ノイマンの青い空
「ありがとう、君の名前は?」とその男の子はいった。身なりが良くて、ピカピカの服をきた金髪で眼鏡をかけた男の子だった。
「ミア」
私は彼が店内で落とし物をしたから拾ってあげた。男の子は礼を言った後、私を上から下までお辞儀をするように確認してから言った。
「この街のどこの学校に通っているの?」学校?学校とはいったい何のことだろう。お仕事をするところのことだろうか?私が答えずにいると男の子は別の質問をした。
「あそこのケーキ、お空の色をしたケーキはどんな味がするの?」
指さした方向をみた。ショーケースにいろんなケーキが並んでいた。
「ああ、チョコレートケーキのこと?」
「違うよ、あの青い色のケーキ」
「お空は黒い色でしょ」
男の子は意外そうな顔をして私の顔をじっと見つめてきた。すぐにその子の親がやってきて言った。
「ごめんね。うちの子が仕事の邪魔をして」と謝った。
そして男の子の腕をつかみ、店を出て言った。
観光都市チリア、ここは多くの自然と古くからの観光資源があるため、国中から多くの観光客が訪れる。チリアはもともとは貧しい村であったためなのか、孤児が多い。ミアは学校というところに言ったこともないし、ケーキを食べたり、自由に外を歩いたりすることもできなかった。彼女は親もおらず身寄りのないため孤児院で暮らしている。そしてずっと建物の中か地下で働いている。日中働いて、ようやく夜になるとご飯を食べて寝るだけの日々だった。孤児院が与えてくれる仕事にご奉仕するだけの日々だった。
ミアは副院長の弱みを知っていた。彼は孤児が稼いで得た金をボスに渡しているがその際に幾分か懐に入れている。そのことを知っているので、副院長はミアには強く出ることができないでいた。ときどき、副院長が孤児院の規律を厳しくしようとすることがあった。
副委員長は意地悪そうな顔で言った。
「仕事しないやつ、わがままなやつ、稼がないやつ、これらには食べる権利は与えない。おいミア、お前が取り上げろ」
「わかりました」
ミアは他の子供たちよりも特に反抗的だったから目をつけられていた。
その日の夜、ミアは副委員長の言いつけ通りにした。副院長が院長にかくれて食べている好物のプロシュートを奪いとったのだった。副院長はそれに気がついて、誰が盗ったのかと喚き散らしたのだ。あんまりひどくなったのでミアは言ってやった。「仕事もしない、わがままで、稼がないやつから食事を取り上げただけだよ!」
また、ミアたちはよく、古くなったパンや果物をお店からもらってきてパーティをした。外に出て観光客たちがまばらになった町の街路を見渡しながら、私たちは黒い空の下で食事をして語り合った。それぞれがもちよれば立派な食事会を開くことができた。体の弱い女の子シャーロットはいつもたくさん食事をもらってきて、私や、煙突や出店で働く男の子ウィミアムにわけてくれた。ウィミアムは仕事場から薬や飴玉をもってきた。彼は職場でしっかり仕事をしているので信頼されているらしかった。体の弱いシャーロットのためにいつも薬をわけていた。シャーロットは反対にウィミアムがよくお腹をすかしていたものだから、たくさん食べ物をわけた。
ミアはいつもケーキ屋からブリオッシュをもってきた。そしていつもそれをシャーロットやウィリアムにあげた。二人の大好物だ。だが多くても貰えるのはせいぜい2つまでだった。
「これとてもおいしい。ほんのり卵の味がして、甘くて。ミアもたまには食べてよ?ミアが持ってきたんだから」
「いや、私はべつに好きじゃないの。二人がたべていいんだよ」
シャーロットがウィリアムの膝が黒ずんでいることに気が付いた。
「どうしたのその足の傷」
「なんてことはないよ」ウィリアムは質問に答えた。
「薬をつけなきゃ」
「こんなかすり傷ならほおって置けば治るよ」
「それにしても、ミアはすごいよね、あの副院長の弱みをつかんでいいように扱ってるんだから」シャーロットがふりかえって言った。
ミアはこたえた。「あいつらは私たちをだましたんだからね、いい事ばかり言って、汚い大人」
「いつでも休んでいいんだよーなんていってさ。実際には要望の一つもきいてくれないよね」ウィリアムは憤慨したようにいった。
「それどころか、最近は休むことすら許さない雰囲気。いつか蹴とばしてやる」
みなで笑い合っておいしい食事を楽しんだ。
ウィリアムにとって、そのひと時がもっとも楽しい時だといった。ミアはそんなウィリアムや幸せそうにブリオッシュをかじるシャーロットとずっと一緒にいるだろう。
「いつか、青い空の下でおいしい食事をみんなでしたいよね」
シャーロットの言葉に皆が頷いた。ささやかな幸せだった。この時間はだれにも邪魔させないという決意が生まれていた。私たちは職場と寝どこだけの狭い世界でなんとかうまいこと暮らしてきたのだった。
院長は高価な服を着て、口に葉巻を加え、あご髭のはやした男だった。副院長を通して金を巻き上げるだけの男だ。そして、親のいないミアたちには彼から逃げることが困難であった。時折、兄弟たちの中には抵抗する者もいた。別の場所に身を隠す者もいた。たまに頭のよい兄弟は孤児院を訴えるのだと言って出ていった。だが状況は変わらなかった。彼ら全員、きまって帰って来るのだ。「町の周りには何もない。あるのはただひたすら木々と草、岩、それだけさ。ご飯がある分ここの方がましだ」
戻ってくると大抵、副院長に頬を殴られる。そして、副院長は院長にやんわりとたしなめられるのだ。
「君ね。そのように乱暴を働くと、乱暴な子に育つんだ。わかるかね?」と、落ち着いた声で諭すように言った。そして私たちに向き直って言った。
「君たちがどこにいこうと私たちはすぐにわかる。この町の人々みんなが友達だからね」
院長はこの町の上層部の人間と繋がっていることを私たちに教えて絶望させた。
「子供はね、選ばせることで自然に責任をもつことができるんだ。子供の意思を尊重することが大切なんだよ」と、副院長に諭すように言うのだった。それから、院長は、お仕置き部屋に入るか、もっと別の仕事(大抵はさらにきつい仕事)にするのか選びなさいといった。
兄弟たちはこうして逃げる気力をなくしていった。兄弟たちが怒りや悲しさや寂しさで夜眠れないとき、シャーロットはきまって背中をさすってあげた。
「私たちは仲間だよ。大丈夫、一緒にいれば大丈夫だからね」と言い聞かせてくれた。
そうして3年の月日が経った。
ある時、仕事先のケーキ屋でシャーロットが叱られていた。客と正面からぶつかり、けがをさせてしまったらしかった。副院長がやってきて強く責め立てていた。私は言ってやった。
「お金ちょろまかしてること、院長に言うよ」
そうすると副院長はブツブツと小言をいいながら帰っていった。
「シャーロット。頭から血が出てるよ」
「大丈夫、ちょっと頭をぶつけただけだから」
ミアがシャーロットの様子を確認しているとき、誰かの視線に気が付いた。周りを見渡すと
ひとりの金髪で眼鏡をかけた男の子がじっとこちらを見ていた。どこかで見たことのある顔だった。だが彼は何も言わず、そしてすぐにいなくなった。シャーロットのケガはすぐに治ったようだったが、まだ時折ふらついているようだった。
ある時、私たちがひそかに行っている食事会がボスにばれた。なぜばれたのかはすぐに分からなかった。私が副院長に掛け合うと彼は私の頬を殴ってから言った。
「いい気になるな、お前のような子供が俺は嫌いだ。それに私を脅すことはできないぞ。今度から俺が院長になるのだからな」
そういって、彼は私をもう一度蹴りつけた。副院長が部屋をでていくと、犯人捜しが始まった。そしてすぐにシャーロットは私たちの前で謝った。
「わたしが言ったの、ごめんなさい」
「どうして、いや、きっとあいつのせいね。あいつに脅されて」
シャーロットはずっと泣いて謝った。ミアは気にしないでといって体をさすってあげた。悪いのは彼女ではない、院長だ。彼女はその夜、一晩中吐き気がするといっていた。私は寝ずに看病をしてあげた。
次の日、ミアはケーキ屋を出るとき、店主さんにブリオッシュをもらうことができた。ミアはお礼を言った。「よかった、これでシャーロットを元気づけられる」
私が宿舎に帰るとただならぬ雰囲気だった。兄弟たちは無言で誰かを取り囲んでいる。
シャーロットは床に横たわっていた。そして、その手前にはウィリアムが茫然と立ち尽くしていた。手を震わせ、息遣いが荒かった。「おれ、おれが責めすぎたから・・・そのせいで・・・。」
そういって男の子は部屋から出て行った。「待って」という声は彼の耳にははいらなかったようだった。
ミアはすぐにシャーロットの容態を確認した。だがもう手遅れだった。別の子が教えてくれた。「この間のことで、ちょっと怒ってウィリアムが押したんだ。そしたらシャーロットがふらりと倒れて・・」
なにが起こったのか、私にはわからなかった。分かったことはシャーロットは頭を打ってから足元がふらついていたこと、そして、もうシャーロットと話すことはできないということだった。それから院長がやってきて、荷物をかつぐようにシャーロットの小さな体を抱え、どこかへ運んでいった。
次の日、副院長からウィリアムが亡くなったときかされた。重い病気だったのだと説明をした。そんなはずはないとミアは聞き返したが、副院長は聞く耳を持たなかった。副院長がウィリアムに何をしたのか、ミアは明確に理解していた。
ミアは大事な仲間を二人も失ってしまった。ベッドの裏側に紙がささっていた。ミア向けの手紙だった。それはミアとシャーロットに対する懺悔の気持ちだった。そして、外の世界への道をあきらめるな、俺は必ずみなを連れて行く、と書いてあった。紙の裏にはいくつかの秘密の通路が書き込まれていた。だが、それは外の世界には続いていない。私はその紙を無言で握り締めた。
私はずっとシャーロットのことを考えていた。そしてウィリアムを考えていた。どうしてこんなことになったのか。私がぼんやりと店内で仕事をしていると、いつのまにかとなりに誰かが立っていた。顔を見ると金髪で眼鏡をかけた男の子だった。彼は私に手紙を渡してから言った。
「ここから汽車で3日先にノイマンというこの国の首都がある。大きな町だよ。そこならきっと君を助けてくれる人がいる、あと最終列車の一番後方の列車、あそこは誰も点検にこないんだ、秘密だよ」
ノイマン?この国の首都?
「きっと、救いがある。僕を信じて」
このままここにいてはいけないと、ミアにははっきりと分かっていた。私も町に住む人たちと同じように「普通で幸せに」生きてみたかった。何の希望もなくただ単に生きている、これは死んでいるのと同じではないか、と思った。
ミアは夜中に隙をみて家を飛び出した。
シャーロットもウィリアムもいなくなったここに居続ける意味なんてなかった。暗く闇に覆われる闇夜、そっと家を出て、ウィリアムがのこしてくれたメモをたよりに汽車の走る線路の近くにでた。最終列車がみえた。今から発車しようとしてるところだ。私はそれから全力で走って列車の最後部にのった。眼鏡をかけた男の子が教えてくれていたとおり、人影がほとんどなかった。
私は念のため汽車の中には入らず、外についている突起物をつたい、列車の上部にでた。荷物用のこの車体はすこしくぼんでおりちょうど寝転がると私の体がすっぽりと隠れる格好になった。しばらく私は息を切らしていたが、すぐに落ち着いた。そして目を閉じた。足がじんじんと痛む。体が酸素を求めてあえいでいる。
いつのまにか空は明るくなっていた。
あまりのまぶしさに私は目を開けた。
空の青白さは視界いっぱいにどこまでも広がっていた。
太陽の光が薄い雲にかかり、黄金色に照らされていた。
ミアはポケットにいれてきた、固くなったブリオッシュを一口かじった。とても甘くて安心のする味だった。
そして、シャーロットの言っていた言葉を思い出した。
「いつか、青い空の下でおいしい食事をみんなでしたいよね」
おわり