終-1
その日は、気持ちのいいほどに晴れていた。天には雲一つなく、空は青く、冷たい風もない。
本当に気持ちのいい日であった。その上、日曜日ときている。家の中でじっとしているのはもったいないと感じてしまう。
そんな日だった。
だから、宍戸瞳子は目論みをたてた。
そうだ。今日のお昼は外でとろう。家の周りの木々はきれいに紅葉しているし、いい日和りだわ、と。
そして現在、午前十二時三十分。
家屋敷の庭の片隅からは、もくもくと上がってゆく煙が一本。
その下にいる守田公一は、胸に大きく息を吸い込み、叫ぶのである。
「できたぁっ!」
途端、わらわらと人は集まってきた。
深川玲司と伊藤真恵は公一の右手側から、小山薫は公一の左手側から、それぞれ枯葉の一杯入った篭を抱えて。宍戸瞳子は家の中からサンダルを突っ掛けて、やってくる。
「あら、できたの?」
秋の寒さに肩をすぼめながらいうのは瞳子。
「もうできちゃったんだー。何? この枯葉、もういらないってわけ?」
枯葉で一杯の篭をおろしながらいうのは真恵。その隣では玲司も篭をおろす。
「ほう、これは。おいしそうにやけたな」
公一がかかげるバーベキュー用の金串の先を見ていうのは薫。
「うおーっ。おいしそうな焼き芋!」
もう一度叫ぶのは公一。
そう。彼らが一体庭で何をしてるかといえば、焼き芋だった。
時間的にいって、これが昼代わりになることは目に見えていたが、どこでどうなって瞳子の目論みが焼き芋になったのか。
それはまず、瞳子が「お昼を外で取ろう」と決め、庭に出たところから始まる。彼女が庭に出た目的は、広い庭のどこでご飯を広げるかを決めることだった。瞳子は庭の中をぐるぐると何周も歩き回り、そこで色あせた芝生の上にあまりにも落葉が多いことに気が付いた。
庭の中心辺りはまだ良かったが、家屋敷を取り囲む林との境目辺りは見るに耐えないものとなっていたため、これは片付けなければならないと思った。
そこに通りかかったのが散歩に出ようとしていた公一である。公一は瞳子に呼び止められ、落葉拾いを手伝わされる羽目となった。
ぶつぶつ文句をいいながらも、瞳子にかかっては逃げられない、と落葉を拾う公一と瞳子のところにやってきたのは、五十嵐千尋であった。
彼は小さめの重たそうな段ボールを一つ抱え、笑顔で二人にあいさつをした。
彼が二人に見せた段ボールの中身は、たくさんの薩摩芋であった。家の隣の人がくれたのでお裾分けだという。
これほどたくさんの薩摩芋をどう料理しようかと悩む瞳子と、ただ感嘆の声を上げる公一と、律子の仕事の進み具合を気にする千尋の元に次にやってきたのは薫だった。
彼女は顔をのぞかせると、一言呟いたのだ。
「焼き芋ができるな」
それが全てを決めた。
「焼き芋」に公一が強くひかれ、薫も千尋もまんざらではなく、真恵にいえば跳んで喜び、玲司は承諾だけをし、律子はおいしければ何でもよく、瞳子にしてみればたくさんの薩摩芋を無駄なく処理できるとあって、計画は進んだのだ。
そうして、玲司と真恵と公一と薫は枯葉拾いを、瞳子は家の中でお茶と添え物の卵焼きの用意を、律子と千尋は仕事の話し合いを始めたのである。
その中でどうして公一一人が火の番をすることになったのかは、この「焼き芋大会」の名目に訳があった。
「みなさーん、公一くんの百メートル走一等&大会新記録を祝って食べてくださいねー」
どこでどうしてこうなったのか、誰一人として知る者はいない。ただ、昨日行なわれた鷹巣森中学校の体育大会で、公一が百メートル走に出場し、大会新記録を出して優勝したことは事実であった。玲司も千メートル走に出場してとりあえず一位ではあったのだがそれは祝いの対象外らしい。ちなみに、真恵も件の事件の日より必死になって体力回復を図り体育大会には出場したが、リレーということもあって二位に終わっていた。
勝手にこの焼き芋大会を自分の一位祝勝会にしてしまった公一が、金串を使って枯葉の中に埋もれていた芋を次々と外に出す。
転がってきた芋をみんなは手に取ろうとするが、どうして熱くてなかなか触ることもできない。
思わず地面に転がる芋を見つめて動きを止めてしまう。
「冷ましてよ、これ」
呟くのは真恵。視線は芋に向けられたままだが、その言葉をいわれた相手は分かっていた。
「熱いから、いいのだろう? わざわざこんなところで『精霊』を使ってどうする」
「趣なくなっちゃうわよねー」
熱を司る『氷の精霊』と契約を結んでいる、薫と瞳子が応えるのだ。
「ところで、リーツェと千尋さん、呼んでこなくていいの?」
公一が口を開く。
「お姉ちゃんのことだから、出来たこと、感付いているとは思うんだけど……」
律子の食べ物に関する鼻のよさはよく知られるところだった。わざわざ呼ばずとも、料理が出来上がった直後にはちゃっかりと食卓についているのが常なのである。ただ、仕事に熱中していたりすると食事を取ることも忘れるが、千尋が来てイライラしていたところを見ても、仕事がはかどっているとは思えなかった。
ということは、可能性は一つしか残っていない。
「千尋さんが離さないのかな?」
「そうなんだと思うわ。だってここの所、お姉ちゃんが仕事しているの、目にしていないもの」
「リーツェ、今どういうのに取りかかっているの?」
芋の前でしゃがみこむ真恵が尋ねる。
「春の風」
端的に答える瞳子。
「え? まだあれ出来てないのか!?」
驚きの声を上げるのは公一。
「だから千尋さんが困っちゃっているのよ」
「お前達三人が『魔』のことでカリカリしている間、よくここに来てたんだぞ、あの人」
「たしかに何回かすれ違ったような気がするけど……」
「なんなの? 春の風?」
「秋なのに春、な」
「リーツェの最大難関課題っすよ」
「え? 難関……?」
「んーとね、メチャクチャ難しいってこと」
「ふーん」
また一つ分からなかった単語を公一に教えてもらって、真恵は芋に目を落とした。着ていたニットジャンパーの袖を引っ張り手を覆うと、それで芋を持ち上げる。つかんで二つに割る。白い湯気の出現と共に黄金色の薩摩芋が姿を見せた。
「きゃー、ほくほくー。いただきまーす」
真恵が芋にかぶりつく。
「あ、お前、俺におめでとういってから食えよなっ」
「本当においしそうだな」
「うわー、いい香り。おいもーって感じ」
「レイも熱いうちに食べたほうがいいよ」
「…………」
「だからっ、俺におめでとう、は!?」
「やっぱり、お姉ちゃん達に声かけた方がいいかしら?」
「そうだな。もう少しして来ないようだったら、様子見にいってもいいかもな」
「公一、食べないの?」
「だから、おめでとう、は!?」
公一の叫び虚しく、みんな芋を手に取り食べ始めてしまった。玲司までもが真恵に促されて従ってしまっている始末。
公一も落胆したまま、芋を手に取り、割った。
「コウイ。そうおめでとうなんていわれるものじゃないぞ。ありがたみが薄れるだろう。一等に関しては昨日いってやったじゃないか。次にお前におめでとうというのは、新年か、誕生日だな」
薫がきわめて冷静にいう。
コウイは返す気力すら失ったのか、ただ黙々と芋を口に運んでいた。
そんな頃、動きを止めた人物が一人、いた。
彼女は芋をくわえたまま一点を見つめ、じっと考え、そして突然、がばっと立ち上がるのである。
「ああーっっ!!」
衆目の中、口に入っていた芋をいそいで噛み、飲み込むと、改めて体勢を整え、真恵は叫んだ。
「しまったー! いろんなことがあったから忘れていたけどっ、何時の間にか玲司の誕生日、過ぎてるじゃない!!」
いわれ、みな考える。たしかに数日前が玲司の誕生日と定められた日ではあった。が、その頃はまだ、真恵がふせっていた頃だ。
そんな時に誕生日など誰も覚えているはずがない。現に、玲司本人ですら今気付く。そういえばそうだったなあ、と。
玲司にしてみれば、誕生日とはその日を境に一つ年を多くいわなければならなくなるというだけの日であって、元よりそれほど特別とは思っていない。
しかし、真恵にとっては違うのである。誕生日とは一年の中でも最重要に位置する特別な日であって、誰の誕生日でもそうなのに、玲司の誕生日ともなると彼女にとっては最重要中の最重要であって、いってみれば、その日を忘れて普通に過ごしてしまったなどは言語道断。
真恵は一気に落ち込んでしまうのだ。
「わ……私としたことが……どうしよう……」
両腕をだらんと力なく下げて眉を顰め、少し俯く。
痛ましいほどの落ち込み様で、これは公一の落胆などとは比にならなかった。
だから思わず周りも必死になってフォローを入れてしまう。
「ま、まあ、そこまで思い悩まなくてもいいんじゃない? 誕生日は一生に一度きりのことでもないし……」
「数日遅れただけだ。対した差異はあるまい」
「そうよ。今からお祝いしたって問題ないわよ」
「レイ。お前もなんとかいったらどうなんだ?」
薫に矛先を向けられるが、玲司としてはどうしていいのか分からない。落ち込む真恵を目の前になんとか言葉をひねり出そうと試みるが、うまくいくものではなかった。「えっと……」の一言で詰まってしまう。瞳子と薫の鋭い眼差しが迫ってきたところで、ますます言葉は出なくなるばかりだ。
「そうか……」
しかしそこで真恵から声は漏れていた。彼女は徐に顔をあげ、何かに気付いたという目をして口を開くのである。
「そうよ、そう。そうなのよ……!」
「何が……?」
「忘れていたものは仕方ないのよ、今更時は戻せないのよ。でもそれほどに過ぎてしまったわけでもないわ。今からおめでとうといっても遅くはないのよ!」
「……それで……?」
「レイ、お誕生日おめでとう! とうとう十四歳ね! 今日のこの焼き芋は全てレイのものよ! だってこの焼き芋大会はレイのお誕生日を祝うものなんだから!」
一同閉口。
玲司に向かってうれしそうにそう告げる真恵を前に、事情がすんなりと把握できないでいる。
彼女の中でどういう思考が行なわれたからそうなったのか。理解不能である。ただ、趣旨は変わってもさほどすることは変わりそうにもなかったから、とりあえず薫と瞳子は真恵の思惑にのるのである。
「誕生日おめでとう、レイ」
「お誕生日、おめでとう」
玲司は終始絶句。ありがとうと応えたものかどうか。
そんな中、公一一人だけはその事態の急転を許しはしなかった。彼も事情を理解すると声を上げるのだ。
「なんだよ! 勝手に名目変えるなよ! この焼き芋大会は公一くんの百メートル走大会新記録を祝う会なんだからなーっ!」
「いいじゃないのよ、別に。大したことじゃないわ」
「大したことだよ! 俺が主人公なんだからー!」
「じゃあ、今までが公一を祝う会で、ここからがレイのお誕生日祝いということで」
「駄目だよ! 俺まだみんなにおめでとういわれてないし!」
「おめでとうは昨日いったでしょう!?」
「今日も!」
「欲張りなのよ、公一は!」
「そんなことないよ! お前の方こそなんだよっ。レイの誕生日忘れててさ、さっきは一生の不覚って顔してたくせに!」
「え!? 何!? 一生の……!?」
「一生の不覚!」
「どういう意味よ!?」
「お前もっとちゃんと日本語勉強しろよ! もう教えてなんかやんないから!」
「いいわよー。別に公一に教えてもらわなくてもちゃぁんと他に教えてくれる人がいるんだから! ね、薫っ」
「不覚とはつまり、思いもかけない失敗のことをいう。それに一生の、と今回はついているから、一生のうちで最大の失敗、それほどの大きな失敗、という意味になるな」
明快な薫の説明に思わず言葉を失ってまうが、それでも真恵は勝ち誇ってみせる。わざとらしくそっくり反りすらするのだ。
「ほーら! すばらしい先生が私にはいるんだから! 公一なんかにはもう教えてもらわないわよ!」
「ああもう教えてなんかやんないよ!」
話がどこかでひん曲がっていることに傍観している三人は気付いたが、二人がそこで決着は付いたという顔をしていたので、まあいいかと指摘はしないでいることにした。
黙々と焼き芋を頬張る。
「あ、そうそう、薫」
だが、その平穏な時も長くは続かなかった。真恵が次に繰りだした質問が、秋の寒さも焼き芋の熱さも公一と真恵のいい合いの余韻も、全てを飲み込んでしまったのだ。
「あのね、昨日、クラスの子達と話していたら私の訳分からないことみんないいだしてさ、どういうこと? って聞いたら、他の人に聞きなさいっていうから聞くけど、」
「…………」
「みんなね、Aまでいっただとか、Bまでいっただとかいうのよ。これって、どういうこと? AとかBとかって、何?」
場が凍り付いた。
虚しく風が吹きすぎていくが、誰一人として動けはしない。
真恵はそんな様子を目のあたりにして、無邪気に目を瞬いてくれる。
「――薫、お答えをどうぞ」
公一がゆっりと促した。
薫は顔を瞳子に向ける。
「そういうことは年長者に聞くべきだ」
「何よそれ!? 私と薫なんて一年もかわんないでしょ!」
「しかし、その答えを私に求めるのはかなり間違えているとは思わないか?」
「理にかなったお答えが聞けると私は思いますけど?」
「いいや、違う! こういうことはだな、薫が答えるべきではなーいっ!」
「ど、どうしたの、公一、突然に……」
「こういうのはやはり、君が答えるべきだ、レイ! ちゃんとサーナを調教しとけよ、お前っ!」
「すごい矛先の向け方だな」
「ちょっと。玲司くん、凍っているわよ」
「さあお答えをどうぞ、レイっ!!」
「☆◆♪∀▼×★※!?」
「……だから、玲司くん凍ってるってば……」
「ねえぇ、なんなのよぉ」
そんな修羅場に、新たに人が加わろうとしていた。
家屋敷の中にいた律子と千尋だ。
二人は今になってやっと現われたのである。
ただし、追い駆けっこをしながら。
「りっちゃん! 待ちなよ!」
「嫌だってばぁっ! 今日はもう仕事しない! もう考えたくなーい!」
「そんなんで許される訳ないでしょ!? もう期限はとっくに過ぎてるんだから!」
「でも嫌なものは嫌なのぉっ」
「嫌でも仕事は仕事!」
「ねえ、千尋! 焼き芋だってば焼き芋!」
「知ってます!」
「ねえ、食べようよ、ご馳走するからさ!」
「ご馳走も何も、これは僕が持ってきた芋です!」
「だったらなおのこと、ね!」
「後でいただきます!」
「今でいいじゃないの、出来たて!」
そういって走り抜けながら律子は地面に転がっていた芋を一つ拾いあげ、追い掛けてくる千尋に向かって投げつけた。千尋はその律子の所業に驚きながら、足を止め、芋を受け取る。
そこで追い駆けっこは終わりを告げることとなった。千尋は瞳子の隣に立ち、息を整え深々とため息をつくと、芋を割るのである。
「やっぱり焼き芋は焼きたてでしょう」
律子も足を止めると芋を取り上げ頬張る。
「食べおわったら再開だからね」
「考えとくよ」
ところで、と、そんなところで真恵は改めて口を開いていた。
結局質問の答えはなんなのか、と。
公一がゆっくりと視線を向ける先は千尋だった。千尋が不思議そうな顔で見返すのを目にして、公一はいう。
「大人がいるということで、ここは一つ、千尋さんにお答えをお任せするっていうのはどうでしょう」
賛成、という声がした。「なんなの?」と瞳子に尋ねる千尋。そんな彼に素直に質問をぶつける真恵。
「Aまでいった、Bまでいったって、どういうこと?」
千尋も凍り……かけた。しかし、周囲の目はそれを許さなかった。玲司までもが頼みますといわんばかりに顔を向けているのだ。彼は逃げることも叶わず、かといってこの場は真面目に答えるという雰囲気でもない訳で、ふざけて答えたところで理解してもらえそうにはなく、第一、出来ればそういうことは任せないでほしいとも思っていたりして、……つまり、言葉が出ないでいるのだ。
「あー、駄目駄目。そういうこと、千尋弱いんだからさ。よし、私が教えてあげよう!」
なぜだか張り切り名乗りをあげるのは律子だ。彼女はつかつかと真恵の目の前まで歩み寄ると、その両目をずいと覗き込むのである。
「そんなことも知らないのかね。いいかね?AとかBとかいうのはね――」
皆、息を飲んだ。
律子の性格からして、ずはりいい切ってしまうのではないかと、その時を緊張の中、静かに待ってしまう――。
「つまり、Aっていうのは秋葉原っ。Bっていうのは馬車道っ!んでもってCは千葉県千葉市っ!! つまりそこまで遊びに行ったということさっ!」
「――――。そうなんだー」
脱力。
素直に納得している真恵の前で、誰一人として口は開けない。
そのため、真恵に間違った認識をさせたまま、時は過ぎていってしまうのである。
いつもの、家屋敷での平穏な一日。
秋は最後の深みを増していこうとしていた。