アンウィリング家事対決―前篇
とんとんとん。
くつくつくつ。
じゅーーーー。
家の中に小気味いいリズムと、独特の優しい香りが立ちこめる。
家族のために朝早くから朝食を用意する者の奏でる音は、最も心休まる音の一つだろう。
その音に誘われ、腹を空かせた者がキッチンにやってくる。
「良い匂いだなー。今日の朝飯はなんだ?」
「味噌汁と焼き魚だよ」
「そりゃ楽しみだ。出来たら呼んでくれ」
「もう少し時間かかるから居間でテレビでも………………じゃねぇぇえええっ!」
料理を作っていた金髪碧眼の青年が、盛大なツッコミと共に菜箸を床に投げつけた。
こツん、カラカラカラ。
残念ながら、怒りを伝えようと叩きつけた菜箸は質量に乏しく、音に大した迫力が生まれることはなかったのだが。
「おいおい王子、料理の道具投げたら汚いだろー」
その非難の声を上げるのは、机の上にぴょこんと乗っかった、醤油さしよりも小さな少女、もっと言えば文字通り親指大の少女、親指姫である。
王子は、自分の発した怒りの叫びが全く以て通じなかった様子の親指姫に、さらに怒りのゲージを一つ満たし、再び乱暴に口を開く。
「うるせぇよ! なんで俺がナチュラルに朝早く起きてお前らの朝飯作ってやんなきゃならねぇんだよ!? 大体冒頭の演出にしたってこざかしいんだよ! お前の口調使って男キャラに見立てやがって! 」
全くもって宛先不明の怒りをぶちまけつつ「王子」は菜箸を拾い上げて洗う。
なんだかんだと言いながらも、食事の衛生状態に気を使える程度には冷静で、かつその性情そのものはマメなのだ。
すると、家中に響いた咆哮に眠りを妨げられたのか、「姫」たちがキッチンに集まってきた。
「なになに、朝からうるさいわねー。朝ご飯はできたの?」
と、不機嫌そうに文句を垂れるのは、浴衣をはだけさせながら目元をこする、かぐや姫
「この匂いは……焼き魚と見た」
すんすんと鼻を利かせる、無表情ながら髪の毛が重力に逆らったままの、白雪姫
「焼き魚ぁ? 朝から嬉しいにゃー」
朝食の魚にテンションを上げる、未だに目が開いていない、人魚姫、
「あ、王子さん、そのエプロンお似合ですね。差し上げた甲斐があったというものです」
あと遠藤さん。
二人のやりとりを聞いて、家中から「姫」達がキッチンに集合した。
と言っても、この家に棲まうもう一人の姫君の姿が見当たらないが、恐らくまだ自室で眠っているのだろう。
なにせ、その正体は眠り姫である。
どいつもこいつも、到底姫だとかそういった高貴な身分な人物とは思えないほどだらけきった同居人に、王子は三度声を荒げる。
「お前らが母の日にくれたエプロンな! 完全に俺はお前らのお母さんって認識か! ありがとうよ!」
「なんだかんだで最後にお礼言っちゃうあたり、気に入ってるんじゃないのよ」
「気に入っていただけて何よりです」
「はいはいツンデレツンデレ」
文字通り姦しい姫君に続けてまくしたてられたのでは、分が悪い。皮肉もただのツンデレにされてしまった。
その評価が間違っているとは言い難いが。
「お前ら……。よし怒った。俺は怒ったぞ。こうなったら今日からこの家の家事は当番制になるから覚悟して……」
もはや怒りのゲージがが限界突破しかけた王子が早口でまくしたてるのを、
「王子」
何気ない調子で、後ろ髪が盛大にハネた白雪姫が、制止した。
「な、なんだ?」
「味噌汁が吹きこぼれる」
「おおう!」
ピピっ
王子はお気に入りのIHヒーターを操作し、味噌汁の温度を下げた。
――カタ。
カチャカチャ。
カタ。
「お前ら、俺はもう決めたからな」
王子はぶつぶつと言いながら、せっせと盆に乗った料理を遠藤さんと二人で、ダイニングを占める大きなテーブルを囲んだ姫達に配膳していく。
「王子ー、こっちご飯足りないわよ」
だが、それを全く気にかける様子もなく、姫君は食事を要求する。
「ん、かぐやは中盛りな」
しかも、王子はなんの疑問も抱かず、一旦愚痴を中断し、要求に応えるあたり、家事が骨身に染みてしまっている。
「さんきゅー」
ご飯茶碗を渡し、再開。
「今日から家事は当番制だからな。お前らにちゃんと炊事洗濯を……」
「あれ?そういや眠り姫は?」
「あ、私がお連れしました」
「遠藤さんGJ」
「いえいえ……はっ!ですから遠藤さんはやめて頂きたいと何度も……」
「くくく、自分でもすぐには気がつかないレベルに浸透してきた」
「うにゃー。まだ眠いのじゃー」
「ボ、ボクは抱き枕じゃないってばよ」
「眠り姫はいつもそうじゃないのよ。ほら食べないならもらうわよ、その魚」
「これはワシのなのじゃ!」
「一瞬で覚醒したっ!?」
「では、皆さんお揃いのようですし」
「「「「「いただきマッスルドッキング!」」」」」
「待ってぇ!!?」
しばらく呆然と、華麗にコンボを重ねる姫君達を見守るしかなかった王子が、我に返った。
「何今の流れるような連携スルー!? どっかで練習でもしたのかお前ら! 自然な流れすぎて感動したわ! あと何その挨拶! いつ定着したんだよ!?」
「なんじゃ、今日の王子はうるさいのう」
溜まりに溜まったツッコミ所をいちいち消化していく王子を、眠り姫が半目で睥睨しながら非難した。
「お前らが徹底的に俺の話をスルーするからだっ! 多少でかい声出さないと文字に興してすらもらえない勢いだもんこれ! そりゃ俺の会話文がクォーテーションマークだらけになるわ!」
王子は、テンションを維持したまま捲し立てるが、それを一切意に介さず、人魚姫がのんきに口を開く。
「え? その『!』って『クォーテーションマーク』って言うのん?」
「というか、今お主はクォーテーションマークそのものをどう発音したのかが謎なのじゃ」
「『!』?」
「な、なにかしらこの言語。頭に直接『!』が入ってくる……!」
「かぐやもうっかり使えてるけど?」
「『!』。あ、本当だ」
「てめえらぁあああっ!!」
早くも王子の声帯が、危機に瀕している。
「で、だ」
その後も、口から赤いものを吐かんばかりに声を嗄らした王子は「ご飯が冷めるから後にしよう」という白雪姫の提案を容れ、朝食を取った後に家族会議を開いていた。なお、全員の手元には王子が淹れた食後のお茶が置かれている。これ以上は何も言うまい。
「今まで何故か俺がこの家のほぼ全ての家事を担ってきたわけだが、平等に当番制にしたいと思う」
「「「「えぇー?」」」」
突然の無慈悲な、いや、客観的に見れば至極当然ではあるが、この上なくだらけきった姫君達には無慈悲な、王子の提案に、四方から抗議の声があがる。
が、最初から反発を予測していた王子はこれを東風し、続ける。
「大体、女の居候がこんだけ集まっておきながら、なんで俺がほとんど家事をこなさなきゃならんのか。せいぜい遠藤さんが手伝ってくれるくらいだぞ」
と、王子は遠藤さんを指さしながら言う。
「遠藤さんが、そんなところで得点稼ぎをしていたとは……」
「そ、そう言い方はどうかと思うのですが」
「そういう訳で、今日は一人一人に実際に家事をやってもらって、できることから分担してもらおうと思う」
王子の宣言に対し、遠藤さんがおずおずと手を上げる。
「あ、あのー、私は……?」
「遠藤さんは普段から手伝ってもらってるし、別にいいけど?」
「そ、それは困るのです!」
「え?」
「ですから、それでは私の出番が……せっかくのスピンオフですのに……」
「……」
遠藤さんの胡乱な台詞をスルーし、王子は家事の役割分担をするクジを作り始めた。
「さぁ、これを引け」
作業を終え、王子は小さな紙切れが入った菓子の空き容器を机の上に置いた。
王子の促しを受け、しぶしぶ二つ折りにされた広告を手に取る姫君達。
「じゃ、白雪から順に書いてある内容を読んで行け。表を作るから」
「……ん。私は『掃除(二階)』」
「二階、っと」
「さりげなく我が家が二階建てだって、新しく分かった設定じゃない?」
「さりげなくわけのわからん事を言うな」
「次、かぐや」
「……………『料理』よ」
「ワシは『掃除(一階)』じゃ」
「ボクは『洗濯』ぅー」
「………」
「オレが『買い出し』だなっ!」
「………全体的にいろいろとミスキャストだった気がする……」
王子が一抹の不安を感じ、軽く頭を抱えながらも、分担表は完成した。
料理 かぐや
洗濯 人魚
買い出し 親指
掃除(一階) 眠り
掃除(二階) 白雪
「ま、まぁ一度やってみないことにはな。それじゃあそれぞれ持ち場で家事をやってこい。俺は様子を見て回るから」「あ、あの……私はどうしたら……」
「テレビでも見てろ」
テレビ 遠藤さん
「ふぇぇぇ……」
はらはらと落涙する遠藤さんを残し、姫君達はだらだらと持ち場へ散っていた。