第1話:濡れた足音
夜中の2時。風呂場の蛇口は確かに締まっていたはずだった。なのに、足元の床は濡れていて、じっとりと冷たい。
「……誰か、入った?」
いや、鍵は閉めた。玄関のチェーンも確認した。
そう、自分以外、この部屋には誰もいない――はずだった。
布巾で濡れた床を拭き取り、念のためもう一度蛇口を閉める。キイ……と音を立てるそれは、まるで誰かの声のように聞こえた。
眠れない夜。仕方なくソファに寝転がると、耳が水音を拾う。
――チャプ……チャプ……
「……風呂、溜めてないよな?」
音のする方に目を向ける。暗い廊下の先、風呂場のドアが、わずかに開いていた。
(閉めたはずだろ……?)
心臓の音が、聞こえる気がする。いや、それとも――
――ペタ……ペタ……
水のしずくを踏んだような音が、フローリングを伝って、こちらへと近づいてくる。
視界の端、暗闇の奥に“何か”が立っている。
裸足の足だけが、ぼんやりと見えた。水に濡れた、白い足。だが、上半身は影になって見えない。
その足は、一歩、また一歩と――
「やめろ……来るな」
呟いたその瞬間、“それ”はぬるりと音を立てて、床を這った。
まるで、床の隙間から“水そのもの”が這い出てきたかのように。
気がつけば、自分の足元が濡れていた。さっき拭いたはずの水が、また――
「……俺、いつから……濡れてた?」
額に汗が伝う。でも、それは汗じゃなかった。水だった。
見上げると、天井の染みが動いていた。
“目”が、こちらを見ていた。