5.雨宿りのお礼は『むぐらもち』
――二〇〇六年九月
音もなく降りしきる雨が地面を濡らしています。
薄暗い灰色に染められた空気が室内まで湿らせ
心まで重たくなりそう。心を風船みたいに膨らませ
飛ばせたらいいのでしょうが、テレビを眺めて過ごすだけ。
寝ても雨
起きても雨
いつになったら止んでくれるというのでしょう。
――『あれ?』
そんなとき我が家を訪ねてきたのが焦げ茶色、キジトラ模様の小柄な猫。
毛足が長く黒い花のように咲いた短い鍵尻尾は、猫のご機嫌に合わせて、
ピコピコ無邪気に揺れていました。雨宿りしたい様子で見上げています。
主人はひと目で”猫"のことを気に入り、玄関から居間に招くと
小さな声で「にゃあ」と鳴いた猫は、素直に入ってきました。
そして、おとなしく昼寝用の長座布団に横たわると
降り続く雨が止むのを待っていました。猫だというのに
"濡れ鼠"でしたから 雨の滴を舌で丁寧に拭き取っていました。
―――――
隣の四畳半の和室でフェレットたちを遊ばせる時間は
『現実』から『空想』へ私の思考が移ろう時間となり
決まって『村の学校の生徒たち』が頭の中に登場して
音楽好きな生徒たちが楽器を奏でて歌ったり
悪ガキ生徒たちが好き勝手にイタズラしたり
学校だけでなく村中で遊びまわっていました。
漫画かアニメのような『二次元の姿』で遊ぶ生徒もいれば
映画かドラマのように『三次元的な姿』を持つ生徒もいて
中には『名前で呼ばれる生徒』も現れるようになりました。
『慈友君』――『校長の孫である劉遼』
一組の寄宿舎生である二人は、授業が終わると村はずれに建つ
料理店へ入り、大喰らいの劉遼は校長のツケ払いで好きなだけ
中華料理を注文し、瞬く間に辺り一面、空の器を積み重ねます。
慈友君は退屈そうに玉ねぎのスープを口に運び、親友の食欲が
落ち着く頃合いを待っているのです。日が暮れるまでずっと…。
――フェレットたちをケージに戻すと『村の学校の生徒たち』も姿を消し
色濃く濡れた雑草からポトリと垂れる宵闇色の滴
ようやく訪れた"雨上がり"を沈黙して告げています。
幻世の光景から目を覚ますと、現実でも日が暮れて
気づいてみると、四日ほど長く降り続いていた雨が
月曜日の午後七時過ぎ、ようやく止んだみたいです。
雨が止んだと気づいた猫さんは
ふらりと立ち上がり、身を震わせると
物音も経てずに居間を出て行ったのでした。
小さなお客様が出て行った居間は、テレビの音だけ賑やかに騒がしく
それが却って寂寥感に似た静けさを伝えているようで落ち着きません。
フェレットのエサを食べないかと皿に入れていたのに
この四日間、何も食べようとせず、用足しにしか外に出ず
ひたすら沈黙して座布団に横たわり過ごしていましたので
猫さんもお腹を空かせたのだろうと思っていたのです。
――――それから、しばらくして
『ぺったん』
『ぺったん』…
前触れもなく玄関から何かを叩きつけるような物音が
『えっ? 何の音?』
引き戸を開ければ 玄関の様子は確認できても
本能が『開けたくない!』と拒んでいました。
『びたっ』
『びったん』
謎の物音が ますます強くなっていきます。
猫さんががいる――
きっと、猫さんが何かしているはず――
主人が 意を決して 引き戸を開けました――?!
『ころり』
青白く身動きしないモグラが居間に転がってきました。
どうやら心根の優しい猫さんは自分のお腹を満たすより先に
一刻も早く雨宿りした『お礼の品』を渡したかったようです。
お礼の品は――『むぐらもち』
お金なんて知るはずもない 純粋な猫のお礼は
うちの隣にある大家さんの畑から 獲り立ての土竜が
ぺったん、ぺったんと撞かれた、ある意味での『おもち』でした。
それからキジトラ長毛鍵尻尾の『びったん猫』は
自由に我が家を出入りするようになり、いつしか
あの将軍の名で呼ばれ、可愛く返事をしています。
その名は――
まだまだナイショということにしておきますね…。