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月夜の兎  作者: 望月あさら
■ 終 ■
35/36

終-2

 夕方。

 松山有喜は一人、王宮の白い廊下を歩いていた。

 時々人とはすれ違った。どれも馴染みのない顔ではあったが、誰もが有喜の姿を認めると、一度足を止め、軽く会釈をした。

 有喜自身はそんな彼らに手を上げ通り過ぎるだけで、決してそれ以上の愛想を振りまくことはなかった。そのようなことをする謂れがないということもあったが、何よりも、現在の有喜にはそれほどのことをしてやる余裕がなかったのだ。

 有喜は強ばった面持ちで足早に進んでいた。彼がこの王宮で気を抜ける場所はただ一ヶ所しかなく、その場に今、向かっている。早くこの緊張から開放されたい、そう考えながら彼は歩んでいた。

 橙色に染まった空が見える渡り廊下をいき、角を右に曲がる。白い石で出来た列柱を右手にしながら彼は進む。

 次の角を左に折れ、棟の中に入ると、一気に人気がなくなった。この辺りは会議室が並ぶ所。今は何も会議が行なわれていないということなのだろう。

 有喜は静寂の中を歩き、ある一つの部屋の木の扉を開けた。

 やっと落ち着くことが出来る、と思ったのは束の間。部屋の中に人影を認めて、有喜は再び顔を強ばらせた。

 ゆっくりと部屋の中に入り、扉を閉める。

「もしかして、今報告が終わったのかな?」

 中にいたのはヌース・マイレスだった。彼女はコの字型に並べられている角の机に軽く腰をかけ、そこにいた。

 有喜はしばし彼女の顔を見ると、ふうと息をついた。部屋に常備されている水差しに寄っていく。

「ああ。今終わったよ。ここにいるということは、ヌースは暇だったのか? 暇だったのなら、一緒に来てもらいたかったけどな」

 コップに水を注ぎながらいった。しかし、顔をヌースに向けることはない。

「暇ではあったけどな。だが、私が行く必要もなかっただろう? 陛下のご機嫌伺いはお前一人で充分だ」

 さらり、と述べられる。

 陛下のご機嫌伺い。その言葉をある人物に聞かせれば、途端刃を向けられてもおかしくはないというのに。

 彼女にそういうことを指摘にしたら、場所と場合はわきまえているはずだ、と返されるのは分かりきっているのでわざわざ忠告もしないが。

「しかし、今回の試験対象にはお前の弟子二人が入っていたんだ。師匠の口から状況を報告するのも、一つの筋ではないか?」

「なぜ師だからといってそんなことをしなければならない? お前がいれば充分じゃないか。それに今回の場合、私は直接何も見ていない。なのに何をいえというんだ?」

 彼女の言葉に迷いはなかった。はっきりと、そういい切ってしまう。

 有喜も負けじとヌースに向かった。

「状況は逐一報告したはずだ」

「私が耳にしたのは結局はお前の言葉だろう。その上で何の判断を下せという?」

 彼女のいうことは理にかなっていた。そう、それはいつも。だから有喜は彼女が苦手だった。長年付き合っていながら、今だにつかみきれていないところが多すぎて。

 苦手、なのだ。

「だが、ヌース……」

「有喜。私はお前を信頼しているんだ。お前がいいというのならいいはずだと、そう思っている。それでは駄目なのか?」

「あいつらは俺の弟子じゃない。俺はそれほどあの二人のことを知っているわけじゃない」

「だから?」

 聞き返されて、言葉に窮する。

 方向転換を、はからなければならない。

「――頼まれたとおり、玲司にいったよ。今回の事件を試験として割り当てることを決めたのはヌースだ、と」

「そうか。ありがとう。それで、そういったらレイはどんな顔をした?」

「どんな顔かなど、俺にいえはしないよ。ただ、あいつはこういったさ。『そうですか』ってね」

「なるほど。やはり少し怒っていたかな」

「本当にこれでよかったと、これがお前の望んだ結果だと、いうんだな?」

「ああ。そうさ。まだ私はあの二人に会っていないから推測でしか物はいえないが……。有喜。私はね、もともとあの二人を二人としては見ていないんだよ」

「二人を、二人として……?」

「二人で一人前。それでいい」

「…………」

「二人はお互いの足りないところを補うことが出来るんだ。そりゃあそのうち、人間として独り立ちはしなければならない。だが、今はまだいい。今は早い。二人で一つ、それで充分なんだ」

 顔に不満を顕にする。

 彼女はそれを見て、言葉を続ける。

「『司』がなぜ一斉に引退し一斉に任命されるか。横のつながりというものが重要視されるか。それはつまり、『司』が個人としては見られていないということなんだろう? 『司』として望まれるべきは有能な個人ではなく、組織の一員として力を発揮できる者。だから、『司』としてみた場合、レイもサーナも一人である必要はない。二人そろって始めて力を発揮する、それでいいじゃないか」

「本当に、ヌースはそれでいいと?」

「私はあの二人の親代わりになる気はないよ。その点フィルはよくやっていると思うさ」

「別に親にならずとも……」

「だったらこういおう。私は人生の教師になる気はない。――お前のいいたいことは分かっているよ。結局二人は傷を舐め合っているんじゃないか。そうだろう?」

「…………」

「それに対して私はこういうね。『司』として仕事を全うしていける彼らがそうであって、なぜいけない?」

 静寂が、広がった。

 ヌースは有喜の目の前で口元に笑みすら浮かべていた。

 余裕、だ。有喜が彼女から感じるものは。自分にはない余裕。自分にはありえない余裕。羨ましくも感じるが、同時に憎く、そして、恐ろしい。

「……フィルには、そのことをいってあるのか?」

 口をついて出てきた言葉はそのようなものだった。ヌースは答える。

「いいや。いってはないさ。ただ、彼女は私の考えていることなど薄々お見通しだろう」

「先刻承知というわけか」

「おそらくは」

「その上で、彼女も公一の試験を了承したと?」

「フィルが望むのは、コウイの『司』任命だ」

「……だからって……」

「しかし、試験内容を最終的に了承したのはお前だろう? 監督責任にあるお前が了承したからこそ、事は動きだしたはずだ」

 有喜は何も答えられなかった。

 確かにヌースのいうとおりだったからだ。

 試験内容に不満を感じたならストップをかけることなどすぐに出来たはず。なのに、それを自分はしなかった。する事無く……二人をつらい立場に追いやった。

 本意ではなかったはずなのに。

「――まあ、いいさ。いいじゃないか。どちらにしろ、三人は『司』になるための最終試験を通過し、レイとサーナに至っては通らなければならない道を通る結果となった。ただそれだけのことだ。お膳立てがあったかどうかなんて関係ない。そうだろう? それとも、お前が気にしているところは他にあるのか? ……なるほど、陛下に何かいわれたのかな?」

「あの人は関係ない」

「……本当につくづく同情するよ。お前にこの役回りは合っていないと、最初からずっと思っていたさ。周囲の圧迫を跳ね返せるほどの信念がお前にはないからな。やはり、これは彼の仕事だ」

「……同情だけなのか?」

「抱き締めて慰めてほしいならそうしてやるが?」

「…………」

 喉をならしてヌースが笑う。

 その笑い声と時を告げる鐘の音が重なった。

 ヌースは立ち上がり、扉に向かって歩きだした。が、有喜を追い越す手前で足を止めると、ついと視線を向ける。

「何かいいたそうだな」

 促され、有喜は静かに口を開く。

「そら恐ろしく感じるのは、気のせいかな?」

 また、ヌースは笑った。

 有喜は笑えず、ただ、彼女の顔を見る。

「私は伊達に『夜』を名乗っているわけじゃない」

「……そういうことか」

「そういうことだよ。じゃあ、有喜。私はここでお暇するよ。約束の時間なものでね」

「約束? フィルか? リオンか?」

 ヌースは扉に歩み寄った。

 把手に手をかけたところで、彼女は有喜を軽く振り返る。

 口元に、笑み。

「いいや。男だよ」

 

 

 ――ヌースが去った部屋の中。

 前にある小窓からは赤く染まった陽が洩れ入ってきていた。

 その、影を見つめながら。

 有喜は一人沈黙したまま、コップの水を、飲み干した。

 

 

 








異空間の司  若葉の章3

月夜の兎 ―― 完

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