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『司』からの召集の後、公一はすぐに六大陸世界に帰りはしなかった。
彼は王宮のある都市、リル=ウォークの、自分の家に一度顔を見せることにしたのだ。
公一には二人の妹と一人の弟がいた。両親は、公一が八つの時に二人とも死んだ。
両親は王宮仕えの上級文官だった。二人が何の仕事をしていたのか、公一は知らなかったが、重要な役職にいたらしい。残された兄弟は、一軒家で、王宮の生活保護金で養われていた。
これは異例の処置であった。いくら両親が王宮仕えの上級文官だったといっても、その遺児が王宮の生活保護金で養われるなどということは早々ない。大抵はリル=ウォークの公立孤児院に入れられてしまう。
ではなぜチェイル兄弟が王宮の金で養われることになったかといえば、チェイル夫妻の死因が『魔』によるものであったということと、二人が亡くなった当時、すでに『司』であったフィル・ユイカの力によるものだった。
フィルは早くから有能であった公一に目を付け、弟子として向かえ入れており、その縁あってチェイル兄弟の保護を申し入れたのだ。
そのため、チェイル姉弟は親がいない家で、フィルの雇った家政婦とともに、生活をしていた。
公一は『司』候補生という立場上、二年前から六大陸世界で生活しており、向こうに慣れるため、よっぽどの用事がないかぎりは三大陸世界に帰ってこなかった。
実に今回も家に顔を出すのは二ヵ月ぶりになる。
本当は、今日も公一はさっさと家屋敷に帰る気でいた。召集が解散された後、玲司と真恵の後を追っていこうと思っていた。が、そうさせなかったのが、何を隠そうフィルだったのだ。
彼女は部屋を出ていこうとする公一を捕まえ、妹達と弟が公一に会いたがっているから顔を見せなさい、といい、今、家に向かう公一の隣にいた。
「何も二ヵ月も音沙汰無くさなくてもいいのよ?」
王宮を出、二人はリル=ウォークの主道を歩いていた。
リル=ウォークは王宮を抱える、『土の大陸』の中心都市であるため、内陸にあるにもかかわらず、いつもさまざまな地域の人たちの活気で溢れ返っている。
特にこの道には常に露店が立ち並んでいるので、昼間であれば人の声が絶えることはない。
その中を行きつつ、公一はフィルに応える。
「別にそうしようと思ってしたわけじゃないよ。気が付いたら、二ヵ月も過ぎていたっていうだけで」
「せめて一ヵ月に一度は顔見せてあげなさいよ。六大に行ってから二年になるでしょ? もうそろそろそんなに神経質になる必要はないんじゃない?」
確かに、六大に行った当初の公一は神経質だった。
家屋敷とリル=ウォークは在る空間が違う、存在している宇宙その物が違う、といっても、実際行き来にはそう時間がかからない。それはつまり、すぐに六大から三大に帰ってこれるということでもあった。
その事実を公一は充分に知っていたから、はじめの頃は、この前はいついつに家に顔を見せたから今度はいつ、と、きっちり計算していたほどだ。
それほど頻繁に顔を見せないようにしていたのは、偏に早く六大での生活に慣れるためであった。だが、今となっては充分に慣れているので、フィルももっと顔を見せろというのだ。
いいたいことは公一にも分かっていた。そういうだろうなあとも予測はついた。
フィルはチェイル姉弟のことを可愛がっている――を超して、溺愛しているから。
一方、なぜ公一が二ヵ月も音沙汰無しだったかといえば、気持ちが焦っていたためだった。他の仲間が次々と最終試験をパスしていく中、自分にはなかなか試験通達がなかったので、一人焦りを感じていたのだ。焦りゆえに、六大から一瞬たりとも離れることが出来なかったのだ。自分がいない間に動きがあるかもしれないから、と。
「だって、恐いじゃん。自分がいない間に周りが動いているのって」
なぜ三大に寄り付かなかったのかをフィルに話し、公一は最後にそう付け加えた。
フィルは一瞬、目を丸くしてくれる。
「何いってんだか。大丈夫よ。私が保障してるのよ? 誰も今更あなたのことを『司』にしてあげない、なんていわないわよ」
師匠は軽くいってくれた。彼女は本心からそう口にしているのだろう。なぜならフィルは、公一が『司』になりたいと思う前から、公一を『司』にしようと頑張っていたのだから。最初から「あなたは『司』になれる」と太鼓判を押しているのだから。
それは公一にもよく分かっていた。焦燥感をフィルに告げたところで彼女はいつもと変わらず自分の背を押してくれるだろうということも。それはそれでありがたかったが、公一の焦りが消え去ることはなかった。
なぜだかはわからない。なぜここにきてこれほどまでに気持ちがせるのか……。
二人は主道から脇道に入った。一歩中に入るとそこには石作りの民家が立ち並んでいる。
その中の、一つ。周りの家より一回りは大きな家の扉を公一は開けた。中に入る。
「ナイナ、ニィナ、リュウク!」
奥に向かってそう呼び掛けると、途端、とたとたと家の中で音がした。三人の兄弟が揃って姿を現す。
「コウイ兄ちゃん!」
名を叫んで飛び付いてきた。二人の妹と、一人の弟。
「三人とも元気にしていたか?」
「うん。元気だったよ。兄ちゃんも元気だった?」
尋ねてくるのは九歳の妹、ナイナ。
「兄ちゃん、今度はどこに行っていたの? なんでずっと帰ってこなかったの?」
次は、八歳の妹、ニィナ。
六大の存在はほんの一握りの人間しか知らない。チェイル姉弟にも知らされてはいない。公一が長い間家を空けているのは、『司』候補生として各地を旅しているのだと伝えられていた。
「また遠くだよ。ちょっと今回行っていたところは遠すぎてさ。でも元気だったんだぜ。な、いつもと変わんないだろ」
「でも大きくなったような気がする」
「うん。大きくなった」
二人の妹が口々にいってくれる。
普段あまり気にしているわけではないが、大きくなったといわれるのはやはりうれしいことなので、「そうかぁ」と至極嬉しそうな顔をしてしまう。
「確かに、肉付きがよくなったかもね」
公一の斜め上から茶々を入れてくれたのはフィルだった。口端を引きつらせてその顔を見上げると、茶色の目がなぜか真面目だった。
「なぁによ。もっとね、コウイは肉つけなきゃ。男でしょ。筋肉つけなきゃやっていけないわよ」
「……筋肉……」
「太って鍛えるの。いい?」
「…………」
「ま、背ももうちょっとあった方がいいだろうけど」
ぐさっ。
心臓を一本の矢が貫いていった。公一は固まる。フィルは小さく舌を出している。
「大丈夫よ、コウイ兄ちゃんは。だってコウイ兄ちゃんは強いもの」
「そうよ。兄ちゃんに勝てる人なんていないもの。『魔』にだって絶対負けないもの。兄ちゃんは、すごいんだから。『司』になるんだから」
妹達の慰め。
必死になって、本気になってそんな言葉をくれる。偽りのない眼差しを、くれる。
公一はそれを目のあたりにするたびに胸の奥が暖かくなっていくのを感じていた。自分の中に気力が生まれていくのを知っていた。
自分の方が甘えてしまいたくなるほどに、それは優しかったから。
「さあ、落ち着いてお茶にでもしましょう。こんなところでいつまでも突っ立っているものじゃないわ」
フィルが音頭を取ると、四人は家の奥の食堂へ入っていった。今、家政婦はいないらしい。フィルが台所に行き、お茶の用意を始める。
「……リュウク?」
木でできたテーブルに寄り椅子に腰掛けようとするまで、一人黙っていた一番下の、四歳の弟リュウクは、公一の上着にしがみついていた。
公一がそのために座れないことを知って、ナイナが気をきかせリュウクを引き離そうとするが、彼は首を横に振って離れようとはしない。
「リュウク?」
公一がその名を呼んでも彼は顔を上げようともしなかった。下を向き、じっとしているのだ。
「ほら、リュウク。座りなさいな。お兄ちゃんが困っちゃうでしょう? いいたいことがあったら椅子に座って、自分の口からちゃんといいなさい」
そう声をかけたのは、お茶の用意をしてきたフィルだった。
少しの間の後、リュウクはゆっくりと動きだす。公一の右隣の椅子に腰掛ける。
「……リュウク、何かあったのか?」
出来るかぎり柔らかく、視線の高さを合わせるようにして、公一は尋ねた。リュウクの視線は上がらない。膝の上に拳となって置かれた両手をじっと見たまま、沈黙を保っている。
「リュウク」
もう一度その名を呼ぶと、彼はやっと、ぼそぼそと口を開いた。
「……ねえ、兄ちゃん。僕、学校に行かなくちゃいけないの……?」
「…………」
リュウクは、来年五歳になる。
王宮内にある学校は、将来王宮に仕える者達が通うところだ。そこの入学資格は五歳から。
学校にはコースが四つあった。一つ目は文官を、二つ目は武官を、三つ目は魔術師を、四つ目は『精霊使い』、『浄化者』を、育てるコースだ。
文官、武官と魔術師のコースの場合は、試験を行ない、そこで選ばれた者だけが入学することが可能だったが、『精霊使い』、『浄化者』のコースの場合は少し違った。五歳、という年令制限とともに先にどちらかの能力を持っていることが条件で、試験も行なわれはしたが、何よりも推薦の力が強いのだ。
ナイナとニィナは文官のコースに通っていた。公一も六大に行くまでは王宮内の学校に試験をパスして『精霊使い』、『浄化者』のコースに通っていた。
そしてリュウクにも公一同様『精霊使い』の力が見られていた。そのため、公一とフィルはリュウクを学校に通わせることにしたのだ。試験を受けさせずとも、フィルの、現『司』の推薦があれば入学は間違いなかったから。
「……学校に、行きたくないのか?」
問う。リュウクは今にも掻き消えるような声を出す。
「……分かんない」
「分かんないって……?」
「……王宮で、働きたいけど……学校は、嫌」
「……嫌? どうして?」
「…………」
再び口を閉ざしてしまった。
公一は仕方なく視線をナイナとニィナに向けた。二人も困惑した表情を浮かべていた。 かといって、公一も困っていた。
リュウクが学校に行くのは当然のことだと、本人もそれを了承しているのだと思っていたから。いや、実際、彼は行く気だったはずだ。覚えていない両親が二人とも王宮勤めだったことを知って、自分も王宮で働くのだといっていたのだから。フィルや公一のように『魔』を退治するのだと張り切っていたのだから。なのに。
公一は咄嗟に視線をフィルに流していた。フィルはお茶を口に運びながら平然とした顔をしていた。
こうなることを知っていのだ。多分、彼女が公一を今日ここに帰らせたのはこのためだったのだ。
「…………」
公一はフィルをじっと見、なんらかの動きを請うが、それは与えられなかった。しかし、フィルが動くより先に、再びリュウクの口が開くのである。
「……兄ちゃん、帰ってこないの?」
「え?」
予想外の言葉に一瞬耳を疑った。が、それは空耳などではない。
「……そばに、いてくれないの……?」
「――――」
心が締め付けられた。その言葉に、目頭が熱くなっていく思いがした。
リュウクが何を訴えたいのか、何を不安がっているのか、理解できたから。
「……ごめんな、リュウク。たくさん、会いに、これなくて」
リュウクは応えない。俯いたまま、両手を見ている。
公一も口を閉ざした。どうしていいのか分からなかった。どういえば全てがよくなるのか……分からなくて。
リュウクは父親を知らない。母親も、知らない。二人はリュウクの物心がつく前に死んだ。
リュウクは姉しか知らない。兄しか知らない。母親、父親代わりになるには幼すぎる兄姉しか、知らない。家族といえば、それだけで、心の拠り所も、それだけ。
それだけ、なのに――そばにいてあげられない、なんて。
「リュウクは、コウイが『司』になるの、嫌なのかしら?」
動いたのはフィル。ほほ笑みなど湛えながら、問うている。
リュウクは顔を上げようとはしない。
「嫌じゃないよ。兄ちゃんは『司』になるんだよ」
「だったら、我慢しなくっちゃ」
「…………」
「学校、行きたくないの?」
「行きたくない」
「立派な『精霊使い』になりたいんじゃないの?」
「…………」
「王宮で、働きたいんでしょ?」
「…………」
「……恐いの?」
不意に出てきた言葉。それが、リュウクをとらえた。
途端、彼の両目から、涙が零れ出る。
「……だって、姉ちゃん達とは違うところにいかなきゃいけないもん。そこに兄ちゃんいないもん。僕、一人だもん」
一人。
違うと、いいたかった。
いつもそばにいると、いってやりたかった。
けれど、そういってしまうことは、嘘ではないか? この場かぎりの慰めではないか?この場をしのぐ、都合のよい言葉ではないか?
公一には何もいえなかった。
ただじっと、リュウクの小さな体を見つめることしか出来なかった。
どうすればいいのか、全く分からなくて。
「――大丈夫よ、リュウク」
フィルの、声。迷いのない、声。
なぜそんな声が出せるのか……。
「だって、コウイは『司』になるのよ? 『司』よ。『司』って、すごいのよ。いつでも守ってくれるのよ。『魔』なんか、あっという間に倒せちゃうのよ。そんな人が、あなたのお兄ちゃんなのよ。大丈夫。ずっとそばにいなくても、コウイはリュウクのことを守ってくれるから。恐がることはないわ。コウイが、守ってくれるから」
守って――。
見守って――。
「そうだよ、リュウク。兄ちゃんの姿は見えなくても、俺はずっとお前のそばにいるから」
「……ずっと、そばに?」
「困ったことがあったら、すぐに行ってやるからな。兄ちゃんが、守ってやるからな。知ってるだろ? 兄ちゃんは瞬間移動が出来るんだ。だから、どんなに離れていても平気だろ?」
「…………」
「リュウク?」
「……平気」
フィルの手がのびた。リュウクの涙を細い指で拭う。手の平でくしゃくしゃと柔らかい髪をかき回す。
「そう。偉いわ。さすがだわ。それでこそ『司』の弟だわ。いい? リュウク。コウイはいつもあなたを守っている。だから、あなたも一つ約束して。絶対に、頑張るって」
リュウクが鼻をすすった。
手の平で涙を消した。
まだ震える声で、それでも彼ははっきりと告げるのだ。
「うん。頑張る」
――その後、チェイル兄弟とフィルは笑いを交えながら時を過ごした。お互いに近状の報告をかわした。リュウクが弱音を吐くこともなかった。日が落ち、公一とフィルが家を後にする時になっても、彼は弱気を必死に押さえ付け、自分を装ってみせた。
空がだいぶ濃紺に染まった頃、公一とフィルは共に王宮までの道程を帰っていった。来たときは賑やかだった道も、もうこの時間には人通りも疎らで、夜の静寂を誘っているようであった。
「なあ、フィル」
その途中、公一は徐に口を開いた。
師匠は、「ん?」と短く応え、静かに続きを待つ。
「……俺、絶対に『司』になるから」
公一は五歳で学校に入った。七歳の時フィルに見いだされ弟子入りし、八歳の時両親を亡くした。
はじめ、フィルに『司』にならないかと誘われた時、公一はどちらでもいいと思った。『司』というものにひかれる気持ちはほとんどなかった。ただ、認められているということだけで、弟子入りしていた。
しかし、両親が亡くなり、妹弟を自分が守ってやらなければならない立場に立ったとき、『司』に対しての考え方に変化は訪れた。
『司』になれば絶対的な社会的地位を得る。『司』という肩書きだけで、社会的にも妹弟を守っていくことが出来る。
だから『司』になりたい、と――。
「俺、絶対に『司』になるから」
改めて告げて、公一は口を閉ざす。
「ええ。なっちゃいなさいな。今までにないほどの立派な『司』に、なっちゃいなさいな」
その隣で、ふわふわの赤毛の師匠は、そう、激励する。
二人は、王宮への道程を歩いていった。