『水の底から』第2話:静かな音
あの日から、風呂に入るのが怖くなった。
水が張られる浴槽の底――そこに、何かがいるような気がしてならない。
鏡に映る自分の顔も、どこか変わってきた気がする。
目の奥に、誰か“別の人間”が潜んでいるような。
「気のせいだよな」
そう言い聞かせながらシャワーを浴びていたその時。
――カポン。
風呂桶の音が、鳴った。
誰もいないはずの浴槽から、微かに水音がした。振り向くと、空っぽだった湯船に、ぽつんと水が張られている。
いや、さっき確かに抜いたはずだ。
手が勝手に震えていた。
ゆっくりとシャワーを止める。水音はしない。
「気のせいだって……」
そう言った直後だった。
浴槽の水面が、“吸い込まれるように”沈んだ。
音もなく、形もなく、まるで見えない何かがそこに潜っていったように。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
……気づくと、僕は床に倒れていた。
風呂場の床、濡れていて、冷たい。
天井の明かりが、どこか遠くに感じる。
「俺……今、何を……」
手を見ると、赤黒い水で濡れていた。
水じゃない。――血だ。
だけど、自分の体にケガはない。鏡を見ても、傷はなかった。なのに――
浴槽の中には、赤い水が、満たされていた。
まるで、誰かがそこに溶け込んだように。
その時、耳元で“声”がした。
> 「つぎは……あなた」
終幕。
背後を振り返ったが、誰もいなかった。
ただ、鏡の奥に映る“自分”の目だけが、知らない誰かのように笑っていた――。