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月夜の兎  作者: 望月あさら
■ 1 ■
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1-1

 鷹巣森中学校は住宅街の真ん中にある学校だ。地域の鷹巣森自体がそこそこ古い町なので、中学もそれなりの歴史を持っている。

 中学校の校舎は二つ、南校舎と北校舎。南校舎は二年前に建て替え工事が終わったばかりでまだ新しい四階建て。一方の北校舎は築三十年になる三階建て。

 そのような北校舎には立て付けの悪くなってきたところや鍵のかからない窓などがいくつかあった。

 北校舎の屋上に出られる扉もその一つである。本来、鍵がしっかりとかけられ誰も出られないようになっているはずのところが、実は、コツさえつかめば鍵がなくても出られるようになっているのだ。

 屋上の柵は二年前の南校舎の立て替えの時一緒に付け替えたので、まだ新しく、かなり立派で丈夫であるが、それを知っているせいか、学校側は立入禁止にして屋上に続く階段に鎖でとうせんぼをしても、鍵を直すことはしていない。

 そのため、コツをつかんでいる一握りの生徒が時々屋上に出ているというのが実情なのである。

 そして、一年生の伊藤真恵はそんなコツをつかんでいる一握りの生徒のうちの一人だった。だから一年五組の教室から連行された彼は今、屋上に来ていた。

 他には誰もいない中、二人はフェンスを背に、学校からほど近い小高い山、望ヶ丘山の方を向いて弁当をつついている。

「昨日クラスの子に聞いたのよ。学校帰りにレイがお弁当を第一公園にたむろしている野良猫に分けてるって」

 彼――深川玲司が隣の地面に直接座る伊藤真恵になぜこんなことをしたのかと尋ねると、彼女は顔色一つ変えることなくそう答えていた。

 玲司は軽く目にかかる髪の間から少しの間じっと真恵を見ると、深々と溜め息をついた。それ以上は何もいわない。

 箸の先を弁当箱の中に入れたまま背をとんとフェンスに預け、秋晴れの空に視線を向けるのだ。

「あーっ。何よそんな顔しちゃってー。駄目なんだからね、ちゃんと食事はしなきゃ。猫がかわいそうだった、何ていういい逃れはできないんだからねっ。大体、せっかく瞳子が毎朝作ってくれているお弁当を猫にあげてしまうなんて、瞳子に悪いと思わないの?」

 玲司にはあからさまに表情を変えた覚えはなかった。それよりも先に、玲司の表情の変化というものはほとんどといっていいほど表にあらわれるようなものではなかった。会ってそれほど間のない相手だと、あまりの無表情さに玲司を不気味に思ってしまうぐらいである。

 だが、真恵だけは玲司のほんのわずかな顔の変化を見抜くことができた。この場に他に人がいたとしたら、真恵が一体何をいっているのかその人には全く分からなかったことだろう。

 玲司としても彼女だけには自分のポーカーフェイスが通じないことを知っているので、また同時に言葉を重ねずとも彼女が自分の思ったことを理解してくれることを知っているので、彼女の前では下手な嘘はつかないことにしているのである。

「けれど、僕はそんなに食べたいとは思わないし、その分、猫が食べたそうだったし、やっぱり、瞳子としてもそれならそれで分かってくれるのでは、と……」

「猫に何かあげたかったら瞳子は猫用のご飯を別に用意してくれるわよ。そんなところでケチるような瞳子じゃないわ」

 だからこれはちゃんとレイが食べるのっ、と強く真恵がいった。

 瞳子とは玲司と真恵が下宿している家の主人の妹である。料理好きの高校一年生で、毎日の食事はもちろん、弁当までも下宿人全員分作ってくれているのだ。

 確かに、そんな瞳子がせっかく作ってくれる弁当を猫にあげてしまうのはもったいないような気がしないでもない。かといって玲司としては、いつも端から見ればひどく小食のため、昼といってもそれほどお腹が空いていないのである。

 なのに食べろといわれても……これはこれで困ってしまう。

 じっと弁当を見たまま口を閉ざしていると、隣の少女は再び強く言葉を紡いでいた。

「いい? 今私たちはね、成長期真っ盛りなのよ。この時期にちゃんと栄養取っておかないと、肉や血ができないんだから。ただでさえレイなんかこーんなに痩せ細っているというのに、その上ちゃんと食べないなんて、本当にミイラみたいになっちゃうわよっ」

 真恵がいったとおり、玲司は痩せ細っていた。背丈も肩幅もそれなりにあるので服を着た状態で一見すればそれほど目立ちはしないのだが、薄着になったり裸になったりするとその痩せ方は際立っていた。腕も足も腰も細い。玲司自身も自覚している。もっと肉を付けなければとは思っている。

 しかし、それは真恵にしても同じこと。玲司ほど際立ちはしないが、やはり痩せすぎていることにはかわりない。

 だから玲司は真恵の小さなお弁当箱に視線を落していってやるのだ。

「サーナこそもっと食べた方がいい」

 クラスの女子のお弁当箱は真恵のものより少なくとも一回りは大きい。この時期、男より女の方が一気に成長するのだから皆ぐらい食べるのが普通なのだろう。なのに真恵は口では散々玲司のことを責め立てるが、本人も実際、それほど食べてはいないのである。

 静かにそう口にした途端、真恵は鋭い目を玲司に突きたててきた。彼女は右手の箸をぎゅっと握りしめる。

「そんなこと分かってるわよっ。私は女ですからねっ、将来的にはもっと出るとこ出てもらわないと困るのも充分分かっているわよっ」

「…………」

 めらめらと燃える眼差しを正面からぶつけられそういわれても玲司としてはどう反応すればよいか分からない。だから口を閉ざしたまま、ゆっくりとその眼差しから視線を外していこうとすると、

「そこであからさまに反応に困らないっ!」

 と返されてしまった。

 一瞬動きを止めるが、かといってそれから他の動作に移すわけにも行かず、玲司はとりあえず目を自分の弁当箱に向けた。

 箸を握り直し、少しずつご飯を口に運んでいくことにする。

「そうよっ。私が目指すのは色っぽい女なのよっ。立っているだけでもこう、女の色気が醸し出されるような、そんな女性に私はなりたいのよっ。だから出るとこ出てもらわないと困るのよねっ。まな板胸で世間をノーサツなんかできないんだからっ」

 悩殺、ですか……と黙々と自分なりのペースで食事をすすめている玲司は心の中で復唱していた。だが真恵の口調からして、彼女は悩殺の意味をよく知らずに使っているらしい。

 だからまあ、何も反応はしないことにしておく。が、

「いい!? レイもね、肉はつけなきゃだめなんだからねっ。筋肉のついた逆三角形の肉体が美しいんだからねっ。けど、けどね、筋肉つきすぎは嫌だからねっ。マッチョは嫌だからねっ、レイは絶対そんなの似合わないんだからっ、マッチョになったら絶交だからねっ!」

 マッチョだと絶交ですか……と心の中で復唱。

 目の端で真恵を見ると彼女は決意を新たに食事を再開したらしい。鶏の唐揚げにかじりついている。

 玲司も視線を戻すと箸を動かした。

 弁当箱の中からつまみ上げるのはグリーンアスパラガス。

 まあ、とりあえず自分がマッチョになる日は永遠にこないだろうな……そんなことを思いながら、玲司は秋晴れの空の下、それを口に放りこむ。

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