1.突然の怒鳴り込み
――二〇〇五年――
夏の気配が次第に濃くなり、青く染まった風そよぐ午後。
そんな穏やかな日常だったはずなのに、
私は予期せぬ〈侵攻〉を受けることになるのです。
それは、鼓膜ではなく、思考の奥底に焼き付くような怒号でした。
古の戦場で鳴り響く“進軍太鼓”のように、私の静かな日常生活を踏み荒らしたのです。
あの怒号が聞こえた場所は、いまでもはっきり覚えています。
むつ市にある三部屋の借家。四畳半の押入れのある和室から居間へ行くため、
磨り硝子の引き戸を開け、通り抜けようとした瞬間のこと。
その瞬間、私は――息を呑むほどの怒号を浴びたのです。
それは、壁を突き破るような怒号でした。
音ではなく、圧力。言葉ではなく、衝突。
そのとき和室にいたフェレットたちは
ケージ内の寝床に潜り込んで眠っていました。
その午後の静けさが、かえって恐ろしく感じました。
まるで、彼らだけが世界の異変に気づいていないように…。
ただ、何かが始まった――そんな予感だけが、胸の奥に残っていました。
今では、あの訴えの内容を明確な形にして綴ることはできませんが
どうやら、身分の卑しい者の〈思考〉に自らの姿が宿っていることに、
将軍は激しく憤っていたようでした。貴族としての誇りが、
それを許さなかったのかもしれません…。
その後もしつこく続く文句の暴風雨。「とうとう私は異常をきたしたのか」
誰にも言えない事態に巻き込まれた現実だけが、強く私を苛んでいました。
私は沈黙を選びました。けれど、それは敗北ではなく、
戦場における”最後の防衛線”だったのです。
頭の中に聞こえてくる声に返事をすれば、戦がはじまる。
そんなこと、回避するのが当然の選択だと思います……。
あのときの将軍が、私の頭の中で勝手に形づくられた幻影か――
それとも、何かしらの“記憶の残響”だったのか――判然としません。
怒号を浴びせられる理由として考えられるのは――
怒鳴り込んできた将軍について、何も考えていなかったわけではありません。
むしろ、長らく私のどこかに存在していたのは事実です。
さまざまな媒体(歴史書、ドラマ、ゲームなど)に登場する将軍が、
気になって仕方がない――そんな存在であったことは、まぎれもない真実なのです。
だからといって、単なる異国のファンのもとへ、
あの将軍が文句を言う目的で訪ねてくるなんて……?
そんな“歴史の登場人物”なんて、想像できません!?
そんなこと真剣に訴えた日には、想像するまでもなく病室に入れられるでしょう。
ここで何かを口にすれば、すべてが崩れ去る気がしました。怖いに決まってます。
普通なら、あの怒号は一度きりの奇怪な出来事として忘れ去られるはずでした。
けれど、そうはなりませんでした。 あの声は、途切れ途切れながらも、
私の思考の奥底に居座り続けたのです。
将軍の声は、私の脳裏にドラマのように現れては消え――
そんな交錯が、二〇一六年の夏まで続いたのです。
その名を ここで明かすつもりはありません。
けれど、歴史を知る方なら『まさか』と驚くはず。
しかも、将軍は『錚々たる援軍』まで引き連れてきたらしく……。
私の日常は、あの日の声なき怒号を境に”見えない戦場”へと変わってしまったのです。