33.悪者
「あのっ、オーウェンはいますか!?」
ミアと別れた後、私は騎士団の訓練場まで走って来た。
「あれ、リーナちゃん? 今、エクトルはいないんだよ?」
出迎えてくれたユリスさんが驚きながらも説明をする。
「いまや君は皇弟殿下の奥方だからね。元従者とはいえ、二人きりでは会えないよ?」
血相を変えて来た私を見て、オーウェンと二人で話したいのだと悟ったユリスさんは、厳しい顔で言った。
「私が一緒ならどうですか?」
「ミア!?」
ミアは私を心配してついて来てくれたようだった。
「ああ。ミアちゃんならオーウェンの奥さんだし、三人でなら」
ユリスさんは納得すると、オーウェンを呼びに行ってくれた。
「ミア……どうして」
「私は部屋の出口で見張っていますから、一度二人でちゃんと話したほうが良いですよ」
ミアに視線を向けると、彼女から笑顔が返ってきた。私はお礼を伝える。
「珍しい。二人してどうしたんですか?」
ユリスさんに呼ばれたオーウェンが、頭をかきながらやって来た。
久しぶりに彼と目線が合い、私は泣きそうになった。
「何です? 改まって」
私たちは聖堂に場所を移した。ここなら滅多に人が来ないし、見張りのミアがいつでも中に入って来られる。
「てか、団長の奥さんと逢引きなんて、俺処罰ものですよ」
先に聖堂に入ったオーウェンがおどけて言った。表情が見えない。
「オーウェン、婚姻届の経緯、ミアから聞いたわ」
「あいつ……口留めしたのに」
「オーウェン、あなた死ぬつもりじゃないわよね?」
舌打ちするオーウェンに後ろから声をかけた。
「そんなわけないじゃないですか。俺は本当にミアと結婚したくて、あいつの罪悪感に付け込んだだけですよ」
「オーウェンはそんな人じゃない!」
ぱっと笑顔を作って振り返ったオーウェンの言葉を否定した。
「私のためなんでしょう? オーウェン、お願い。本当のことを話して」
「団長だって契約結婚だと言いながら、本気だった。それでお嬢を手に入れたんだ。二人の熱愛ぶりは今や騎士団で知らない奴はいませんよ。俺だって同じことをしたまでです」
「エクトルさんは今は関係ない……」
オーウェンの言ったことに、かっと顔が熱くなった。
「ああ。それとも、本当に俺の愛人になりたいとか? 危険だけど刺激的で良いですね」
オーウェンは私の顎を掴むと、口元を歪ませて言った。
わざと悪役を演じて、私を遠ざけようとしているように見えた。
「……オーウェンが死なないなら、それでも良い」
「――――っ!?」
私は怯まず、オーウェンを真っすぐに見た。
オーウェンは一瞬、瞳を揺らしたかと思うと口の端を少し上げた。
「……いつからそんな悪女になったんですか、お嬢。団長と結婚したくせに」
オーウェンはそう言い捨てると、乱暴に私の口を自身の口で塞いだ。
「――っ!」
突然のことで動けない。腕を拘束され、顎をしっかりと固定された私は、オーウェンにされるがままになる。
「お嬢は目の前の人を見捨てられないですもんね。好きでもない従者にたとえ唇を奪われようと……」
オーウェンのチョコレート色の瞳が目の前で陰る。唇を解放された私は、がくっと足から崩れ落ちそうになった。
「おっと……。団長とはこんなもんじゃないでしょ?」
オーウェンの冷たい視線が私に向けられたが、私はそれどころではない。酸欠でめいいっぱい呼吸をする。
「…………」
そんな様子を見たオーウェンが、目を丸くして黙った。
「?」
私は疑問に思いながらも、涙目で息をする。
「あの……お嬢? まさか……キス……初めてだったりします?」
恐る恐る聞いてきたオーウェンは、懐かしい、いつもの彼だった。
「悪かったわね!!」
そんな彼に嬉しいと思いつつも、私は精一杯オーウェンを睨んだ。
「え!? 団長とは本当の夫婦になったんですよね?」
「それ、誰情報なの?」
「師匠……です」
オーウェンは口元を覆ったまま、まだ呆然としている。
「俺、てっきり……お嬢は団長のものになったんだと……」
「へっ」
「世継ぎももうすぐだろうって、師匠が……」
オーウェンの言葉に、ぼぼぼと顔が熱くなる。
「なっ……な!?」
ユリスさんは何を言っているのだろうか。そんなことが騎士団に広まっているなんて、恥ずかしすぎる。私たちはまだ清い関係なのに。
「俺……てっきり……」
オーウェンは私をぎゅうと抱きしめると呟いた。
エクトルさんとは何もない。一度だけキスされそうになったけど、私が突き飛ばしてしまった。
『リーナの心には今、誰がいるんですか?』
ミアの言葉が胸の中で私に問いかけた。
「オーウェン……私……」
やっと気づいた自分の気持ちを口に出そうとしたところで、彼に制される。
「……お嬢は今や皇弟殿下妃です。滅多なことを口に出してはいけませんよ」
エクトルさんの気持ちは聞いたけど、私たちは契約結婚だ。
「それに、優しいお嬢があの人を見捨てられるんですか?」
「――――っ」
オーウェンの言葉に私は何も言えなかった。
やっと生きていくことへ前向きになったエクトルさんを思い浮かべる。
今ならわかる。私は同じ境遇の彼に同情していたのだと。オーウェンの言う通りだった。
(何でもかんでも首を突っ込んで……いまさら……)
彼の綺麗なホリゾンブルーの瞳を曇らせたくはない。
「でも、私は、オーウェンのことが好き――」
言い終わる前にオーウェンに抱きしめられた。
「言っちゃダメだって……」
「だって……」
さっきまでの怖い雰囲気はすっかりなくなり、いつものオーウェンに私はふにゃっとなってしまう。
「夢みたいです、お嬢。お嬢が俺をだなんて……」
優しい声色が頭上から降り注ぐ。
オーウェンも同じ気持ちでいてくれているのだろうか。
「俺には、それだけで十分です」
オーウェンの言葉に顔を上げる。
そっと身体を離したオーウェンは、穏やかに笑って言った。
「お嬢はどうか、団長と幸せに」
「オーウェン!?」
彼はそれだけ言うと、また振り返らずに私を聖堂へと残して行ってしまった。
それ以降、私がオーウェンに会えることはなかった。




