を感じさせる、何とも個性的な世界観を持った作品ばかり。

つい引き込まれてしまう独特な表現。


海老澤は勝手にライバル視していた。

自分は名前すら載ったことがないのに。


そういえば今日は、その雑誌の発売日。

定期購読しているので、帰ったら届いているはずだ。

帰り道を急ぐ。


ページをめくって愕然とした。


夜夕暮という名とともに、よく見知った朝日奈さんの顔写真が掲載されていたのだ。

コンテストの最優秀賞を獲得。

来月号から連載がスタート。


これか。


朝日奈さんが今日おかしかったのは、これのせいか。

きっと彼は出勤前に誌面を見たのだ。

もちろん事前にわかっていたころだろうが、改めて誌面を見て喜びを再確認したのだ。


そうか。


あの暗い闇の世界を、あのほがらかな朝日奈さんが書いているのか。


自分には、そんな引き出しは、ない。



朝日奈さんはすぐに仕事を辞めた。

作家として生きていくようだ。最後のあいさつも、にこやかでほがらかだった。


海老澤のパートナーは、日々変わった。

バイトの入れ替わりが激しいのだ。

海老澤にはそれがありがたかった。

深く付き合う必要がない。でも、色々な話が聞けて面白かった。


年齢も境遇も様々だ。

海老澤の知らない世界の話ばかりだった。




あれから10年。

海老澤は35歳になった。

つい最近まで、あのパン工場で働いていた。

まさか10年も続くなんて、自分が一番驚いた。

彼を見放していた実家の母親も、顔を合わせるたびに感心していた。


そして。

パン工場を辞めた彼は、エッセイストという肩書を得た。

朝日奈さんと同じ雑誌でコーナーを持たせてもらうのだ。


この10年で、自分の引き出しは結構増えたと思う。

面倒くさかった人との関わりも、今はとても大切に感じている。

全ての出会いに感謝しながら日々を生きている。


35歳。

ここからがスタートだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 人生、どうなるかわからないというメッセージ受け取りました。 25歳、多分労働に慣れ始めて、将来のことなど色々考えるようになる複雑な年齢なんでしょうね。 [一言] 朝比奈さん、男性だったんで…
2014/01/07 19:16 退会済み
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