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月夜の兎  作者: 望月あさら
■ 2 ■
13/36

2-6

 その日の夜、深夜。

 玲司は寝ずに、起きていた。電気の消えた暗い自分の部屋で、厚手のパーカーを羽織り、静かに椅子に座っていた。

 廊下につながる扉は開かれている。その開かれた扉の脇では、公一が床の上に座っていた。彼もまたジャンパーを着、静かにいる。

 二人はそうして待っていた。身を覆う緊張のため、眠気に襲われることもなく、ただじっと、その時を待っていた。

 真恵が動きだす時、を。

 公一は、朝の騒ぎを少し離れたところから一人見ていた。考えがあってそうしたのではなく、起きるのが遅かったため、結果、そうなっていた。しかしその分、なぜあのような騒ぎが起こったのかということにひどく興味をひかれることになり、あの後、騒ぎを引き起こした玲司をしつこく問い詰めたのだった。

 玲司は最初、公一に全てを話すのをためらった。公一だからためらったわけではなく、他の人間に話すという頭がなかったためだった。

 公一の方も玲司がすんなりと話すとは思っていなかったようで、他の人間だったら諦めてしまうところ、決して諦める事無く、しつこく、しつこく問いただしたのだ。

 そうした経緯のあと、学校から帰宅するとすぐに、玲司は公一に彼の部屋で全てを話した。

 昨日の夜、深夜に真恵が一人裸足のまま家屋敷から出ていくところに出くわしたということ。名前を呼んだが全く反応がなかったということ。振り返った顔に生気が感じられなかったということ。後を追ったが、空気の壁が行く手を阻んだということ。真恵に触れたと思った瞬間、爆発が起こって気を失ってしまったということ。朝、瞳子に外で寝ているところ起こされ、真恵が部屋にいるのかどうか確かめて、いないようなら捜しに出ようとしていたということ。

「サーナの身に何かが起こったと思い込んでいたから、あんなに騒いで、珍しくおたついていたわけか」

 そこで公一は少し呆れた顔をして玲司の行動を納得してくれた。そうして、彼は腰掛けていたベッドの上にごろん、と横になった。

 玲司がどうしたものかとそんな公一を見ていたら、彼は天井を見たまま、口を開いた。

「で、結局レイはどう思ったわけだ? サーナは、正常か?」

 どうやら彼の第一目的であった、「朝の騒ぎの真相を突き止める」ことが済んでしまったために、公一はその裏に隠されているもっと重要な問題を見たらしかった。

 実際、玲司が公一に話したいのもこのことなのだ。

「正常なんかじゃない。絶対に、おかしい」

 いい切った。公一は首だけを動かし、椅子に座る玲司を見る。

「根拠は?」

 根拠は、あった。決定的な判断材料。それを、告げる。すると、あからさまに公一の表情は曇り、口調はかたくなるのだ。

「――『光の精霊』?」

 玲司が口にした言葉を彼は復唱した。玲司が首肯くと、公一は飛び起きた。身を乗り出し、勢いのある口調で問うてくる。

「本当に、『光の精霊』だって!? サーナを追うお前の行く手を阻んだ空気の壁が、『光の精霊』によるものだって!?」

「ああ。それと、僕の気を失わせた、あの爆発も」

「『光の精霊』?」

 もう一度、首肯く。

 公一が言葉をなくす。

 『光の精霊』――それは、真恵が現在契約を結んでいる唯一の、『精霊』。それが、玲司の行く手を阻んだ。玲司に傷を負わせた。

 『精霊』は、『魔』に対してではない限り、契約者の意志に添ってしか動かないはず。ならば、『光の精霊』の行動は、契約者である真恵の意志によるもの、と? 真恵が、玲司の行く手を阻み、彼に傷を負わせることを望んだ、と……そういうことに、なる。

「……んな、馬鹿な。サーナがレイの邪魔をするなんて……ありえないじゃん」

 公一が戸惑いながらも口にした。それは玲司の判断と同じものだった。真恵が自分を、自分でなくても仲間を傷つけるということは考えられなかった。裏にどのような事情があろうとも、正面きって、顔色一つ変えず邪魔をするなどということは、彼女の性格上、ありえなかった――彼女が、いつもの彼女であるならば。

 だが、実際に事は起こった。真恵は玲司の行く手を阻み、ごく軽いものであっても傷を負わせた。それは、いつもの、正常な真恵が引き起こしたものか? 考えにくい。彼女が正常じゃなかった、というほうが納得がいった。それならば、充分にありえた。

 真恵が朝、夜に裸足で足を汚してまで外に出たことを覚えていなかったことも、その結論を導く重要な要素になり得るだろう。

 そう、玲司は公一に告げた。公一も玲司の推論に否は唱えなかった。

 そして二人は、今夜、真恵の行動を監視し、動きがあるようだったら後を追っていくことにしたのだ。

 だから、今こうして二人、じっと時を待っているのである。

 その間、二人が言葉をかわすことはなかった。玲司は元から話すのが得意ではないし、へたに声でも出して真恵に気付かれ、計画が崩れるのを二人は恐れていた。

 真恵を異常にさせているその原因は、多分ここの所の真恵の衰弱にも関わっているのだろう、とも二人は考えていた。それならば、一刻の有余もない。一つの失敗が文字どおり命取りになりかねない。

 二人は待った。扉の向こう側、下の階に注意を向けて、耳を澄まして。

「…………」

 事が動いたのは、二人がそうして待ち始めてから一時間強経った頃だった。

 先に気付いたのは玲司だった。玲司は徐に椅子から腰を浮かすと、公一に目配せもせず、部屋を出ていった。気配を感じ取れなかった公一も、慎重になりながら、玲司の後を追った。

 真恵はやはり、パジャマ姿のまま、靴を履く事無く玄関を出ていった。玲司と公一は真恵が玄関を出たのを確認して、靴を履き、外に出た。

 夜空は曇り空だった。

 所々、星が見えていたが、大部分はグレーの雲に覆われていた。

 月も、見えない。

 そんな闇夜の中、真恵はゆっくりと歩いていった。

 獣道を抜け、探索コースを通る。そこも過ぎ、車一台も通っていない公道に出ると右に折れ、なお、行く。

 真恵の歩みに迷いはなかった。真っすぐ前だけを見据え、彼女は歩んでいた。玲司と公一は、十メートルほど後ろからそんな彼女の後を付けていた。後を付けていた、といっても、その様子は尾行、というものではなかった。彼女が振り返ったら目が合ってしまう、そのような追い方だった。

 真恵は街灯の下を行っていた。右に曲がるカーブに入り、一瞬玲司と公一の視界から消える。そして、玲司と公一がカーブを抜けた時、二人の前に彼女の姿は見当らなかった。

 けれども玲司も公一も決してあわてることはなかった。確かに真恵の姿は消えたが、見失ったわけではなかったから。二人には真恵がどこに向かっているか、その見当が付いていたのだ。その場所は、例の、場所。真恵が倒れていた、場所。

 二人は道の脇にある山の端に入っていく。土の斜面を上り、木々の中へ。ところが、そこで二人の足は一度止まった。二人して、思わずじっと前方を見据えてしまうのだ――何も見えなくても。

「暗い」

 公一が囁く。

 目の前が、真っ暗闇。これでは進むことが出来ない。玲司は『精霊』を呼ぶ。

「わが名はレイ。我に従う『光の精霊』よ、わが声を聞け。その力をもって、わが意に従え」

 ぽおぅ、と、差しだした玲司の右手の上に現われるのは光の玉。それを前方に放つと光が散り、視界が広がった。二メートル先まではなんとか見える。

「……レイ。大丈夫なんか? これ、ばれやしないか?」

 公一が再び囁く。それより先に足を動かし始めていた玲司は答える。

「大丈夫だろう。昨日も僕が大声で叫んでも真恵は振り返らなかったんだし、僕を襲ったのも『光の精霊』だったし」

 それは囁き声、では決してない。公一は釈然としない気持ちを抱えたまま、玲司に付いていった。

 何だかよく分からないが、大丈夫というのなら大丈夫なのだろう、と。気付かれて困ったのは、真恵が家屋敷を出るまでだったのかな、と。

 真実は、別に玲司は公一に声を出すな、とも何ともいっていなかったのに、公一がかってに声を出してはいけないと思い込んでいた、という所なのであったのだが。

 玲司はしかし、それに対しては何もいわない。いつもどおりの平静を装い、先を急ぐ。

 二人は木々の間を縫い、枯草を踏み付け、進んだ。周りの様子はよく分からなかった。二人の周囲を『光の精霊』が照らすだけで、後は暗闇だった。二人は、真恵の後ろ姿を求めるではなく、彼女が倒れていた現場に向かおうとしていた。

「…………」

 突然、玲司が足を止めた。それに気付かなかった公一が、思わずその背に鼻をぶつけてしまう。

「突然止まって、どうしたんだ?」

 玲司が見つめるのは、一点。

 呼吸を殺し、集中する。

 暗闇の、向こう側。

「――いた」

 そうとだけ告げると再び歩きだした。目標は、前方二十メートル先。

 近付く途中、玲司は再び『光の精霊』を呼んだ。自分たちの視野をもっと広げてもらう。すると、はっきりと肉眼でも見ることが出来たのだ。そこに佇む真恵の姿を。

「……サーナ……」

 呟くのは公一だった。

 二人は寄っていく。

 自分たちに背を向け、わずかにも動かない彼女に。パジャマ姿で裸足の彼女に。生気というものが感じられない彼女に。

 ゆっくりと、近付いた。何の反応もないことを確かめながら、距離を縮めていく。彼女の前方に回りこむ。

 彼女の立っているところは、やはり、彼女が倒れていた場所であった。

 大木の根元。

 そこに、立っている。

 そばに寄っていっても、彼女の両眼が二人をとらえることはなかった。本来なら、絶対に彼女の視界に入っているという位置まで歩んでも、彼女に変化は見られなかった。

 少し伏せ目がちの両眼からは光が失われ、体中からは力が失われ、……そんな状態で、彼女は、いる。

 ただ、立っている。

 立って……。

「…………」

「どういう、こと、なんだ? ……おい、サーナ? どうしちまったんだよ、何してるんだよ。おい、サーナ?」

 震える声で呼び続けるのは公一だった。じっとその場に立ち真恵を見据えたまま動かないでいる玲司の隣で、公一は必死になっていた。

 いつもと違う真恵。それに戸惑いを隠せないのだ。

「なあ、レイ。どういうことなんだよ。なんで真恵は動かないんだよ。あいつ、何やっているんだよ。なあ、レイ、レイっ。どうしてお前まで動かないんだよ。どうしちまったんだよ。なあっ、何なんだよっ」

 公一が、突っ掛かってくる。目を覚まさせようとするように腕を掴み、体を揺らしてくる。

 玲司はゆっくりと首を動かし、公一を見た。悲壮感さえ漂う、真剣な眼差し。玲司はそんな公一の目を見るだけで、何もいわない。「何だっていうんだよっ」

 掴んでいた腕を勢い良く放すと、公一は足を踏み出した。

 がさっと、枯葉が砕かれる。

「コウイ」

 咄嗟に腕をのばすが、公一が駆け出したために触れることが出来なかった。

 公一が真恵に向かっていく。そして、マリオネットのように佇む彼女の肩に手をかけようとするのだ。

「よせ!」

「!」

 弾ける、光。

 反射的に玲司の目蓋は閉じられていた。

 だんっと地響きがした。

 それで目を開ける。光は、ない。その代わりに、地に横たわっている公一が視界に入ってくる。

「コウイ!?」

 近付くと片膝をついた。彼の体を起こそうとするが、それよりも先に公一の両目はぱっちりと開かれる。彼は飛び上がるように上半身を起こすと、頭を両腕で抱え込む。

「いってー!」

「大丈夫か?」

「何だよ何だよ、あれーっ!?」

 『光の精霊』。真恵の意志によるものだ。 駆け寄る公一を邪魔者と判断し、拒否したのだ。真恵が、虚ろな、どこを見ているのか分からない目をしている彼女が、公一を拒否したのだ。

「『光の精霊』!? だったら……!」

 地に尻を付けたまま公一が唱えるのは自分の名。

「わが名はコウイ。我に従う『風の精霊』よ、わが声を――」

「やめろ、コウイ」

 強く玲司がそれを止めた。

「どうして!? 『光の精霊』が邪魔するなら、他の『精霊』で打ち砕けばいい」

「駄目だ」

「なんで!?」

 玲司は公一がしようとしていることを、止めた。

 静かに、諭すように、彼は公一に向かって言葉を重ねるのだ。

「あの『光の精霊』はサーナによるもの……サーナ、なんだ」

「サーナ……だったら?」

「無理に『光の精霊』の壁を崩したら、サーナに負担がかかる」

「あれがサーナの意志によるものだからか?」

「そうだ。彼女には今、体力がない。崩された壁の反動に耐えられるだけの体力が、ない」

「嘘だろ!? 確かにあいつは弱っていた。けれど、自分で呼んだ『精霊』の反動ぐらい、受けとめられるだろ!? そんぐらいの体力は残っていたはずだし、どれくらいまでなら自分が持ちこたえられるか、『精霊使い』なら本能的に分かるじゃないか!」

 公一がいった。

 玲司にも、彼がいいたいことは分かっていた。自分も、それは思ったことだから。

 けれど玲司は知ってしまったのだ。一人、動かず佇む真恵を見つめて、現状を、認識したのだ。

 どれほど真恵が難しい状態にいるかということを。

「彼女が正常な状態だったら……そうだったはず」

「正常じゃ、ないから?」

「それに、今の彼女はおそらく、僕たちが思っている以上に、弱っている」

「それは昼間より、ってことか?」

「そうだ」

「どうして!?」

「それは……今、彼女が自らの意志で『魔』に力を喰わせているからだよ」

「自らの意志!?」

「全ては、サーナの、意志なんだ」

 玲司はそこまで告げると立ち上がった。顔を上げ、真恵を見る。ゆっくりと歩み、彼女の目の前に立つ。見つめる。

 動かない、瞳。動かない、唇。

 呼吸も、鼓動も感じられない。

 なのに彼女はそこにいた。

 立っていた。

 一人、静かに立って――。

「サーナ」

 優しく名を呼んでみる。

 動かない。

「…………」

「レイ……?」

 玲司は口の中で小さく声を出した。辺りを照らしていた『光の精霊』が、いなくなる。

 それで周りはまた暗闇になるはずだった。しかし、そこは光っていた。

 真恵の足元。そこに淡い、濁った弱い光があった。それが、下から真恵を闇に浮かび上がらせる。真恵の顔に出来る深い影が、ますます真恵をこの世のものとかけ離す。

 玲司は真恵から目を逸らし、公一を振り返った。

 公一が口を開く。

「それが、『魔』か?」

「ああ」

「真恵の力を喰っている、『魔』か?」

「……ああ」

 沈黙が二人を覆った。

 二人は真恵の足元を見つめた。

 光の根源、小さな白うさぎのマスコット、を。

 その時、ふと光が消えた。

 一瞬闇がその場を支配するが、すぐに玲司が再び『光』を呼んだ。

 真恵はそんな光にも玲司と公一にもかまうことなく、静かに歩きだしていた。来たときと同じような足取りで、木々の奥に、暗闇の奥に消えていく。来た道を、帰っていく。

「……帰るのか?」

「ああ」

「『魔』は、もうこれ以上喰わないのか?」

「多分、この『魔』にはサーナの力を一度に喰い尽くすほどの許容がないんだ。……それだけの、力がないんだ」

「じゃあどうして、そんなよわっちい『魔』に真恵は力をくれてやっているんだよ? あいつ、どうしちまったんだよ、本当に」

 公一のいらただしげな声。それを背にして、玲司はその、白うさぎのマスコットに寄っていった。木の根元に置かれている――捨てられている、それ。もうかなり黒ずんですらいる。どれほどそこに放置されているのだろうという、それ。『魔』を宿してしまったもの。

 屈み込み、右手をかざす。そこで口にするのは、

「『浄化』」

 スパーク。光。

 『光の精霊』が、阻んだ。

 やはり、という思いにとらわれたまま、玲司はマスコットを見つめる。

「…………」

 と、離れたところで何かが枯葉の上に落ちたような音がした。

 咄嗟に振り返る。公一と共に駆け出す。

 先には、真恵がいた。彼女が地に横たわっていた。寄ると、その体を抱き起こす。

 かたく閉じられた両眼。衰弱を顕にする痩けた頬。一層失われた、力。

 玲司が、優しく彼女の頭を抱く。

「――明日、有喜さんを呼ぶ」

 告げる。視線は地に落としたまま。

「有喜さんを?」

「……あの人の力が、必要だ」

 なぜ召集の時、彼が一度自分を呼んでもいいといったのか、その真意が今分かった。

 「呼んでもいい」ではなかったのだ。

 「呼ばなければならない」だったのだ。

 今の自分たちの力だけではどうすることも出来ない、そのような事件だったのだ。

 そのような、試験だったのだ――。

 もう、時間がない。

 それを、玲司は思い知る。

 天を流れる雲が、どす黒い色に変わっていた。

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