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月夜の兎  作者: 望月あさら
■ 1 ■
7/36

1-5

 真恵が公園の猫達の存在を知った日から数日がたったある日。

 その日、一日中空は雲に覆われていた。雨粒は降ってこなかったが、いつそうなってもおかしくないような空だった。

 伊藤真恵は授業が終わると真っすぐ家屋敷に帰るではなく、クラスの友達の家に立ち寄っていた。

 その友達はショートカットで運動の出来る子だった。別段クラスで目立つというわけではいが、明るい性格で誰とでも打ち解けられるような、そんな子だった。

 彼女は真恵と一緒にいることが多かった。お昼を食べる時も移動教室でクラスを移動する時も何か行事にあったときのグループでも、真恵のそばにいた。現に数日後に行なわれる体育大会で、真恵と彼女は共に四百メートルリレーに出ることになっていた。

 彼女は真恵のことを他の友達とは違った特別な存在として見ているようだった。彼女は何でも逐一あったことを真恵に報告するのである。自分が気付いた非日常的なことから昨日あった日常的なことまで。彼女は他の友達にはそんなことを話さない。当たり障りのない話題で終わらせてしまう。

 だが、真恵に対してだけは違った。悩みも、あっけなく打ち明けるのだった。

 この日も、真恵が彼女の家を訪れたのはその悩みをじっくりと聞くためであった。

「――それほどまでに思い詰めちゃったらさ、もう突き進むしかないんじゃないの?」

 彼女の悩みに対する真恵のアドバイスはそのようなものだった。

 真恵はその結論を、彼女が悩みを打ち明けた直後から口にしていた。

 これで同じようなことをいうのは実に三度目になる。

 友達の部屋で、カーペットに腰をおろし、セーラー服のまま二人は話をしていた。

 友は膝を抱え、真恵と視線をあわさずに静かに口を開く。

「やっぱり、そうなのかな……? でも、そういうのって、時機って大切じゃない?」

「時機?」

「タイミングっていうか、きっかけが、さ」

 友達の声は小さかった。普段はもちろん聞き取れるか取れないかなどというほどの音量ではない。

 真恵はその声をなんとはなしに聞いていた。

「きっかけ? きっかけがないと告白できないっていうの? なんでよ。だって好きなんでしょう? すっごく好きなんでしょう? それだけでいいじゃない。いおうって決めたら、いっちゃえば」

 真恵には彼女が何をためらっているのか、それが全く分からなかった。好きという気持ちに気が付いて、自分の中にその思いを止めるのが苦しくなったのなら吐き出してしまえばいいだけのことではないのか、と。

 タイミング? きっかけ?

 なぜそんなものが必要なのか。

「……やっぱり、そうなのかな……そう、なんだよね。のんびりしていたら、駄目だよね。時機なんて、待っていたって駄目なんだよね。ますます逃しちゃうだけなんだよね」

 時機を待つ? どういうことだろう。

 時機を逃す? どういうことだろう。

 気持ちを吐き出すだけのことに、そんなにも時が関わってくるのだろうか。

 いってしまえばいいのに。自分でそう思ったら、表現してしまえばいいのに。自分の気持ちがいいように、してしまえばいいのに。

 真恵には、友達が何をそんなに悩んでいるか分からなかった。

 そう。真恵は彼女のことを決して特別などとは思っていなかった。

 確かに他のクラスの子よりはそばにいる時間が長いし、よく話しもする。一緒に遊ぶことも多い。けれど、それだけだ。

 友達の、一人。

 大切ではあるが、それは友達として。決して特別ではない。今の関係が迷惑などとは思っていないが、特別な友達になりたいとも思わない。

 友達の、一人。

 それで充分だった。

 だから時々、彼女が真恵に過剰な期待をかけていることが分かるので、それをうっとうしく感じることはあった。

 今回のこの相談もそれにあたった。

 なぜこんな相談をわざわざ家によんでまで自分にするか分からなかったし、第一、真恵には、なぜこんなことでこれほどまでに悩まなければいけないのか、それが分からなかったのだ。

 だから、彼女が今口にしたことだとて、何か自分の意としたところと違う解釈をしたようだが、それをわざわざ正すことはしない。

 自分の脇においてあったカバンを手にするのである。

「じゃあ、私、帰るね」

 立ち上がる。

「え? もう?」

 友達は真恵を見上げた。

 目がどこかうろたえている。

 「もう」? 何が。もう充分ではないだろうか。

「うん。帰る」

 いい切り、ドアに向かった。彼女が後ろから追ってくる。

「途中まで送っていくね」

 それは別に迷惑ではなかった。

 どっちでもよかった。

 途中まで一緒にいようがいまいが。

 真恵はただ頷く。

「真恵ちゃんはさ、自分から告白したの? それとも、向こうから?」

 家の門を出たところで、友達は真恵にそう尋ねた。

 真恵は一瞬言葉をなくす。じっと彼女の顔を見、その後、眉を顰める。

「告白って、どういうこと? 私と誰の話をしているの?」

 その言葉は思った以上にきつかったらしい。彼女の顔色がさっと変わるのが分かったのだ。

 だが、真恵は作ってしまった自分の表情を、だからといって変えようとはせず、友達の次の言葉をただ待つ。

「……真恵ちゃん、七組の深川くんと付き合っているんじゃないの……?」

 一瞬自分の呼吸がとまるのを知った。頭に血が昇っていくのを感じた。

 いけない、このままではいけない。

 そうとっさに思い、歩きだす。

 彼女は自分にとって特別ではない。けれども大切。大事な友達。

 彼女が付いてきている。横に並ぼうとしている。

 真恵は必死に視線を動かした。空に道路に木々に家の塀に、目を走らせ、気持ちを落ち着かせる。

「……何でそうなっているのかなぁっ。そんなんじゃないんだったてば。本当に、そういう関係じゃないんだってば」

 隣に来た彼女にいった。

 彼女は戸惑いながらも口を閉ざすことはない。彼女にとって真恵は特別だから。

「そうなの? 付き合っているわけじゃないの? そういう噂が流れているから、付き合っているんだと思ってた。ほら、真恵ちゃんって深川君と仲いいし」

「仲がいいから? 一人の男子と仲のいい女子なんて他にもいるじゃない? なのになんで私なの? なんでレイなの? どうしてそんなに嘘が広まっているわけ?」

「それは……真恵ちゃんって、男子に人気あるんだよ?」

「知ってる。聞いたから」

「うん。そんな子が、深川君のこと好きだなんて……びっくりするんだよね」

「レイだと、びっくりするの?」

「……深川君って、変わっているよね。友達、いないみたいだし」

 変わっている?

 そうだ。玲司は確かに「変わっている」のかもしれない。あまり話さないし笑いもしない。その表情が大きく崩れることなどほとんどない。

 だけど、それだけのことがなんだというのだろう。他の人と少し違うだけで変り者のレッテルを貼られ、注目を集めるなど……。

 そんなことで評価されてしまうのは、かわいそうだ。

 玲司はとってもいい奴なのに。猫に自分のご飯をあげてしまうほど、猫のことが気になってわざわざ様子を見にいってしまうほど、いい奴なのに。

 そして何より、かわいそうな奴なのに……。

「…………」

 だから、真恵はいってしまうのだ。

 躊躇なく、そういい切ってしまうのだ。

 いつも、誰にでも、告げてしまうのだ。

「確かにレイは変わっているかもね。けど、レイほどいい子はいないの。レイほどかわいそうな子もいないのよ。だから、レイには幸せになってもらわないといけないの。誰よりも、幸せにならないといけないの。私にとってレイは特別な人よ。この世で一番大切な人。だから私はいつもレイのそばにいるの。レイを見ているの。……レイは、幸せにならなきゃいけないから」

 感じたのだ。そう思ったのだ。

 自分が決めた。絶対に彼は誰よりも幸せにならなければならないのだと……そのために、自分はそばにいる。

 彼の、そばにいる。

 真恵は友達とその後すぐに別れた。

 望ヶ丘山の端が片道一車線の道路の向こう側で横たわっている。そんなT字路で。

 また明日ね、とお互いに笑顔で手を振って。

 真恵には彼女が自分と玲司の関係を理解できたとは思えなかった。

 たぶん釈然としないまま、それでも真恵が強く違うというので、そういうことにしておこうと結論付けただろう。

 こんなことで二人の関係を壊してしまうのは真恵にとっても忍びないことだった。ならば周囲から漏れる醜聞など軽く笑って流してしまえばいいのだが、躍起となっていい返してしまうのはなぜなのだろう。

「…………」

 頭の中でそんなことを考えながら真恵は帰路についた。ここから家屋敷までは二十分強程で帰れるはずだった。

 右手に車の往来を、左手に望ヶ丘山の裾を見て、真恵は一人歩いていく。

 ――が。

「……なに……?」

 ひたと足を止めた。

 左を見る。

 後を見る。

 過ぎてきた、道。その向こう側。

 望ヶ丘山の奥。

 茶色い地肌を顕にし始めた木々が、赤い夕日をうけて輝いている。

 その、奥。

「…………」

 音が止んだ。

 ざわり、と、何かが触れた。

 どこに?

 それは、真恵の……内部、心。

 ざわり、と。

 音が、ない。

「……だ、れ……?」

 足を動かす。

 今来た道。再び踏み締める。

 山に入る急斜面。

 湿った土。

 踏み締める。

 落葉の絨毯。

 かさついた雑草。

 踏み締める。

「――――」

 歩む。

 奥へ。奥へ。

 音が、しない。

 車たち、存在すらない。

 奥へ。奥へ。

 覆う、木々。

 迫る、木々。

 絡まる、草々。

 まとわりつく、草々。

 呼び込む、風。

 導く、風。

 奥へ。奥へ。

「…………」

 一本の何の変哲もない木の根元に、それはあった。

 真恵に触れたもの。

 静かに、あった。

 真恵は見る。

 自分の足元。

 じっと、見、上体を、屈める。

「――――」

 導く、風。

 奥へ。奥へ。

 触れる。

 奥へ、奥へ――。




     *  *  *




 スパーク。

「!」

 感じた。間違いない。

 家屋敷の自室で、その衝撃のために倒れそうになるのを必死で堪えた。

 体勢をたてなおすと部屋を飛びだす。

 向かうのは隣の部屋だ。

「コウイ!」

 名を呼んだ直後に扉を開けた。

 ベッドに横たわりマンガを読んでいたと思われる彼が、両眼を見開いて玲司を見ている。

「レイ!? どうしたんだよ、お前。そんなに血相変えて」

 ゆっくりと公一は身を起こす。

 玲司はあわてて口を開く。

「何も感じなかったのか!?」

「感じるって……何を?」

「サーナが……っ」

 いうと同時に玲司は踵をかえした。

 駆けて階段を下りていく。

 脇目もふらず、玄関を飛び出す。

「待てよ、レイ!」

 真後ろで公一の声。

 玲司の後を走って追いかけてきたわけではい。それではこんな短時間で真後ろなどにはこれない。

 公一は「飛んだ」のだ。

 彼は瞬間移動能力保有者。

 目的地のイメージさえはっきりと持てば、一瞬にしてその場に移動することが出来る、その能力。

 公一が極度の方向音痴のため、その力が最大限に発揮されることはない。が、目的地が馴染んだ場所だったり、波長を感じ取れる場所だったりしたら、別だ。

 玲司もそのような公一の能力を知っているからこそ、真っ先に彼の部屋に飛び込んだのだ。

 公一も感じたのなら、その感じた波長の痕跡を辿ってその場に一瞬で行くことが出来るから。

「どうしたんだ? 何を感じたんだ!?」

 そして、玲司は誰よりも感受の力が強い。『精霊』や『魔』の動きを離れた場所からでも充分に感じ取ることが出来た。

 玲司は公一に向き直る。

「サーナの気が、弾けた」

「弾けた!? どういうことだ!?」

「分からない。けれど、気持ち悪いんだ」

 右手で黒いセーターの襟元をぎゅっと掴む。

 それは嫌な予感、というもの。

「場所、分かっているのか?」

「多分。今のうちなら」

「俺も行く。いいな!?」

 ただ首肯いた。

 そして二人は走り出す。

 玲司が感じたものは、真恵の気だった。

 気――その者が纏う空気、とでもいおうか。

 それが、弾け飛んだ。爆発し、四散した。

 玲司はそう感じ取った。

 それがどういう状態を意味しているのか、真恵の身に何が起こったのか、玲司にも分からない。けれど、玲司は同時に感じたのだ、巨大な不安を。

 予知能力を持っているのなら、予感は未来のものという可能性もある。だが、玲司は予知能力を持っていない。だからその予感があたっているのなら、それはその瞬間のもの。今となってはもう起こってしまった過去のもの。

 感じた不安が現実になっているのなら、すでに真恵の身に何かが起こっているということだ――。

 二人は走った。

 獣道をおり、望ヶ丘山の探索ルートを通り、公道に出る。脇を擦り抜けていく車と逆方向に二人は駆けていく。

 が、玲司はある所までアスファルトの上を行くと、突然右手の林の中に入っていった。

 そこは望ヶ丘山の端にあたる場所。土の斜面を上り、枯葉と雑草の地を踏み付け、身を素早く捩って木々が覆う林の中を進んでいく。

 陽は、もうだいぶ傾いていた。辺りは暗くなっていた。

 気温も下がっていく。風が冷気を帯び始めた。そしてその風は二人を導いていく。

 玲司が足を止めた先は、林の中、開けた場所だった。

 開けたといっても微々たるもの。その場所を囲うように四方に大木が立ち、地中に根をはっているために、他の木の生える猶予がなかっただけのこと。

 そのために出来た、場所。

 自然が成した、空間。

 しかしそこに、

「サーナ!」

 一本の大木の根元に、彼女は俯せに横たわっていた。投げ出された左手の先には学生カバン。

 玲司が駆け寄る。公一が倣う。

 玲司はゆっくりと真恵の体を起こした。呼吸はある。

 かたく両目は閉ざされていたが、そこに苦しんだ表情はなかった。

 なぜこんなことになっているのか……分からない。

 玲司は抱きかかえた真恵の顔を見つめ、大事に至らなかったことに安堵し、同時に困惑する。

 何が起こったのか、見当がつかなかったから……と。

「レイ。これなんだ?」

 公一が地面を指差していた。

 そこは真恵が倒れこんでいた場所。

「…………」

 玲司も、見た。

 そのものを。

 奇妙だと思った。

 偶然……ありえないわけではない。だが、違和感は拭い去れない。

 なぜ、このようなものが……?

 このようなものの何らかの働きが、真恵の意識を奪ったとでも……?

 一つの、白うさぎのマスコットが――?

 黒目がちの両眼を固定させたまま、玲司は強く真恵の肩を抱いていた。

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