34.調印式
「ここにオルレアンとラヴァルの友好条約を締結する」
それぞれの国璽と王のサインが入った調印書を掲げ、皇帝陛下が高らかに宣言した。
その場に参列していた国の重鎮、貴族たちが歓声を上げる。
今日はラヴァルとの調印式。国を挙げての一大イベントだ。
式は厳かに進められているが、この後の交流パーティーは豪奢なものらしい。
壇上のヘンリー殿下と皇帝陛下の握手を私は遠くから見守りつつ、拍手を送った。
国賓やオルレアンの重鎮たちが集まる会場の警備は厳重で、その警備を取り仕切る団長のエクトルさんはいつでも指示できるよう、騎士団と会場の後ろにいた。いつものえんじ色の騎士服に身を包み、私の隣に立っている。
オルレアンの浄化は完了し、穢れた川も元通りになった。
エクトルさんもその身に瘴気を溜める必要も無くなり、すっかり体の染みが取り除かれた。
エクトルさんが瘴気に命を脅かされることも、もうない。
「疲れていないか?」
私の視線に気づいたエクトルさんが優しく微笑んだ。
エクトルさんは私が気まずくならないように、変わらず優しく接してくれる。
そんな彼の優しさに私は甘えてしまっている。
「この後の交流パーティーでは、私も正装して君とずっと一緒にいるから」
そっと私の手を取り、エクトルさんが微笑む。
「ありがとうございます」
私も彼に笑顔で返した。
私は目線で会場を見渡す。無意識にオーウェンを探している自分がいた。
「リーナ?」
エクトルさんの呼びかけにハッとした。
「やはり疲れているのではないか?」
「……大丈夫ですよ。ドレスが着慣れないせいかも」
私は小声で、はははと笑ってみせた。
「そのドレス、よく似合っている。綺麗だよ」
エクトルさんは目を細めると、私の耳元で囁いた。
私の顔は赤くなったけど、この思いが恋と呼べるものではないと気づいている。
結局、私はオーウェンの姿を見つけることはできずに式典は終わった。
「リーナ、お疲れさま〜」
控室に戻ると、アパタイトが出迎えてくれた。
式典には参加しなかったけど、アパタイトも次のパーティーにはエクトルさんに伴って参加する。
アパタイトが国際的な場に出るのは初めてらしい。
オルレアンとしては聖獣の加護を知らしめることで、ラヴァルへの牽制をしたいらしい。
ラヴァルの中に魔物をけしかけている人がいるのだから当然だろう。
「エクトル、すっかり元気になったね? ありがとう、リーナ!」
ソファーに腰掛け、考え込む私にアパタイトが顔を近付けてきた。
「アパタイトの聖魔法のおかげだよ」
アパタイトの顎あたりを撫でれば、彼は気持ちよさそうに目を細めた。
「でも、リーナの髪に瘴気が溜まっているね」
アパタイトの指摘にどきりとする。やはり彼にはわかってしまうらしい。
「うん……毛先はすっかり真っ黒だよ。気持ち悪いでしょ?」
「そんなことないよ‼」
まとめてあった毛先を少し出し、見せながら言うと、アパタイトが力いっぱい否定してくれた。
「ねえリーナ、エクトルだって皆のために身体に瘴気を受けてきたんだよ。リーナはエクトルのこと、気持ち悪いって思ったの?」
「そんなわけない‼」
「でしょ?」
私がすぐさま否定をすれば、アパタイトはにっこりと笑って言った。
「リーナが元気なかったのは、そのせい?」
「ううん……」
いつの間にかそんなことよりも頭を占めていることがあった。
「ねえ、アパタイトは私がエクトルさんのお嫁さんだと嬉しい?」
「うん。もちろん」
アパタイトのモフモフに顔を埋め、そっかと呟く。
「リーナもエクトルのことを一番に愛しているならね」
子供だと思っていたアパタイトに核心を突かれ、身体がこわばる。
「リーナの心には別の人がいるんだね」
優しく語りかけるようなアパタイトの声に、私の目からは涙が溢れる。
「うん……、ごめん、アパタイト」
アパタイトは私の顔へ鼻を寄せ、慰めるように頬をつついた。
「私もアニエスさんと同じことをして……最低だ。エクトルさんを傷付けたくないって言いながら、自分の気持ちにいまさら気づくなんて」
「リーナはアニエスとは違うよ」
「オーウェンとキスをしたのに?」
優しく鼻を寄せていたアパタイトの動きが止まる。
「アパタイト?」
私が顔を上げると、控室の入口に正装をしたエクトルさんが立っていた。




