ひめだらけ!―アンエイブル改造計画―前篇
ある日の昼下がり。
昼食で腹を満たした姫君達が、それぞれが自室へと戻り、思い思いの自堕落な、だらけた時間を過ごしていたころ。
「はぁ……」
夕食の後片付けの為、シンクの前に立つ薄幸そうな姫君の一人が、大きめにため息をついた。
「………」
その溜め息は、同じくその隣で食器を洗う金髪碧眼の王子の耳に、確実に入ったはずだが、王子は黙々と食器を洗う。
「はぁぁぁぁ……」
「………」
再び、更に露骨に吐かれた溜め息にも無反応を決め込み、王子は洗剤を水で流す作業に入る。
「すぅぅぅぅぅぅぅ」
その王子の様子を見て、今度は影の薄い姫君が大きく息を吸い込む。
「分かったから。溜め息の為にわざわざ『いきをすいこむ』すんな」
それを聞いた姫君はぶはぁ、と溜めた息を漏らし
「だったら、最初から構って頂きたかったのです! せっかく聞こえるようにため息をつきましたのに!」
「自分でそういうこと言っちゃうくらいなら最初から普通に話しかければいいだろ……」
殊更面倒臭そうに、王子は首を左右に振りながら続ける。
「で、なんの用事だ。まぁ大体察しはつくけど」
「冊子が付くって予約特典みたいですよね」
「誤変換で思いついた安直なネタをそのまましゃべるな。とっとと本題に入れ」
「実は、用というのですね……………」
察しがつくと言っているにも拘らず、やたらと思わせぶりな遠藤さんの言動に王子は若干イラつきながらも、三点リーダの点の数を数えることで、平静を保つ。
「私、キャラが薄いと思うんですよね」
聞く方にしてみれば明らかであったはずの発言を、何か世紀の新発見でもしたかのようなしたり顔で口にする遠藤さんに、王子は辟易とする。
そもそも、この『遠藤さん』――ともすれば彼女が童話作品のヒロインであることも忘れがちになるが、――『えんどう豆の上に寝たお姫さま』であるところの彼女は、『人魚姫』や『親指姫』という極めてポピュラーな姫君がいる『アンデルセン童話』における姫君でありながら、その特徴と言えば何十重にも敷かれた布団の下にあったえんどう豆のせいで眠れなかったという、敏感肌の持ち主というくらいのものである。
さらに、一般的な環境に慣れ親しんでしまった彼女は、現在のところ『遠くで落ちたコインを聞き分けられる』『コインが地面に落ちるまでに目視で見分けられる』程度の能力に薄められてしまい、他の姫君に比べて著しく個性に乏しいことを気にかけていて、折に触れては自分の個性を磨こうと言い出し、厄介な事を引き起こすのであった。
だが、ここで無視をすればまた、メンタルが弱いこの姫君が余計面倒臭いことを言い出すの必至で、王子は仕方なく反応してやることにした。
「またその話かよ。もうみんな飽きたっての。既に地味キャラって個性を確立してるんだからいいだろ」
「よくないのです! 最近は地味キャラも、地味キャラとは名ばかりで、皆何気に濃いキャラクターを持っているのです! 地味キャラとして大成するにも、それはそれで特殊な個性が必要で、だったら最初から分かりやすい個性をつけたほうが楽なのです!」
「おいやけにリアルかつミもフタもないことを言うな」
普段から自分のキャラの薄さを気にしている遠藤さんではあるが、なぜか今回はやたらと押しが強い。どうやってこの場をやり過ごそうかと思案していると、 キッチンにもう一人の姫君が姿を現した。
「ほほぅ、ずいぶん面白そうな話をしている」
意味ありげにあごに手を当て登場したのは、白雪姫だった。
「一番面倒なやつに見つかった……」
厄介なトラブルメーカーの出現に早くも頭を抱える王子に構わず、白雪姫は遠藤さんに向かって続ける。
「キャラが薄いなら、キャラの濃い人たちを見習ったらいいじゃない」
「た、たしかにそうかもしれません……」
いとも簡単に、白雪姫の提案を信じ込む遠藤さん。この騙されやすい性質は、あるいは遠藤さんの特徴と言えるのではないかとも思うが、今は何かを企む白雪姫が目下の問題であり、とりあえず黙っておく。
「そういうわけで、部屋に戻った我が家の住人の生活ぶりをひとりひとり覗いてみたらいい」
「なるほど……!」
「え、今の話で納得しちゃうのかよ。白雪姫はまたそうやって適当な事を……いや、待てよ……」
白雪姫の提案は、いつも通り個人的に楽しそうだから、という単純だが厄介な行動原理に基づくものだろう。しかし、王子にとってもそれは悪い話ではなかった。
というのも、王子の家に勝手に押しかけていた姫君達は、それぞれが勝手に部屋を占拠し、なし崩し的に住まうこととなっていたが、その後はほとんどそれぞれの姫君の部屋をチェックする機会に恵まれていなかったのだ。
そのため、家を守るべき家主としては、いかにも生活能力の欠如した姫君達の部屋が、どのような状況になっているのかを確認する義務がある。ゴミだらけの部屋になっている程度ならば予想の範囲内と言えようが、部屋に無断で改造を施しているような輩がいないとも限らない。
その心配は、主に発案者たる白雪姫に向けられたものではあるが。
「なるほどな。上辺だけのキャラクターではなく、生活から改善していこうということか。ちょうどお前らの生活をチェックする機会が欲しいと思ってたところだ。俺も同行しようじゃないか」
そう言って白々しく同意をしつつ、白雪姫を牽制してみるが、本人はどこ吹く風といった態度でさらに同意を重ねる。
「さすが王子、話が早い。それじゃあ早速皆の部屋を回ろう」
「よし、そうしよう」
「いえ、あの、お二人とも私の事はどうでもよくなってしまっていませんか……?」
遠藤さんの、今更な疑問をキッチンに置き去ったまま、三人は早々にそれぞれの姫君の部屋へと向かった。
○
「……で、まず誰の部屋からチェックしに行くんだ?」
廊下に出て、階段を昇りながら、王子は白雪姫に問いかける。
「まずは、無難なところから、眠り姫あたりから行こうと思う」
「眠り姫さんは、無難なのでしょうか」
「あいつ、絶対片付けとかしないだろうからな…」
「どうせ、寝具くらいしか物がないだろうから大したことはない」
「「あー……」」
確かに、一年を通してパンダ並みの睡眠時間を誇る眠り姫の部屋が家具や家電で充実しているというのはあまり想像ができなかった。
そうしているうちに、三人は「眠り姫」とプレートがぶら下がる部屋の前に立った。
『zzzzz……』
「おい、なんかもう『z』が部屋の中から見えてきてんだけど」
「やっぱり寝ているのですね」
「まだ昼過ぎなんだけどな……」
『ぐぅぅ………』
「良く聞くともう一人のいびきが聞こえる」
「メンツ的にもう大分絞られてるけどな。なんでこの部屋で寝てるのかは知らんが」
生活指導をすべき対象が二人に増えたが、もう一人の方もいずれその対象になるのは明らかなのだから、むしろ手間が省けるというものだ。王子は勢い良く部屋を空ける。
「おい、火盗改めだ。起きろ……って――」
「zzzzz……」
「ぐぅぅ……」
そこには、大きなベッドの上で大の字に転がる眠り姫と、何故か部屋の天井から吊られた網状の寝具、ハンモックのようなものの上で丸くなっていびきを立てる人魚姫の姿があった。
いや、それ自体は部屋に入る前からもある程度想像ができた光景なのである。問題なのは部屋の環境だ。
人魚姫が転がる、部屋の相当部分を占めるサイズのベッドの上や下を問わず、衣類やら雑誌やらが散らばっている。この部屋の衣装ダンスや本棚や全く用をなしていない。
さらにひどいのは、ハンモックの上で眠りこける人魚姫のスペースである。眠り姫の周囲は片付けが為されていないものの、物量自体が少ないため、比較的常識的な散らかりようであったが、人魚姫のハンモックの下あたりには衣類やらマンガやゲーム、はては何が入っているとも知れない口を結ばれたビニール袋が山を為し、吊られるハンモックを押し上げんばかりの様相を呈していた。
一人暮らしの男子大学生を探し回っても、ここまでの散らかりようにはなるまい。
「こ、これは……」
「おいこら、何が『寝具くらいしか物がないだろうから大したことはない』だよ。とんだ魔窟じゃねぇか」
「てへぺろ」
見た目あざとい仕草がとにかく腹立たしい。「殺人許可証」が今すぐ手に入る方法はないだろうか。
「私も、部屋を汚せばキャラが立つのでしょうか……」
「そんな方向にキャラを立ててどうする気だ……」
とにかく、一度目にしてしまった以上、この部屋と二人の姫君を放っておくわけにもいくまい。
「おいこら、おまえら昼過ぎからグースカ寝てんじゃねぇよ。起きろ!」
「zzzz……」
「ぐぅ……」
「よし、二人ともあいつら寝床から落とせ」
「アイアイサー!」
「了解なのです」
こういう時、突然のフリに乗っかる調子のいい二人組である。
「今です! 縄を切って橋を落とすのです!」
なぜか軍師風にハンモックの紐を解き、ハンモックごと地面に落とす白雪姫。
「失礼します!」
こちらは、眠り姫が敷いて眠っている掛布団(掛布団をめくって中に入る手間すら惜しんで眠ったようだ)をピンと張り、テーブルクロス引きの要領で眠り姫を落とす遠藤さん。
「「ぎゃふん!」」
なぜか二人とも同じ古典的なリアクションと共に、床――もとい、衣服やらの山に落下する。
「な、なになに!? 大地震!? 雷!? テレ東ですら緊急ニュース入れちゃう!?」
「な、なんじゃなんじゃ、アレ、これ落ちる夢? むしろ夢を見てる夢? じゃあ今なら夢を操れるかもしれないのじゃ。……zzzz」
いったいどんな訓練を受けたら、寝たまま落下させられて面白リアクションが取れるようになるのだろうか。
「いや、災害でも夢でもないから二度寝しようとすんな。とっとと起きてこの部屋をどうにかしろ」
「お、おぉ? なんでボクの部屋に王子いんのー? あれ? っていうかここ僕の部屋じゃない?」
「なんで王子がワシの夢におるのじゃ? というか、全身がどこかから突き落とされたように痛いのじゃ……。もしかして、ここワシの夢じゃないのかの?」
「いつまで寝ぼけ芸やってるつもりだ。とっとと起きろ。そしてそのゴミの山を今すぐどうにかしろ」
いつまでもこの二人に付き合っていては日が暮れてもう一度昇ってくることだろう。王子はとりあえず手近な場所に転がる眠り姫を山の中から引き上げる。
「いやいや、あながち悪いものではないのじゃ。物にすぐ手が届いて便利なのじゃ」
「一歩も動かずに生活できるから合理的だよねー」
二人結託して反論するが、どこまでも自堕落な理屈は、監視役たる王子に受け入れられるはずもない。
「やかましいわ。良いからこの部屋片付けろ。遠藤さん貸してやるから」
「え、いやわたしは皆さんにキャラを立てる極意を教わりに……」
「「ぶー」」
そろって頬を膨らませる二人。なぜこの家の住人はそろいもそろって王子の神経を逆なですることが得意なのだろうか。
「あと、お前らの着てるプリントTシャツは一体どこで売ってるんだよ。ニートの間で流行でもしてんのか」
揃いで購入したと思しき、すその長い白地のTシャツに書かれた、「果報は寝て待て」「寝る子は育つ」とやたら達筆な文字もまた、王子の癪に障った。
「とにかく、早く遠藤さんと部屋を片付けろよ」
「いや、ですから待ってほしいのです私は……」
「私と王子は下でお茶でも飲んで待ってるから」
「あれ、これ完全にスルー体制に入っていませんか……?」
「「えーーーーー」なのじゃー」
「うっさい。かぐや姫の部屋見に行ってからまた来るからな。全然片付いてなかったりしたお前らごとゴミを袋に詰めて月曜に出すからな」
「あれ? ちょ、待ってください。なんで二人でかぐや姫さんの部屋に行こうとして」
「え、月曜って何ゴミの日? 私たち燃えるゴミ? 燃えないゴミ? それとも粗大ゴ」
――バタン。
最後まで食い下がろうとする姫君達を物理的に遮って、王子と白雪姫は、かぐや姫の部屋に向かった。何か、当初の趣旨を逸脱している気もするが。