3-1
四年前――三大陸世界。
『土の大陸』の城壁に囲まれた都市、リル=ウォークにある政務一切を執り行う王宮内には、学校という機関があった。
世界から集まってくる、未来の王宮勤めの者達。文官、武官、魔術師、『浄化者』、『精霊使い』、それらを育てるところが、学校だった。
全寮制で、全額支給。
入学資格は五歳から与えられ、上限はない。
文官、武官、魔術師の進路を望む者は試験で、『浄化者』『精霊使い』の進路を望む者はその力を予め持っていることが条件でやはり試験で、選ばれていた。しかし、『浄化者』、『精霊使い』の場合、推薦の力が強く、また、推薦がなくても将来王宮のために力を尽くして働くと思われた者は、力さえ備えていればほとんど入学が可能であった。
そのため、『浄化者』、『精霊使い』の進路には身寄りのない孤児が多くいた。
身寄りがないということは特に守るべき物がないということで、ならば学校を卒業しても行くあてがなく、王宮に留まる可能性が高いという理由のために、また、孤児を預かっている孤児院としても、自分たちの負担を減らすには、金がかかる訳でもない学校に子供を預けるのが手っ取りばやい方法であるからという理由のためだった。
サーナも、孤児院から学校にきた子供のうちの一人だった。
彼女には幼い頃から『精霊使い』の力が見られていたため、五歳になると同時に学校に入り、その後、彼女は学校で『浄化』の力も開花させた。
学校は『浄化者』、『精霊使い』を育てているといっても、『精霊』を操れる力、『浄化』の力があれば、その者は必然的に『精霊使い』、『浄化者』と呼ばれることになる。学校では、すでにそう呼ばれるべき者達の能力をもっと引き出し、実戦に向かせようとしていた。
そんな学校でも『精霊使い』、『浄化者』の両の力を有する者は少なく、そういう意味でもサーナは優秀といえた。
万年夏の、リル=ウォーク。
王宮の半分以上を占める学校の敷地内、そこの『精霊使い』、『浄化者』進路の年少級に割り当てられた緑溢れる庭の一角に、彼女は学友たちといた。
『浄化者』、『精霊使い』の進路の年少級には百人近くの研修生がいたが、この庭は百人がいても窮屈になることはない程の広さがあった。庭はただ広いだけではなく、所々に木が植わり、季節的に実もついたりしていた。
今は昼食後のほんの一時の休憩時間。サーナと同年代の女の学友たちは庭の芝生の上に腰をおろし、お喋りをしていた。
空では太陽が相変わらず燦々と降り注ぎ、昨日雨が降っていたため、陽が空気中に漂う水蒸気に反射して、辺りはきらきらと煌めいていた。
彼女たちの会話というのは、いつも他愛のないことだった。時には、授業内容になったり、自分たちの将来の話になったりすることもあったが、ほとんどがどうでもいいような話であった。
サーナはそのような話が嫌いではなかった。どこの誰が誰のことを好きだとか、嫌いだとか、あの先生の家庭が危ないだとか、あの文官がいじわるだとか、今度王宮に誰がいらっしゃるとか、その方がなかなかの男前だとか。
ここにいる五人は、いつもサーナと一緒にいるほとんど年の変わらない女友達たちだった。
学校ではまず研修生たちを進路という形で分け、入学して何年経ったか、持っている能力はどれぐらいかで、次に級という形で縦に分けていた。
サーナが今いる年少級は入学してすぐから十年が目安だった。だから、どれほどに年を取っていても入学してすぐは誰もが年少級に入れられ、現にそういう人たちは何人もいた。
そのため、同じ進路、同じ級で同じ年代の人間など数えるほどしかいず、ほとんどが顔見知りであった。
そういう意味でもこの友達たちは貴重だった。
この日も彼女たちは少しの休憩時間を無駄にするなといわんばかりに話し続け、話を弾ませていた。ことあるごとに笑い声を上げ、ふざけあった。
そんなサーナたちの所に、今日は一人の少年が割り込んできた。
彼はどうやらこの庭を通り過ぎようとしていただけのようだったが、少女たちの輪の中に懇意にしているサーナを見付け、足を止めたみたいだった。
声をかけてくる。
「よっ、サーナ。また今日も元気だねぇ」
それはお前にいいたいよ、とサーナにいいたくさせる彼の名は、コウイ・チェイル。
小柄な彼は、学校内でもっぱらの有名人だった。
つい数ヵ月前に死んだ両親は二人とも王宮の上級文官で、本人はそんなコネに頼る事無く学校に入ることの出来た優秀な『精霊使い』で、『浄化』の力も持ち、その上瞬間移動能力も兼ね備え、そのため、現『司』であるフィル・ユイカが次代の『司』にしようと目論んでいるという噂の、八歳の、少年。
優秀といわれるサーナの遥か上を行く、優等生。
下手をすれば皆から嫌われる立場にいる彼は、しかし、その明るく、恨みを買わない性格のため、逆に誰からも好かれる人になっていた。
「あら、コウイ。あんたの方こそ元気ね。ま、今まで元気のないあんたを見た覚えはないけれど」
両親が亡くなったと知ったときはさすがに大泣きし、落ち込んだという話だったが、その噂を補って余りあるコウイの明るさだった。
「馬鹿にするなよぉ。俺だって元気のない時はあるんだ」
「へぇ。いつ?」
「最後に食べようとしていた肉を地面に落としちゃった時とか、自分が採ろうと思っていたニイの実を鳥に先取りされちゃった時とか」
「いいわねぇ。幸せで」
呆れ果てた表情でサーナはいい、学友たちと笑った。
サーナはコウイのことを幸せ者だと思っていた。両親をなくしはしたが、彼の備えている能力、社会性を考えたら、それでもかなりの幸せ者だ、と。
サーナは自分のことも幸せ者だと思っていた。確かに、自分は孤児だ。両親の顔を知りはしない。家族というものを知りはしない。だが、自分には『精霊使い』の力があり、『浄化』の力があり、学校という場所があった。だから幸せ者なのだ、と。
「ところでさ、サーナ。お前新しく入った奴のこと、知っているか?」
突然、コウイがいう。その顔は情報を提供できるということでどこか嬉しそうだった。
わざわざ自分を見付け足を止めたのは、これをいいたかったからなのだろう。
「知らない。いつ入ったの?」
「ついこの間。四日前ぐらいかな。まだ授業には出てない。男子の宿舎にはいるけど」
「ふうん。その人が、どうかしたの?」
「これがさあ、変わった奴なんだよなぁ。偵察部の『精霊使い』が見付けて連れてきたらしいんだけどさ。話によると不幸を絵に描いたような奴でさ」
「不幸?」
「そ。生まれてから物心つく頃ぐらいまでは両親と一緒にいたんだけど、その後なんかあって、ある家に預けられることになって、その家でこき使われていらしい。それでさ、そいつを連れてきた『精霊使い』がどうしてそいつと出逢ったかって、その家が『魔』に襲われたんだけど、家の人間が逃げるためにそいつを置き去りにして囮にして、もう少しで喰われる所、『精霊使い』が助けに入ろうとしたら、とっさにそいつが『浄化』していた、とかで。その時、『浄化』力が開花したんだって」
「……不幸?」
一通りコウイの話を聞いたところでサーナは再びその単語を口にした。
確かに、話を聞くかぎり彼はかわいそうな人だ。理由は分からないが両親と離れなければならない状態にあり、預けられた家では奴隷のような扱いしか受けず、結局は見捨てられ、そのために『浄化』の力を開花させるなど。
『魔』に襲われ極限状態に陥った人間が『浄化』の力に目覚めることは珍しいことではない。だが、そうして目覚めた人間には、その後『魔』に出会い『浄化』をするたびにその時の情景が思い出されるものなのである。不幸の絶頂の最中に『浄化』の力に目覚めたのなら、今後『浄化』をするたびにその時のことが思い出されることになるのだろう。いつまでも、繰り返し、その時の苦しみを味わうことになり得ない。
しかし、それが取り立てて不幸だろうか。サーナはそう思っていた。その人と同じ状況にいる人間は、ここにもいる。その人だけが特別不幸だとは思えない。
「それとさ、奴がその預けられていた家の主人の慰みものになっていたという話もあってさ」
「……慰みもの?」
再びコウイの言葉を復唱したところで、コウイが「あ」と声を出した。視線がサーナの頭上を越えていっている。
サーナも視線の先を追った。
少し離れた木々の影から、少年たちの声。
まず現われるのは、痩せ細った少年一人。サーナの見覚えのない顔だった。
汚れの染み付いた肌にざんばらな漆黒の髪、それと、長い前髪に隠れてはいるが、時折見える黒目がちの目。
そんな少年の後からは、三人の少年。彼らのことは知っていた。今年の初めに入ってきたばかりの、五歳と六歳の『精霊使い』だ。
彼らが『風』や『水』や『炎』の『精霊』を使って先に出てきた少年を追い立てていた。
先に出てきた少年は、それらをかわそうとするが、叶わず、足を絡ませて転んでしまう。途端、追い立てていた少年たちからは笑い声、罵り。
「あれだよ。今いってた奴。レイだよ」
コウイがいった。サーナが彼の顔を見上げると、コウイは声を張り上げている。
「おい! やめろよ! 『精霊』をそんな風に使ったら、『精霊』がいなくなるぞ!」
少し離れた少年たちからは、「やべっ。先生の御贔屓だ」の声。「だからなんだっていうんだっ」とコウイも応戦するが、向こうは逃げ足が早かった。さっさと視界から消えてしまう。
追い立てられていた少年、レイは、その場でゆっくりと立ち上がっていた。
サーナは彼のことを興味深くじっと見つめる。
「なあ、レイ。大丈夫か?」
コウイが声をかける。レイは、反応を示さない。
サーナは彼の全身に目を走らせ、そして、膝に目を止めた。目を丸くする。
「あら? 膝、擦り剥いてるじゃない。血、出てるわよ。手当てしたほうがいいわ。ね、レイ?」
サーナとしては、出来るかぎり優しく声をかけたつもりだった。恐がらせないように、と。なのに、
「…………」
彼はそれにも反応しない。少し目を自分たちの方に向けただけで、無言のまま去っていってしまうのだ。
サーナはきょとんとし、コウイを見た。コウイが息をついている。
「な。変な奴だろ。反応がないんだ」
「喋れないの?」
「ううん。喋れるっていう話だけど……。来てからずっとああなんだ。誰が話し掛けてもほとんど反応を示さない。さっきみたいにいじめられても、声一つ上げない。逃げてはいるから嫌なんだろうけど、嫌とか痛いとかいわないんだよな。今みたいに助けても、礼の一つもないしさ。それと、これも噂なんだけど、あいつ、『精霊』と契約結べるのに、結ばないって」
「……どういうこと?」
「『精霊』の声が聞ける奴が、『精霊』があいつに話し掛けてるのを聞いたらしい。なのにあいつは『精霊』に応えないってさ」
「…………」
もう男子の中では完全に変人扱いだよ、とコウイは告げていた。
サーナの友達たちも、何か変な子、と囁きあっている。
サーナはコウイの言葉に、友達の批評に耳を傾けながら、レイの去っていった方をじっと見つめていた。