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カロとスフィアは予定通り商業区を巡り、宗教区に訪れた。
「ここは静かだね」
「宗教区だからね。商業区のようにはいかないよ」
しかし、宗教区もいつもにない賑わいを見せていた。
慎ましく飾られた神殿。いつもより多い参拝者。貧困層への食べ物の配布。宗教区の賑わいとしては類を見ないほどだった。
「ん?」
その宗教区でも一際静かなオルディス教神殿前。カロはそこで佇む一人の女性が目に留まった。女性は空を見上げ、微動だにしない。
(あれは確か……)
決してカロは女性に見覚えがあったわけではない。カロが気になったのは彼女が羽織るローブの留め具に刻まれた紋章だった。
「カロ? どうしたの?」
いつの間にか歩みを止めていたカロにスフィアは声をかけた。
「あ、いや…… なんでもないよ」
カロは慌てて否定した。だが、否定しつつもカロはちらっと女性を見る。その瞬間、カロはその女性と目が合った。
(げ……)
女性はカロを見ていた。真っすぐに、まったく感情を視線にのせる事なく。
「何か私に用か?」
「え? ええっと……」
当然特に用があったわけではない。だが、カロは何か話さなければならないような気がした。
「用ってほどのことではないけど、君、特務だよね?」
明らかに年上の女性ではあったが、カロはつい君と言ってしまった。それは、彼女の見た目や雰囲気が年下に見せたためだった。
「ほう……」
女性は意外そうに目を細めた。どうやらカロの無礼は気にしていないようだ。
「特務?」
スフィアは聞いたことのない言葉だったのか、首を捻った。そこですかさずカロが説明する。
「『特務』。それはオルディス教の武力実行部隊だよ。オルディスは秩序と法を司る神。その秩序と法を守るため、武力行使を許可された部隊があるんだよ。それが『オルディス最高権利保持特殊任務実行部隊』。通称『特務』だよ」
「よく知っている。その通り。私は特務だ。特務のミュラー・レッセンブルグ。君達は?」
「僕はカロ」
「私はスフィア・ヴォルトです」
それぞれ自己紹介を終えると、ミュラーはまた空を見上げた。
「ミュラーさん、何を見ているんですか?」
「何も見えていない……いや、何も見ていないのかもしれない」
そう言ってミュラーはまた黙ってしまった。
「何が見えていないんですか?」
スフィアは重ねて問う。しかし、ミュラーは何も答えない。
「どうしたのかな?」
「さぁ?」
スフィアもカロも反応がないミュラーの様子に首を捻る。
「君達は、こんな話を知っているか?」
突然ミュラーは口を開いた。
(今の沈黙、もしかして考えてた?)
スフィアはこれが先程の答えだと思い、続きを待った。
「かの『封印聖戦』より幾年、レオパルディ様によって生まれたこの国は安定し、娘が生まれ、世間には表面上の平和が訪れた」
「表面上?」
スフィアはそのわざわざ付けられた言葉に疑問を持ったが、ミュラーはその疑問に答えることなく話を続けた。
「しかしある日、娘が大きくなり、ある地方へ出向いたときのこと。その娘の乗った馬車が魔物の襲撃を受けた」
「え!?」
ミュラーはやはりスフィアの驚きも無視し、話を続けた。
「不意打ちのためか、はたまた平和にひたりきっていたのか、護衛していた兵達は魔物に殺されてしまう。娘もそこで息絶えるはずだった。だが、娘は死ななかった。あるものに助けられたからだ」
「スフィア、行こう」
そこで突然今まで黙っていたカロがスフィアの手を引き、その場を離れようとした。だが、スフィアは動かなかった。
「待って。私、この話を聞きたい」
そう言ったスフィアの目には確固たる意思が宿っていた。例えカロが離れても、スフィアは動かなかっただろう。
「……わかった」
カロは何かを諦めたようにスフィアの手を放した。そして、自らもミュラーの話を聞いた。
ミュラーは何故かちゃんと二人がやり取りしている間は黙っていた。そして二人が争いをやめると、続きを話し始める。
「だが、この話は世間に公表されることはなかった。何故なら助けたのが人間ではなく、魔物、しかも魔人と呼ばれる存在だったからだ」
「!」
その言葉に、スフィアは息をのんだ。
『魔人』
それはたった一人でも絶大な力を発揮する魔物だった。百年前の聖戦では魔物の軍を率いて人間の軍に対抗した、知力も持つ厄介な存在だった。
「娘は怯えた。結局娘にとってみれば危機を脱したわけではなかったのだから。だが、その魔人は娘に手を差し出した。『心配ない』と。娘はどうせ死ぬならばと開き直り、その魔人の手をとった。しかし、娘の予想に反し、魔人は娘に危害を加える事なく、むしろ道中のありとあらゆる危機から娘を助けた。そして娘は無事、王都に帰ってくることが出来た」
その話は、この世界では絶対に誰も認めないだろう話だった。しかし、スフィアはその話を馬鹿にすることなく、黙って聞き続ける。
「娘は大いに感謝した。だが、王都の人間の反応は違った。王都の兵達は魔人を見るなり攻撃したのだ。当然だ。知らぬ者からすれば魔人は脅威でしかない。娘はやめるように叫ぶが、誰も聞く耳は持たず、魔人は見る見る傷ついていった。だが、魔人は反撃せず、娘に『さらばだ』と一言を残し、森へと消えた」
ミュラーはそこで一呼吸間を置いた。まるでその話の余韻に浸るように。
「この話は知る者の間では眉唾ものと言われている。しかし、もしこれが本当なら? 我々は一体何を見ているのだろうな……」
そして、ミュラーは口を閉じた。語ることは語ったと言わんばかりに、黙って空を見上げている。カロもスフィアも今の話に何も言えなくなってしまった。
馬鹿馬鹿しい話だと笑い飛ばすのは簡単だった。現にほとんどの人がそうするであろう。魔人が何か企んでいただの、魔物側が流したデマだのいろいろな理由を付けるに違いないからだ。
「あの…… その魔人について、何かわかります?」
だからスフィアは聞いた。知らないよりは知っていた方がいいと思ったからだ。
「……六枚の純白の翼を持ち、名を『赦し(ゆるし)』と名乗ったそうだ」
「『赦し』?」
その聞き慣れない名前にスフィアは首を捻った。しかし、ミュラーは何も言わず、空を見上げている。
「スフィア、もう気が済んだだろう? 次へ行こうよ」
「……うん、そうだね。ミュラーさん、ありがとうございました」
スフィアはカロらしくない行動に疑問を持ったが、それがどうしてなのかわからず、聞くことも出来ず、結局その言葉に従う。
「あぁ」
そして歩き出す前にスフィアはミュラーに礼を言うと、歩き出していたカロに続いた。
「カロ、怒ってる?」
歩き出してすぐ、スフィアは申し訳なさそうに言った。
「うん、怒ってる。でもそれはスフィアにじゃない。さっきの話を聞いて、少し気分が悪いだけ」
カロの言葉はどこか刺々しい。まるで思い出したくもない事を思い出したかのようだ。
「カロはさっきの話、信じてないの? 仮にもオルディス教の神官様の言葉だよ?」
「うん、僕は信じない。魔物が人を助けるなんてありえない。魔物は邪悪で、滅ぼさなければならないんだ」
カロはそう言いながら険しい顔をしていた。まるで魔物に怨みがあるように。
(カロ、なんだか怖い……)
スフィアはカロになんて声をかければいいのかわからず、結局黙るしかなかった。
二人はしばらく、その重苦しい空気を抱えながら歩いていた。