アリスの作戦
大盛況の「ムーンセレナーデ」贈呈式が終わった後、ダニエルが途方にくれていると、エマが話しかけてきた。
「ダニエルさん、『ムーンセレナーデ』をありがとうございます。嬉しい気持ちでいっぱいです。こんな夢のような余興は初めてでした。それじゃ、こちらのブルーチップは、カジノ側に返却しますね」
ダニエルは平静を取り繕って言った。
「チップを……ご返却されるのですか?ブルーチップは他のチップと同様、後ほど換金できますが」
「だってこれ、拾い物ですから。ずっと持っていたら泥棒になってしまうでしょう?」
「え、拾い物……?」
「はい、あの幸運のスロットマシーンの足元に落ちていたんですの。きっと誰かが気付かずに落としてしまったんじゃないかしら」
「……え、じゃあエマ様、『ムーンセレナーデ』もご返却ということで……」
「まさか!ルール上『ムーンセレナーデ』を手に入れるのは『ブルーチップを本日の明朝、日の出の瞬間に所持していた方』でしょう?私はその資格を満たしておりましたので、『ムーンセレナーデ』は誓約の通りいただきます」
ダニエルの視界が再びぐるぐると回り出した。
その時、ダニエルが思い当たった原因は一つしかなかった。あの作業中――ジャックポットのガラスの球体がひっくり返った際にブルーチップも球体から飛び出して、そのままになってしまったのだ。
(しかし、そんな馬鹿な……私がこの目でブルーチップを見て球体に入れ直したんだ。まさかブルーチップは二枚あったのか……?)
その後、念のためブルーチップの発注に関わったアシスタントディレクターに鑑定してもらった。しかし、エマの持っていたブルーチップは間違いなく本物だった。
「ほらディレクター、裏側にホログラムがあるでしょう。これが本物のしるしですぜ」
「……ブルーチップは一枚しか制作していないよな?間違いないよな?」
「はい、天に誓ってブルーチップは一枚だけですぜ」
(じゃあ今球体の中にあるはずのブルーチップは一体……)
「ちょっとついてこい」
ダニエルはアシスタントディレクターとカジノフロアに行くと、先ほどの要領でジャックポットの球体を外した。
(ここにブルーチップがあるはずなんだ!絶対に!)
二人はひっくり返して中のチップを全て出すと、チップの山の中に青いチップを見つけた。
「ほら言っただろう?ここにもブルーチップがあるじゃないか。やはりブルーチップは二枚あったんだ!この責任は取ってもらうからな!」
アシスタントディレクターは青いチップを拾い上げ、じっくり見ると言った。
「これは……綺麗に青く塗られてはいますがブルーチップではありませんぜ。ほら、よく見ると色合いも違いますし、爪で強くこすると塗装が剥がれてきます。ホログラムもありません。ただの百万ルークチップですぜ」
「なんだって?!」
「こんなレベルの低い偽造ブルーチップで我々が騙されるわけありませんぜ。きっと誰かが遊びかいたずらで作ったものでしょう。お、似たようなチップがここにもありましたぜ」
ダニエルは頭を抱えた。
(あの時急いでたから気付かなかったのか……こんないたずらのチップを本気にして、大事なブルーチップを落っことしちまったなんて)
ダニエルは悔やんでも悔やみきれなかった。
***
「ムーンセレナーデ」を手に入れた一行は、シャルルとアリスの部屋に集まって立食形式の祝勝会をしていた。ポールが札束を広げた団扇で顔をあおいでいる。皆の中心のテーブル上、口の開いた宝石箱の中には「ムーンセレナーデ」が鎮座していた。
「はっはー!こんなにうまくいくなんて思わなかったぜ」
「アリスの『しがない使用人ですわ』ってやつ、一回やってみたかったのよね~。ああー最高!」
エマが満面の笑みを浮かべながら言った。
「でも今回のMVPは係員役をしたポールね。正直見直したわよ。ところでそのお金、どうしたの?」
「あまりに『係員』の俺の働きがよかったからさ、クルーズディレクターのダニエルちゃんがくれたんだぜ。将来ここの係員に転職しようかな?あー愉快愉快」
アリスが口を開いた。
「本当に、お二人のおかげですわ。正直かなり成功率は低いと思っていたのですが……」
***
遡ること半日ほど前……。
「それで、ジャックポットの球体の中にブルーチップが入ってるかどうかなんて、どうやって確かめるんだ?聞いても誰も教えちゃくれないだろ?」
ポールが怪訝そうな顔をしてアリスに聞いた。アリスは頭を急回転させていた。
「はい……まずはあの球体が透明であることを利用したいと思っています」
ポールが口を挟んだ。
「利用する?どうやって?」
アリスはゆっくりと話し始めた。
「もし、外からジャックポットの球体の中にブルーチップが見えて、全員に話が広まったら、カジノフロアは大騒ぎになると思いませんか?クルーズディレクターの……ええと、なんでしたっけ……ダニエルさんは絶対にジャックポットの中にブルーチップがあることを知られたくないはずです」
エマは腕を組んで考え込んだ。
「……確かに大騒ぎにはなると思うわ。でもどうやってブルーチップが見えるようにするの?船を傾けて中のブルーチップの場所を動かすとか?でも、そもそも球体の中にブルーチップが入っているかも分からないのに」
アリスはおかわりのミルクを飲みながら言った。
「入れてしまえばいいんです、ブルーチップを」
「……えっ?」
「これほど大きな客船で、世界を周回するような長い航海を想定した船です。船の塗装が剥げたところを補修するためのペンキがどこかにあるはずです。きっと青い色のペンキも」
耳を傾けていたシャルルが口を開いた。
「なるほど、青く塗ったチップをあのジャックポットの球体に入れるということだね。でもどうやって中に入れるんだい?」
「青く塗ったチップを何枚か用意してスロットマシーンをプレイすれば、負けたチップの一部はジャックポットの、あの球体の中に落ちるはずですわ。一つくらいは球体の表面付近の、外から見える位置に落ちることもあるでしょう。遠くから見てそれを偽物と見抜くのは難しいと思いますわ」
「青いチップが外から見えるようになったら?」
「ダニエルさんに報告しに行くんです。みんなあのジャックポットの球体にはあまり注意を払っていません。すぐに客の誰かに見つかる可能性は低いと思います。きっと報告を受けたダニエルさんの反応で、ブルーチップが本当にジャックポットの球体の中にあるか分かると思いますわ」
ポールがポカンとした表情を浮かべて言った。
「報告しに行くって……誰が?」
「客が行くよりも……その後のことも考えると、『係員役』に扮したポールさんが最適ですわ」
アリスはポールに向かってにっこり微笑むと、皆の視線がポールに向いた。ポールは自らを指差して言った。
「……え、俺?」
アリスはコクコクとうなずいた。
「ポールさん、一肌脱いで役者になっていただけますか?ポールさんがこの作戦の肝なのです……シャルル様は顔が割れているので」
ポールは頭をかいた。
「なんだよ~みんな俺のことばっか頼りやがってよぉ~へっへっへ。こう見えて俺実は昔、俳優目指しててさ……思い返せば十年前……」
そこでエマはポールの話を遮った。
「決まりね。で、アリスの作戦を教えてくれる?」
「おい!ここからいいところなんだってば!」
アリスは口を開いた。
「今回のイベントのために相当な数の係員がいます。ディレクターも全員の顔は把握していないでしょう。誰かの制服をお借りできれば、ポールさんは他の係員と見分けがつかないはずです」
(幸いポールさんは特徴の薄い地味な見た目ですし……)
アリスは黒縁のメガネをバッグから取り出すと言った。
「念のため私の持っているこの黒縁メガネも変装用にお貸ししますわ。適当に、『客がブルーチップを見たと言っていた』とでも報告すれば、さらにダニエルさんの不安を煽れるはずです。その客から他の客に伝わる可能性がありますからね」
「……どの客が言っていたことにするの?」
「そうですわね……初めに何人か出て行ったVIPの中に、頭にスカーフを巻いた方がいらっしゃいましたわ。あの人が言ったことにしましょう。カジノフロアから探すと思いますから、ダニエルさんが見つけようとしても時間がかかるはずです」
そこでエマが聞いた。
「私は何をすればいいの、アリス?」
「エマさんには、連絡役をやってほしいと思います。係員の格好をしたポールさんが頻繁に、顔の割れているシャルル様や、その妻の私に直接話しかけに来たら、怪しまれるかもしれません。なので、ポールさんから普通にカジノフロアで遊んでいるエマさんに連絡し、エマさんがシャルル様と私に連絡する流れにしたいと考えていますわ」
「了解!ポール、上手くやってよね」
エマは頼り無さげにポールを見た。ポールの横顔はやる気にみなぎった表情をしていた。
「おう!やってやるぜ!」
エマは思った。
(あら……ポールって案外男前?)
***
それから二時間後……。連絡役のエマがシャルルとアリスに報告に来ていた。
「シャルル様にアリス、お待たせ。ポールからの報告によると、『ブルーチップはあのジャックポットの球体の中で間違いない。ダニエルの焦りは半端ない。あの真っ赤な顔を見たら笑っちまうぜ!』とのことです。『ダニエル以外の係員はブルーチップがどこにあるか知らされてないぜ!』とも」
「おお、やったねアリス。君の考えていた通りだ」
「ええ、まずは第一関門クリア、と言ったところかしら」
エマが聞いた。
「それでそれで、これからの作戦は?」
「ここからが難関なのですが……」
アリスは一口ミルクを飲むと、話を続けた。
「その焦り振りから言って、ダニエルさんはどうにか青いチップが見えないようにしたいと思っているでしょう。しかしそれには一度、球体の中のチップを外に取り出す必要があります。そしてその取り出す作業の時間こそが……」
「ブルーチップをゲットする千載一遇のチャンスってことね!」
エマが目をキラキラと輝かせていた。
「はい……ダニエルさんは誰にも見つからないように、見えているブルーチップを取り出してもう一度隠す作業をしないといけません。それには一旦カジノフロアから全員人払いをするしかないでしょう。それにあの球体は大きいので、一人でチップを取り出す作業をするのは難しいはずですわ。そこで頼れるのは事情を知った係員役のポールさんだけ……」
エマがふんふん、とうなずいて言った。
「ダニエルとポールをここで二人っきりにして作業させるわけね。……どうやって人払いさせればいいのアリス?」
「うーん、分かりません。そこはエマさんの腕にかかっていますわ。都合よくダニエルさんに人払いをする口実を与えられるような……例えば『エマさんのプレイするスロットマシーンで何か重大なマシーントラブルが発生した』というのはどうでしょうか?」
「分かった。何か考えてみるわね。ありがとう、アリス。ポールには、何か伝えることはある?」
アリスは指をあごに当てて考え込んでいた。
「……一番の鍵は、ブルーチップを球体の中から取り出す作業をする時に、本物のブルーチップを、ポールさんがダニエルさんよりも先に見つけて隠すことですわ。例えば故意に球体をひっくり返して中身のチップをフロアにばら撒くとします。本当のブルーチップはきっと球体の奥底の方にありますから、大半のチップがこぼれ出ても、球体に残った方のチップの中にブルーチップがある可能性は高いです。ダニエルさんがこぼれた方のチップに気を取られている間に、ポールさんが球体の中にある本物のブルーチップを探す……」
ふむふむ、とエマは考えてから言った。
「偽物の青いチップをダニエルが見つけたらどうなるかしら?」
「その場合、二つの可能性が考えられますわ。一つ目は、ダニエルさんが偽物を本物のブルーチップと勘違いする……ラッキーなケースですが、その場合はきっとダニエルさんが球体の中に偽物のブルーチップを外から見えないように戻して終わりです」
「二つ目は?」
「この方が可能性は高いと思いますが、二つ目はダニエルさんがそのチップを偽物と見抜くパターンです。その場合、ダニエルさんは本物のブルーチップを血眼になって探すでしょう。ポールさんが本物を隠し持っていても、身体検査をされて見つかってしまうかもしれません」
アリスは続けた。
「その場合、一番いい隠し場所はエマさんのプレイされているスロットマシーンの中だと思いますわ」
「スロットマシーンの中?」
「ええ。さすがに客がプレイ中のスロットマシーンの中にブルーチップがあるとはダニエルさんも思わないでしょう。ポールさんがエマさんのプレイするスロットマシーン――人払いされているのでその時エマさんはいませんが――を修理する振りをしながら、本物のブルーチップをチップの投入口に入れるのです。エマさんがスロットマシーンに戻ってきたら、『キャンセルボタン』を押して、ブルーチップを払い戻してください」
エマがニヤリとして言った。
「アリス、なんか上手くいきそうな気がしてきたわ!」
「かなり難しいですが、きっとお二人ならできると信じていますわ。ブルーチップはあくまでも借りるだけ……ゲームが終わったらお返ししましょう」
これが、アリスが立てた計画の一部始終――開かずのジャックポットをこじ開けた作戦だった。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!お忙しい中読んでくださる皆様がモチベーションの全てです。カジノの登場が2回目……あの華やかな熱気が個人的に大好きで、度々舞台にしてしまいすみません。
これからようやく?物語が動き出し、第二部の後半に入っていく予定です。
少し練り直ししたい部分があるため、ちょっぴり間が空いてしまうかもしれませんが、引き続きよろしくお願いいたします。




