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月夜の兎  作者: 望月あさら
■ 3 ■
22/36

3-8

 ――その、瞬間。

「――――」

 一人、視線を地に落としながら進んでいた歩みが、止まった。

 変わりのない人込みの中。

 目を見開いて、ゆっくりと顔を上げる。

「…………」

 気持ち悪い。

 何かが、ざわざわと胸の奥に触れていく感じ。

 『魔』。

 学校での実地授業で触れた感じと、似ている。あの時は、これほど気持ち悪くならなかったけど。これほど、驚きもしなかったけど。

 『魔』?

 なぜ、リル=ウォークに?

 リル=ウォークには強固な『結界』が張ってあるはず。

 なのに、『魔』?

 『魔』が、リル=ウォーク内に?

「――――」

 全身に悪寒が走った。

 その現実が引き起こす事態を想像できた。大変、と、判断を下す。

 自分一人では、駄目だ。力がなさ過ぎるし、何よりも、不安で。

 だから、誰かに報せなければ。誰か、力のある人物に、報せなければ。

「――!」



  ざわっ。



 咄嗟に口をおさえた。

 気持ち悪い。

 今まで以上の、悪寒。

 振り返る。方向を、確かめる。

 今自分が過ぎてきた方角の、空。

 青い、空。

 なのに、――黒い、霧。

 サーナは足元を蹴り上げた。

 今自分が来た道を戻っていく。

 駄目、と心の中で叫んだ。

 駄目。駄目。絶対に、駄目。

 黒い霧。

 『魔』の表れ。

 その下には『魔』と、そして、彼がいるのではないか?

 ちょうど、そこは、彼と別れた辺りではないか?

 駄目、駄目。

 人込みを抜け、小路に入る。

 白い壁の家々の間を抜けていく。



  ざわっ。



 ――駄目!



「レイ!」

 最後の角を曲がると共に叫んでいた。

 見えた。

 この道の先。

 白い地に横たわっている少年と、髪を振り乱し、ゆっくりと少年に迫ってゆく、まだ若い女性。

「レイっ!」

 走る。駆け寄るより先に、女からは空気の渦。それが、地面に横たわるレイの腹上に落ちる。

「!」

 勢い、彼の体が地面の上を跳ねた。そして動かない。

 女は歩み寄る。なぶるようにゆっくりと、迫る。

 女は、『魔』。人間の力を喰う、『魔』。

 『魔』が人間の力を喰うには、人間の体内に入り込むしかない。入り込むには、人間の警戒心が邪魔だった。それをなくさせるには、『魔』に対する警戒に隙を作らせるか、それとも、人間の体力を奪い、抵抗する気力さえ萎えさせてしまうか――。

 だから、女はレイを痛め付けている。

 死の寸前までにしようとして、そうしたら、自分が入り込めるから、と――。

 駄目。

 絶対に、駄目。

 サーナは走った。

 距離が縮まる。自分と、レイと、女と。

 女が身構えた。

 両手の平を、再びレイに差し向ける。

 その表面に集まってくるのは、風。

 それが、渦をまき、仰向けのまま動かないレイを狙う……!

 駄目――!

「『結界』!」



  ごおうううっ!



 サーナの目の前で、風が音をたてた。

 鼻の、すぐ先。

 そこで風は四散していく。

「――――」

 間に合った。

 勝負だった。

 自分がレイの前に滑り込んで女の放つ風を受けとめることが出来るか、それとも、風が滑り込む自分の体を直撃するか、は。

 とりあえずは良かった。自分が、来れたから。間に合ったから。

 けれど、自分には、力がない。多分、この『魔』を倒すだけの力がない。

 経験が、ない。

 そんなとこは分かり切っていたはずだ。

 自分だけではこの『魔』は倒せないのだということは。

 なのになぜこんなことになってしまっているのだろう。

 襲ってくる風を防ぐ『結界』を支えるのですらもう厳しい。額から汗は次々に流れ落ちてくるし、息はあがる。眩暈までしそうだ。

 この後どうすればいいのか、戦略を考えださなければならないが、そんなところまで頭を回す余裕はなかった。

 もとから現状の打開を図る状況判断は苦手なのである。学校の授業でも苦労している。なのに。

「…………」

 と、その時、風が止んだ。

 『魔』が、風を放つのをやめたのだ。

 彼女は差し出していた両腕をおろすと、じっとこちらの様子をうかがっていた。

 唇がかすかに動き、何かを呟いているようだが、サーナには聞こえない。

 どうやら、『精霊使い』であるサーナの存在を認め、脅威とみなし、サーナとレイ、どちらに目標を絞るか考えているらしい。

 唇以外動かず、彼女はサーナたちを見据えたまま、佇む。

「……う……」

「レイ!?」

 名を口にし振り返ると、レイが目をさましていた。必死になって体を地面から起こそうとしている。

「ちょっとっ。起きて平気なの!?」

 顔だけ彼に向けながら怒鳴り付ける。気を失っていたのだ。まだ頭がふらつくはずなのに。

「…………」

 レイは、何もいわず、ただサーナの顔を見上げた。そうしながら、立ち上がる。

 相変わらず、なのか?

 サーナは思う。

 相変わらず、彼は喋らないのか? いや、それとも、さっき自分がいったことをまだ怒っていて、だから……なのか?

「……君、無理してないでしょうね? 本当に大丈夫なの? 本当は大丈夫じゃないの? その辺ちゃんといいなさいよっ。ホントに頭にくるったらっ。そういうところ、絶対になおさないとっ、誰も君を助けたりなんかしないんだからっ」

 誰も、助けたりなんかしない……?

「――まあいいわ。それより、大丈夫なのね。それなら走るわよ」

 走る――そう。逃げなければ。応援が来るまで、時間を稼がなければ。

「何やってるのよ、死にたいの!? 早くしなさいよっ」

 踵を返し彼を追い越しても、動きだす気配のないレイの手首をつかんだ。

 なんて細い手首!

「逃げないと、死んじゃうのよ!」

 そうだ。死んでしまう。こんな細い体、『魔』に喰われずとも、後数回攻撃を受けたら粉々に砕け散ってしまう。

 引っ張った。走れないというのなら引きずっていこうと。少しでも、『魔』との距離を稼がないといけないから。死にたくなど、ないから。

 なのに。

「――――」

 レイは、動かない。両足をしっかり地につけたまま、強く引くサーナの手を振りほどいてしまう。

「! レイ!?」

「――逃げて――」

「!?」

 なんて?

 なんて、いった?

 サーナは言葉を失った。それは、彼が言葉を発したからではない。そんなことでは決してなく――だから、耳を疑う。

「ちょっとっ、……なんなのよ、それ? 私の聞き間違い? 今私、君が私に向かって『逃げて』っていったように聞こえたけど、」

 嘘でしょ?

 そう、サーナが口にするより早く、彼は再び言葉を紡ぎだす。

「逃げて――早く」

 なぜ!?

「ばっ……馬鹿にしないでよっ。君、一人であの『魔』倒せると思ってるの!? 今の今まで『魔』の攻撃受けて気絶していた人が!? 君、私が来なかったら絶対に死んでたのよ!? なのに、何なのよっ、それっ!」

 分からない。理解できない。彼が何をいいたいのか。

 いいたいことがあったらはっきりいえばいい。遠回しに表現する事無く、ずばり口にしてしまえば。自分はそれを受けとめる覚悟がある。

 覚悟があるのに――!

「何なのよっ! 分かんないよ、君のこと!ああ、もう! こんなことやっている場合じゃないのにっ! こんなことっ、後でもいいじゃないのっ!」

 死んでしまう。このままだと、死んでしまう。『魔』から逃げなければ死んでしまう。

 死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。

 涙まで出てくる――!

 その時だ。とうとう『魔』が動いたのだ。

 彼女は一歩を踏み出すと、やはり両手の平を差し向けてくる。

 そこに集約する空気。

 『魔』が定めた狙いは――。

「レイっ!」

 彼の向こう側に回り込む。

 咄嗟に再び『結界』。

 駄目だ。

 先程と強度が全然違う。

 こんなもの、ほっといてもすぐに破られてしまう!

「わが名はサーナ。我に従う『光の精霊』よ、わが声を聞け。――『結界』!」

 名を唱え、『結界』を張りなおす。強度は増したが、所詮これも一時的なものだ。

 これがどれほど保つかは高が知れてる。

 だから、駄目だ。

「――レイ。早く逃げて。早く逃げて、王宮に行って。リル=ウォークに『魔』がいるって……お願いだから、早く……!」

 それしかない。自分もレイも生き延びる方法。どれだけ自分だけで保つかは知らないけれど、自分が『魔』を引きつけている間に応援が呼べれば、まだ間に合うはずだ。

 それが、サーナの限界だった。サーナは自分の命をレイに預けることにしたのだ。賭けに、出たのだ。

「!? レイ……!?」

 しかしそこにいるのは、そんなサーナの要望を拒否するレイ。

 首を捻り、視線を向ける自分の背後。

 そこにある、レイの両眼。

 それは真っすぐに自分をとらえ、そして、静かに、だが、はっきりと、首を横に振っている。

 自分の、最後の――。

 駄目だ。

 もう駄目だ。

 もう、耐えられない。保ち堪えられない。

 もう、自分の力では、この『魔』の風を、支えきれない。

 もう……。

 ぱりん、と音がしたような気がした。

 目の前にあった見えない盾が、脆く砕け散っていくのが分かった。

 風が来る。

 塊となって、自分の体に襲いかかってくる。ぶつかってくる。

 駄目だ。

 瞬間、両目をかたく閉じた。両腕を交差させ、顔を守ろうとした。

 反射的に衝撃を少しでも和らげようとして。

 そしてその時を、待つ。

「――――」

 ――待つ。

 が。

「…………」

 何も、ない。

 だから、ゆっくりと目を開けていった。

 何があったのかを目視しようとして。

 ちゃんと確認しようとして。

 そんな開かれた視界に、影。

「!」

 レイ。

 目の前に、彼の姿が。

 直後、それが倒れこんできた。咄嗟に膝を折り、腕を彼の背中に回し、体を支える。

 手の平に、生暖かい感触。

 血。

「レイ!?」

 耳元で名前を叫ぶと彼はゆっくり起き上がった。呼吸はあがっている。体中が震えている。当たり前だ。それほどの出血をしているのだから。

 なのに、ぶつかった視線の先で彼は、いうのだ。

「――ごめん」

「!」

 何を謝る!?

 自分に向かって倒れこんだことか?

 こんなことに巻き込んだことか?

 自分を殴ったことか?

 それらが一体どうだというのだろう。なんとちっぽけなわだかまりではないか。

 レイが自らの身を盾にしてまで自分を守ったことに比べれば、小さな小さなことではないのか……!

「――君、なんで……」

 再び、衝撃。

 『魔』の放つ風の渦が彼の背中に直撃した。 ただでさえ出血しているところに追い打ちをかけるように。

 サーナの腕の中からレイの体が滑り出た。深紅の血を背負った体が、白い地面向かって崩れ落ちていく。

「レイ!?」

 支える。抱きかかえる。

 嫌だ。

 こんな所で横たわる彼を見ることは。

 嫌だ。絶対に嫌だ……!

「レイ、レイっ!」

 必死になって抱いた。持ち上げた。

 彼の体。どんな形であれ地に落とすことは嫌だった。だから。

「レイぃっ! なんでよ、なんでなのよっ。私、あなたに酷いこといったのに、あなたにつらく当たったのにっ。どうして私のこと守るの!? どうしてそこまで私のこと守ろうとするのよぉっ! ねえっ。起きてよっ、起きてってばぁっ」

 彼の体に力がこもる。サーナの肩をつかみ、頭を持ち上げた。

 まだ、大丈夫。まだ、大丈夫。

 今なら、彼は大丈夫。だから、やはり自分がどうにかしなければならない。彼は自分の身を盾にして守ってくれたのだ。だから、今度は自分が守らなければ。もう一度、もう一度、

 『結界』を。

「――君は、逃げて」

 その時、耳元に荒れた吐息と、囁かれる言葉。

 体が、凍る。

「な……なんで……? どうしてよ……。だって、だって、私……」

 どうして自分に向かってそんなことがいえる? こんな状況になってまでも、そんなことが口に出来る?

 この自分に。レイを痛め付けたこの自分に向かって。

 そうだ。自分はつらく当たった。彼に酷いことばかりをいった。わざとだ。彼のことが気に入らなかった、ただそれだけの理由のために。彼を深く、深く傷つけてやろうと、そう考えていたはずだ、自分は。

 そう。自分は……そう、なのに!

 彼の心を傷つけたのに――!

「……確かに、君は僕を傷つけた……。痛かったよ、すごく。けど、けどね……。僕は君のことが嫌いじゃない……嫌いじゃないんだ。羨ましいんだ。君はいつも真直ぐで……嘘が、ないから」

 嘘? 嘘が、ない?

 違う。

 違う。

 そうじゃない。そうじゃないのに……!

 そう心の中でサーナは叫んだ。が、口から言葉は紡がれない。何を言葉にしていいのか分からないのだ。彼に何をいっていいのか分からないのだ。

 そう。自分はわざと彼を傷つけた。大切なものを壊した。それを知っているから。

 彼がどれほど傷ついたか、分かっているから。

 なのに、なのに彼はサーナに囁く。

「……ごめん。巻き込んで……。あの人の狙いは僕だから、僕だけだから……。だから、逃げて」

 僕、だけ?

 レイ、だけ?

 どういうこと?

 だから逃げろって……何?

 なんなの?

「……なに……よ。知ってるですって? あの『魔』と、知り合いだとでも、いうの……? そうやって、私をこの場から離れさせようってことなの……? よしてよ、そんなへたな嘘――!」

 『魔』と知り合いなど、聞いたこともない。そんなことがあるはずがない。

 いくら彼が闇夜の魔物と呼ばれたからって、そんなこと……。

 目を向けた。

 いつも日陰に隠れていた、どこか薄汚れた橙色の顔。絶対に誰にも和らげない、橙色の顔。

 それが、いやに優しく、自分を見ている。

 そして――、

「……あれは、僕の父さんなんだ……」

 ほほえんだ。

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