マーチンゲール法
シャルルとアリスは早速小切手をチップへと交換すると、それぞれ渡されたホルスターの中にチップを半分ずつ分けてしまった。
「さぁて、夜は長い。まずはどこのテーブルにつくか決めようか」
「ディーラーの持ち分が少なくなっているテーブルがよさそうですね」
「ああ、まずは軽くプレイして周りの出方を見よう」
ちょうどその頃開始から十五分が過ぎ、ディーラーの持ち分チップの記載された黒板がボーイ達によって書き換えられているところだった。
「多くのテーブルでディーラーの持ち分が増えていますわ……」
「まぁ、カジノのゲームは大体ディーラー側が有利だからね」
ディーラーの持ち分が初めの三億ルークを下回っているテーブルは、黒板が書き換えられるや否やすぐに席が埋まっていった。ディーラーの持ち分が三億ルークを上回っている場合、客が勝ったとしても浮いている分、つまりディーラーが他の客から得たチップが支払いに当てられる可能性が相対的に高いため、仮にそのディーラーがブルーチップを持っていたとしても、ブルーチップが支払いに使われる確率は相対的に低くなる。
(皆考えることは同じということかしら……)
「シャルル様、見てくださいあのテーブル……ディーラーの持ち分がもう四億ルークになっていますわ……」
「ああ、さすがにあそこは誰も座る客がいなくなってしまったね」
やがてディーラーの持ち分が三億ルークを下回っているテーブルには長蛇の列ができ、上回っているテーブルには閑古鳥が鳴いている状態になった。シャルルとアリスの二人は仕方なくディーラーの持ち分が三億ルークを僅かに超えるブラックジャックのテーブルにつくとプレイを始めた。
「まぁ、ここのブラックジャック……最低ベットが五百万ルークだなんて、聞いたことありませんわ」
リスクを抑えるため、二人は一ベット当たりの金額を最低ベットの五百万ルークに抑えてプレイを続けた。運良くシャルルとアリスは勝利を重ね、ディーラーの持ち分が二億ルークを割り込んだところで、それを見たVIP達が集まりそのテーブルは満席となった。
アリスは満席に気付くと、フロアを改めて見渡した。各ゲームのテーブルは満席のテーブル、誰も座っていないテーブルを含め、合計で三十ほどはあるだろうか。
「シャルル様……ちょっといいですか?気付いてしまったのですが……」
「ああ、どうしたんだいアリス?ここまでいい調子できているよ」
「その……確かにここまで運良く勝っていて、このテーブルのディーラーの持ちチップは順調に減っているのですが……」
「うん……?」
「このままでは仮に引き続き運が良かったとしても、ベット額を増やさない限り……夜が明けるまでに『ムーンセレナーデ』を手に入れるには時間がかかりすぎると思うのです。本当に運頼みになってしまいますわ」
その時、カジノフロアに大きい声でアナウンスが響き渡った。
「ルーレットの五番テーブルでディーラーの持ちチップがゼロとなりましたっ!繰り返します……ルーレットの五番テーブルでディーラーの持ちチップがゼロとなりましたっ!」
(えっ……?)
カジノフロア全体がざわめき、皆の視線はルーレットの五番テーブルに集中した。黒板に書かれたディーラーのチップ量はボーイによって「ゼロ」と書き換えられたところだった。
「シャルル様……あのテーブルって」
「ああ、さっきは誰も座っていなかったテーブルだ」
その後すぐに、再度アナウンスが響き渡った。
「ルーレットの六番テーブルでディーラーの持ちチップがゼロとなりましたっ!繰り返します……ルーレットの六番テーブルでディーラーの持ちチップがゼロとなりましたっ!」
(一体誰が……?)
アリスとシャルルが急いで六番テーブルに目をやると、先ほどのホテル王アレクサンダーが席から立ち上がり、そのお付きの者がテーブル上の大量のチップをかき集めているところだった。
「くっくっく。ブルーチップはここにも無いようだな。次は四番だ」
アレクサンダーはさらに隣りのテーブルにつくと、ディーラーに言った。
「今の持ちチップはいくらだい?」
「ええと……三億六千万ルークになります」
「よし、『黒』に三億六千万ルークの最高ベットだ。ほら、お前早くしろ」
このカジノにおける最高ベットは、当たった時の配当がディーラーの持ちチップと同額になる金額である。ルーレット台においては「黒」か「赤」に賭けることで、ほぼ二分の一の確率でチップを二倍にすることができる。そのため、ディーラーの持ちチップが三億六千万ルークの場合、「黒」に賭けられる金額の上限は三億六千万ルークとなる。
アレクサンダーのお付きの者が、慌てて「黒」にチップを置いた。ディーラーが緊張した面持ちでボールの行方を見守った。
「赤の三十二です……」
アレクサンダーの賭けは外れた。ディーラーは小刻みに震える手で三億六千万ルークのチップを回収した。しかし、負けたアレクサンダーは全く動揺する素振りを見せなかった。
「ほら、早く次のゲームだ。「黒」に七億二千万ルーク」
一段と大きくなった周囲の人だかりからざわめきが聞こえた。
次のラウンドの賭けの時間が終わると、ディーラーは再び投げられたボールの行方を見守った。
「黒の十五……です」
「くっくっく。ありがとうな。フン、ここのテーブルにもブルーチップはないか……よし、次だ次」
その様子を遠目に見ながら、アリスは手元のグラスのミルクをすすった。
(もしかすると、あの男の戦略は……)
「マーチンゲール法か」
アリスの隣りでシャルルがつぶやいた。
「マーチンゲール法……ですか?」
「ああ、古典的なカジノの必勝法さ。負ける度に負け分を取り戻すだけ賭け金を倍々にして増やしていけば、絶対に負けないという寸法だよ。例えば百ルーク賭けて負けたら、次はその百ルークを取り戻せるように賭け金を増やして賭けるんだ。また負けたらさらに今までの負け分を取り戻すように賭け金を増やす。アレクサンダーがしているのはそれの応用だね。ディーラーの持ちチップを一度で根こそぎ奪える額のチップを賭け続ける……」
(確かに最速でディーラーを倒し、ブルーチップを探す方法かもしれませんわ。でもそれって……)
アリスは頭の中でそろばんを弾いた。
「ちょっと私たちの軍資金では足りない気がしますわ」
「うん、ちょっと厳しいね。ここは援軍を呼ぼうとしようか」
「援軍……?」
「ほら、ギャンブルの神様が身内にいるだろう?」




