11.始まりの予感
「じゃあアパタイト、お願い」
「いくよ~」
エクトルの目の前でリーナとアパタイトが鼻を合わせ合う。
エクトルはアパタイトが側にいれば聖魔法を使うことができる。それでも治癒だけは聖女のみが行える奇跡のため、彼には使えない。
銀色の光が二人を囲むように発光する。
(アパタイトの話だと同じ方法で私は助けてもらったそうだが、あのときは意識が混濁して覚えていない……)
ただ、エクトルは必死に彼を助けようとしたリーナの顔が脳裏に焼き付いて離れないでいた。
目を閉じ、アパタイトの聖魔法を受け取っているらしいリーナを初めて見たエクトルは、彼女を美しい、と思った。
(私は……何を考えているんだ!)
エクトルは自分の考えに驚いた。きっと助けてもらった恩義でそう感じるだけだと自分に言い聞かせる。
「!? 」
そんなことを考えていると、銀色に輝いた彼女がすぐ目の前にいて、エクトルは身を固くした。
「大丈夫ですよ」
エクトルが不安で身を固くしたと思ったのだろう。リーナは、確信するように微笑んだ。
銀色の光を椅子に座るエクトルの足にかざすと、その温かな光が彼の足に流れ込む。
エクトルの足が治るようにと、真剣に願っているのがわかる。リーナの横顔を見つめていると、その光は左足を癒して消えていった。
「ど、どうです?」
呆然とするエクトルに、リーナが期待をこめた瞳で見つめてきた。
蜂蜜色のその澄んだ瞳に、顔に熱が集まるような気がした。
「あ、ああ……何ともない……」
とりあえず害は無かったことを、やる気のないユリスにも示そうと慌てて立ち上がる。
「――!? 足が……動く!?」
立ち上がり、エクトルは驚いた。あんなに思うようにならなかった左足が、意のままに動く。
彼は再び椅子に腰掛けると、急いでズボンの裾をめくった。
「無い……」
「え?」
不思議そうに覗き込むリーナに、エクトルは思わず興奮して言った。
「瘴気に蝕まれると肌が黒くなるんだ! それが無い!」
もちろん足が動くのが一番嬉しい。でも、目に入る気味が悪く忌々しい、あの黒い染みが足から消え、心が明るくなる。
「……そうだったんですね」
なぜかリーナも嬉しそうに微笑んだ。
(他人のことなのに、何故貴女のほうが嬉しそうなんだ?)
ふと、騎士服の詰襟のボタンが緩んでいたことを思い出し、慌てて直す。
(彼女に見られていないだろうか?)
エクトルの身体の染みは首の付け根にまで至る。至近距離の彼女に、今さらながら見られたくないと思ってしまったのだ。こんな気味の悪い物を。
「リーナ殿……」
「エクトルぅぅぅぅ~!!」
改めて彼女にお礼を言おうとしたところで、アパタイトがエクトルに飛びついて来た。
アパタイトに椅子ごと押し倒される。
「良かったよおお~」
泣いて喜ぶアパタイトを宥めると、リーナも後ろで泣きそうになりながらエクトルたちを見つめていた。
「リーナ殿……」
「団長、治ったんですか? 本当に? リーナちゃん、凄いねえ」
今度こそ彼女にお礼を伝えようとしたら、今度はユリスの邪魔が入った。
しかも、エクトルより彼女との距離を縮めているのが呼び方でわかり、気に食わない。
「私は力をもらっただけなので、全部アパタイトのおかげです」
エクトルは謙虚に笑う彼女に、足元からこみ上げるような熱い感情が湧き上がるのを感じた。
(彼女には婚約者がいるんだぞ!)
その感情の正体に言い聞かせるようにすると、エクトルはリーナの手を取り跪いた。
「ありがとう、リーナ殿。貴女は私を二度も救ってくれた」
手を取られた彼女の蜂蜜色の瞳を瞬くと、顔を赤らめ、はにかんだ。
それはエクトルの顔だけで言い寄り、顔を赤らめる令嬢たちのものとは違い、謝辞に対して照れているのだとすぐにわかった。
「アパタイトも嬉しそう。良かった……」
「うん! リーナありがとう!」
アパタイトとともに、心から回復を喜ぶ彼女に、エクトルは思わず見惚れた。
「じゃあ、リーナちゃんの騎士団採用は決定、てことで!」
「は……? しかし……」
ユリスがなぜか話をまとめる。
エクトルは働かなくとも、暮らしていけるだけの謝礼を彼女に渡そうと思っていたのだ。
「あとはオーウェンの試験だなー」
「わーい、リーナ、これからも一緒~!」
オーウェンという男は、ユリスが昔剣術を教えた子供だと先ほど報告を受けた。
(そうだ……彼女はこれからその男と新しい生活を始めるんだったな)
他の男からの金なんて彼は気分が悪いだろうし、彼女も望まないだろう、と考える。
(それにアパタイトが寂しがるしな)
エクトルは自分だってリーナに会えなくなるのが嫌なくせに、アパタイトのせいにして言った。
「そういうわけだ、リーナ殿。改めて騎士団で働いてもらえるだろうか?」
「もちろんです! よろしくお願いします!」
嬉しそうに頭を下げた彼女のお辞儀は見事なものだった。美しいその軌道に、爵位のある商家だったのだろう、とエクトルは思い至る。
オーウェンという男は元々我が国の孤児で、エルノー侯爵家に引き取られたらしい、と聞いていた。
(いきさつはわからないが、彼女との仲が許されなかったというのに納得がいく。それに、反対されてもなお、彼女との愛を貫くために隣国までやってきたのだ。気概のある男だと思う。ユリスが認めるなら、騎士団にも入れるだろう)
そして、そんな苦労を厭わず、彼について来た彼女の健気さにエクトルは胸が締め付けられる。
二人は信頼しあっているようで、リーナも彼の前では砕けた表情をしていた。それが眩しく、うらやましくもなった。
(私は騎士団で彼女に仕事を与え、支える。そしてこの国で彼と幸せになって欲しい。それまでは私も彼女を影ながら守っていこう。この恩義に報いるために……。それに、私がいなくなったあと、次の聖魔法の使い手にアパタイトは仕えることになる。リーナ殿がいてくれたら、アパタイトも寂しい思いをしなくて済むだろうか?)
エクトルがそんな想いを抱いていると、駐屯所の医師が中から慌てて出て来た。
「奥さん、破水したよ! ここで出産するけどいいかい?」
「えっ!?」
なぜか一番に医師の元へ駆け寄ったリーナは、医師と話をするとすぐに彼と中へ入って行った。
「おいオーウェン、お前こそ急げよ」
「あ~…………はい」
急かすユリスに、オーウェンはいっとき逡巡すると、溜息を吐いて中に入っていった。
「あいつ、初めてのことで戸惑っているのか?」
そんな彼を見送りながらユリスが心配そうに言った。
「おい、ユリス……」
「あ、すみません団長。ラヴァルからもう一人保護しておりまして」
「そうじゃない」
エクトルが目を覚ましたのはついさっき。報告が遅れるのは仕方ない。
しかし彼が気にしているのはそこじゃない。
「あ~……、オーウェンには身重な奥さんがいて、どうやら三人一緒に駆け落ちして来たらしいんです」
「どういう状況だ!?」
「ね~、意味わかんないですよね。まあ、ラヴァルですから」
思わず声を荒げたエクトルにユリスが苦笑いをする。
「しかしこの国では……」
(ラヴァルはどうかわからないが、オルレアンは一夫一妻制だ。愛人すら認められない。一人の女性を決めたら、一途に大切にするのが習わし。だからこそアニエスにも厳しい罰が下されそうになった。当の本人である私が望まなかったため、侯爵自ら勘当、という重い罰を与えたようだが……)
「それでは彼女が幸せになれないじゃないか……」
妻がいる彼と表立って歩くこともこの国では許されない。
(彼女の笑顔が曇るのは嫌だ)
「あ~、リーナちゃんはそれで幸せみたいですよ? なんか三人一緒に暮らすみたいですし」
「そっれ、は……! どういう状況だ!?」
ユリスの言葉に信じられないといった表情で、エクトルはまた声を荒げた。
「う~ん、察するに、リーナちゃんが使用人として家に入るんですかねえ? 使用人なら一緒にいても咎められないし、家の中なら何してるかなんてわからないですしね」
エクトルは下世話なことを言うユリスを睨みつける。
「この国では信じられないですけど! 三人が同意しているなら成り立つと思いません?」
睨まれたユリスは焦りながらもそんなことを言った。
(本当にそうなのか? 誰よりも他人のために必死で思いやりのある女性に見えた。何より、アパタイトがあんなに懐き、聖魔法を受け渡すほどの人物だ。……それほどまでに彼を愛しているということか?)
考えても仕方ないことだとエクトルは思い至る。
「アパタイト、リーナ殿はその、オーウェンと……」
「リーナとオーウェン、仲良し~!」
無邪気に言うアパタイトに、やっぱり二人は恋人同士なのだと確信する。
「しかし、彼女の想いを利用して二人の女性だと? しかも妻の方が身ごもっているというのに……」
恩人の彼女には幸せでいて欲しい。エクトルにやるせない怒りが湧きあがる。
そんなを彼を見たユリスがふざけたことを言い出した。
「そんなにリーナちゃんが心配なら、団長が奪っちゃえばいいじゃないですか」
「……お前は彼の師匠なんじゃなかったか?」
ギロリと再びユリスを睨む。
「そ、そーですけど! どう考えたっておかしいですよ! 私は皆に幸せになって欲しいですから。それに、団長が女性を気にするのは珍しいので、それなら団長がリーナちゃんを幸せにしてあげれば良いんじゃないかと」
縮こまったユリスはそう言い捨てると、そそくさと駐屯所の中へと戻って行った。
「私が……彼女を?」
(先に死んでいくのに……?)
そんなことできるはずないと、エクトルは苦笑した。




