8
カロ達は森に入るなり、道に迷っていた。
「おかしいな。こっちで合ってるはずなんだけど……」
カロは酒場で貰った簡易地図を見ながら首を傾げた。
「でも、こんな方に道なんてないよ? やっぱり間違えたんじゃない?」
スフィアも簡易地図を覗き込んだり周りを見たりしながら言った。
「でも、南って書いてあるし…… フィル、何かわかる?」
カロもあまり自信がないのか、隣にいたフィルに問いかけた。
「私はこの百年間室内で生活していた。そんな私にどうしろと?」
「ひゃ……百年?」
さらっと言われたその年数にスフィアは困ったような反応を見せた。
「私は聖剣の鞘。当然百年前の戦争からいる」
フィルは見た目は少女だが、あくまで聖剣の鞘なのだ。つまり、フィルは百年前から存在していたのだった。
「そ……そっか。フィルちゃんは百年前からいるんだよね……」
スフィアは聞いてはいけないことを聞いたかのように顔を伏せた。
「それはわかってるけど、フィルって魔物の気配がわかるだろ? それで方角がわからないかなって」
「それならこっち」
フィルはあっさりとある方向を指した。それは今まで進んでいた方向とは真逆だった。
「ほら、カロが間違ってた」
スフィアは嬉しそうにそう指摘する。カロは不服そうな顔をしながらも、フィルの指差した方へ歩き出した。
「それにしても、フィルちゃんにはそんな能力があったんだね?」
「魔物の気配の感知能力はある。聖職者でもこれくらいはできる」
フィルは別に誇るわけでもなく、自慢するでもなく、当たり前のことのように言った。
「ところでフィル、この先にいるのは何匹?」
「わからない。沢山蠢いてるけど、正確な数は無理」
「大体は?」
「二百」
その想像を絶する数に思わずカロとスフィアは歩みを停めた。
「に……二百?」
カロは頬を引き攣らせながらおうむ返しに聞いた。
「そう、二百。ざっとだからわからないけど、それよりは多い」
「でも、村の人達は一匹だって……」
「そんなことは知らない。一カ所に固まっているけど、二百はいる」
フィルは二人の否定的な意見を一蹴する。それは覆らない事実らしい。
(二百だって? 有り得ない。こんな小さな森のどこにそんな数が…… いや、フィルが言っているんだから、間違いない。そんな数、僕一人じゃ無理だろうな……)
「フィル、いざという時は聖剣の力を借りるけど、いい?」
「……仕方がない。不本意だけど」
フィルは本当に不服そうに言った。だが、拒絶するつもりはないらしい。
「カロ、もしかして行くの?」
二百匹もいる相手には退くと思っていたのか、スフィアは脅えたように言った。
「スフィアは帰ってもいいよ。多分無事じゃ済まないから」
「……ううん、行くよ。カロばかりに迷惑かけられないもの」
スフィアは一瞬迷ってから、そう答えた。
「……そっか」
カロは困ったような嬉しいような複雑な表情で頷いた。スフィアを危険にさらしたくはないが、一人では心細いといったところだろうか。
「フィル」
「なに?」
フィルは小声のカロにならって、小声で返した。
「いざって時はスフィアをお願い」
「…………」
フィルは答えなかったが、聞いていると判断してか、カロは何も言わなかった。
後はただ沈黙だった。
大きな緊張を感じながら、三人は足音を殺して歩いていく。だが、カロはその間首を捻っていた。
(冷静に考えれば、魔物が二百もいて見逃すなんて思えないんだよね。それにこれだけ歩いたのに未だに魔物の鳴き声一つしない。どういうこと?)
疑問に思いながらも、カロ達は道なき道を進んでいく。
「カロ」
フィルが歩みを止め、緊張をはらんだ声で呼んだ。
「近い?」
カロは短く、伝わるように言う。
「近い。それにこっちに来る」
その瞬間、カロとスフィアは木の影に隠れた。スフィアは剣を抜くのも忘れない。カロはフィルを抱いているため、剣は抜けなかった。
(近いのになんで足音一つしないの? それに近くに二百匹もいればさすがに気配くらいわかるはずなのに……)
ここにきて、スフィアもカロと同じ疑問を持った。
「カロ、おかしくない?」
「うん、わかってる」
二人は緊張感で疲弊しながらも、周囲に気を配り続けた。しかし、二人とも気配すら感じられない。
(このままじゃ無駄に疲弊するだけだ)
「フィル、距離は?」
「視認出来る」
(よし、見えるなら一か八か……)
カロは覚悟を決め、フィルをおろし、剣を抜く。そして木の影から飛び出した。
ヒュッ――――!!
まるでそれを待ち構えていたかのように、カロに一筋の光る何かが襲い掛かる。
カロはぎりぎりの所でそれを受け止めた。
「あれ?」
「は?」
カロは攻撃相手を確認し、素っ頓狂な声を上げた。相手もカロと似たような心境なのか、呆気にとられている。
「カロ!」
そこでスフィアが慌てた様子で木の影から出てきた。それに続くようにフィルも出てくる。
「カロ、大丈夫?」
「うん、問題ないよ。それより……」
カロは言葉を濁しながら襲い掛かって来たものを見た。そのものはどう見ても人だった。
「あなたは……どちら様ですか?」
「俺よりもお前達こそ何だ? ここは魔物が出るから危ないって知らないのか?」
カロに襲い掛かったのは百八十センチほどの長身の短剣を構えた男だった。着ている服には袖はなく、腕は全て剥き出しになっている。その腕には何か不思議な紋様が刻まれていた。
「知ってます。だから私達は退治にきたんです」
「退治に? ガキ連れてか?」
男はフィルに馬鹿にしたような目線を向けた。
「ガキじゃない。私はせいけ―――モゴモゴ」
フィルが余計な事を口走りそうになったため、カロはフィルの口を塞いだ。
「ははは…… あの、とりあえず自己紹介しません?」
カロは愛想笑いでごまかそうと試みる。ごまかせはしなかっただろうが、男は別段気にした様子はなかった。
「俺はガジェル・パドリッシュ。賞金稼ぎだ。お前らは?」
「僕はカロ。彼女はスフィア。そしてこの子はフィル。見えないかもしれないけど、一応賞金稼ぎです」
カロは無理があるだろうとは思ったが、一応そういうことにしたので、そのまま通した。
「同業者? ……まぁいい。俺の邪魔をするな」
ガジェルは詮索する気は全くないようだ。
それは至極当たり前のことで、旅人は様々な理由で旅をしている。そんな事にいちいち首を突っ込んでいては身が持たないのである。
「そうはいきません。私達も狙っているんです。早い者勝ちのはずですよね?」
そこに首を突っ込んだのは意外な事にスフィアだった。
「確かにそうだ。だが、お前らが俺より先に魔物を倒すことなど有り得ない」
余程自分の腕に自信があるのか、ガジェルには負けるという想像はできないらしい。
「それはない」
間の悪いことにそこでフィルが挑発した。
「なんだと?」
「お前は今ここで負ける」
フィルは挑発をやめない。さすがに子供の言うこととはいえ、腹が立ってきたらしいく、ガジェルに殺気が漲っていく。
「フィル、どうしたんだ? それにスフィアもらしくないよ?」
戸惑うカロ。そんなカロを尻目にスフィアは仕舞い直していた剣を抜く。
ますますカロは首を捻った。
「カロ、忘れたの? 私達は魔物の気配を追ってきたんだよ?」
「……あっ!」
カロはスフィアが何を言いたいのかに気付き、剣を抜いた。
カロ達は魔物の気配を追ってここに来て、気配が留まっていた場所にガジェルがいた。そしてフィルが警戒を解いていない。それらを総合すれば答えは簡単だった。
「君は何者なんだ? 魔物なのか?」
「なるほど、妙に警戒されてると思ったらそういうことか。安心しろ、俺は魔物じゃない。俺は呪紋使いだ」
「呪紋……使い?」
カロは聞いたことがなかったのか、確かめるように呟く。
「呪紋…… なるほど、その手に刻まれている紋様は伊達じゃないのね」
フィルは何処か懐かしそうにガジェルの腕に刻まれている紋様を見ながら言った。
「ほう…… ガキのくせに博識だな。呪紋を知ってるのか」
ガジェルは興味深そうに目を細め、フィルを見る。先程までの嫌悪が嘘のようだ。
「フィルちゃん、呪紋って何?」
スフィアも何の事だかわからなかったのか、問いかける。
「呪紋はある一族に伝わっていた禁呪の一つで、魂を魔力に変えて魔法を使う呪術よ」
「あ、思い出した。確か呪紋は他の生き物から魂を奪うことも出来るはず。だからガジェルからは魔物の気配がするんだ」
フィルの説明でカロも思い出したようで、説明を受け継いだ。
ここで言う魂は霊体という意味ではない。命の源、命のエネルギーの塊といった意味である。
「……お前ら本当に何者だ? 見た目はガキのくせに博識な白いやつ。それに便乗して詳しく説明できるやつ。そして妙にきらびやかな服着ている明らかに旅慣れしてないやつ。明らかに普通の旅の一団じゃない」
「いや~…… あははは」
カロは笑うしかなかった。怪しいのは重々承知しているのだ。言い訳さえ思い浮かばないだろう。
「まぁいい。お前らに興味が湧いた。どうせ何も言う気はないんだろ? 悪いが同行させてもらう」
「来なくていい」
またもやフィルは一刀両断した。どうもフィルは個人的にガジェルが気に入らないらしい。
「私は聖剣の鞘。どう? 謎は解けたでしょ?」
フィルにとっては隠し事でさえなかったらしい。だが、フィルがそう名乗ったことにカロは驚きを隠せない。
「聖剣の鞘……だと? 聖剣…………なるほど、そういう事か。聖剣が盗まれたと騒いでいたが、お前達だったのか」
「カロは盗んでなんかない! カロは聖剣を抜いたの!」
スフィアの言葉に、ガジェルはにやりと笑った。先の言葉は完全に挑発のようなものだったようだ。
「なるほど、聖剣を抜いたのは男の方か。そしてそのガキは聖剣を納め、力を封印する入れ物ってことか」
「入れ物?」
その言葉はカロの顔色が変わった。
「訂正しろ。フィルはフィルだ」
(カロ?)
カロの声はスフィアが今まで聞いたことのないほどどすのきいた声だった。
「……入れ物というのは言葉のあやだ。悪かった」
ガジェルは全く心のこもっていない謝罪をした。
だが、本来ガジェルは謝らなくても問題はない。現にいつものガジェルならば謝らなかっただろう。それでも謝ったのは、ガジェルの長年の勘だった。
(あいつはやばい。何故かはわからないが、あれには逆らうべきじゃない)
ガジェルを含め、冒険者にとって、勘は時に自らの生死を別ける。ガジェルもその勘に頼って今まで生きてきたのだ。それは到底無視できるものではない。
「うん、わかってもらえればいいんだ」
カロはそれで満足したのか、嬉しそうに頷いた。そんなカロの様子に、フィルは露骨なため息をつく。
「ねえカロ、魔物探さないの?」
「あ……」
スフィアの指摘に、カロは本来の目的を思い出した。
「フィル、他に魔物の気配は?」
「無理。大きいのが近くにいすぎて、見つからない」
フィルはあてつけがましくガジェルを見ながら言った。
「そうか」
カロは困ったように腕を組む。たが、フィル以外に魔物の気配がわからない以上、どうしようもなかった。
「あっちだ」
突然ガジェルがある方角を指した。
「何が?」
カロは素で聞き返す。
「魔物だ」
「……あぁ」
少しして、それが自分達への助言であることにカロはやっと気付いた。
「ガジェルさん、なぜそのような助言を?」
しかし、それは先程まで敵対していたガジェルらしからぬ言葉だった。ゆえにスフィアは何か裏があるのではないかと訝しげに問う。
「同行させてもらうと言ったはずだ。悪いが、無理矢理にでもついていかせてもらう。が、同行する以上、最低限の役には立つ」
ガジェルは初めから許可を得るつもりはなかったらしい。しかし、それでも役に立とうとするところは律義と言えた。
「同行は別に構いません。ね、カロ?」
「はい。拒否したのはフィルだけですから」
スフィアもカロも初めから拒否するつもりはなかったらしい。
そうなると、自然にフィルに視線が集まる。
「……好きにすればいい」
不機嫌ではあったが、フィルは拒否しなかった。何を言っても無駄だと思ったのかもしれない。
「それでは改めまして。僕はカロ。そしてこの子が聖剣の鞘ことフィル」
「私がスフィア・ヴォルト」
「俺はガジェル・パドリッシュだ。しばらく同行する。よろしくな」
こうして、ガジェルの同行が決定した。
「どうなっても、知らないから……」
そんな中、フィルはそんな呟きを漏らしていた。