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意味論  作者: 鈴木美脳
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空想的な意味の構築

 歴史的な宗教などを振り返ると、「来世のために徳を積む」といったモチーフが繰り返し現れる。人間という生き物は、例え虐待されて育った子供達であれ、歴史的な奴隷達や現代的で経済的な奴隷達であれ、努力して今日の生にしがみつくことに、単に今日を生きるという以上の「意味」を自ら構築する性質があると言える。この傾向は当然に、「生きること自体には幸せを感じられない」性質の者達において強いだろう。したがって、歴史的な宗教者のすべては恐らく虐待育ちだ。母親の温もりを知らずに育った乳児らが神を直観するのだ。


 大多数者にとっての幸福とは、少なくとも少子高齢化以前においては、進学・就職・恋愛・結婚(出産)だったと言っていいだろう。それは、動物としての人間の構造に適った、生存と繁殖を希求する合理的なシステムだ。しかし逆に言えば、子供を残せないと思ったら子を残す以外の意味を自らの人生に探さざるをえないし、恋愛の体験から疎外されていると思えば恋愛を体験する以外の意味を探さざるをえないし、お金が入ってこない立場を強いられれば非金銭的な価値を考えざるをえず、さらに進学が禁じられれば社会的な地位や個人的な尊厳を持たない立場について意味を模索させられる。このような根本的不安は、少子高齢化と環境格差・経済格差の深化する現代においては、ごく一部の虐待児童を超えて広がっていく。


 しかし、そのような通常の幸福から疎外された立場とは、そのような「常識的な価値観」によって殴られつづける一生でもある。そのような立場は、「なぜ学歴が高いほど偉いの?」、「なぜ収入が多いほど偉いの?」、「なぜ恋愛経験が豊富なほど偉いの?」、「なぜ家族を作り子を多く儲けるほど偉いの?」という相対化を動機づける。そして実際に、人間社会のそういった権威には論拠など存在しないし、否定的に論拠の不存在を論証することすらたやすい。それらに伴う社会的威厳とは、立場の強い者達が弱い者達をナラティブで殴りつづける、力関係の現れでしかないからだ。

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― 新着の感想 ―
 価値観を持たぬことによる幸せということでしょうか?  まあ、幸せというのは不幸の裏返しですしね。  取り敢えず他人の不幸を見て自身のそれを慰めるくらいしか凡人に思いつくことはなく、故に他人に対して攻…
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